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「帰納法」と「演繹法」は、どちらも高校国語・現代文に出てくる重要単語です。また、場合にってはビジネスシーンで用いられることもあります。

ただ、哲学的な要素が強い言葉なので意味が分かりにくいと感じる人も多いと思われます。そこで今回は、「帰納法」と「演繹法」について具体例を使いなるべく簡単に解説しました。

帰納法の意味・読み方

 

帰納法」は「きのうほう」と読みます。意味は、「個々の具体的な事例から、一般に通用する法則・原理を導き出すこと」です。

例えば、以下のような事例があったとします。

  • りんごが木から地面に落ちた。
  • ミカンも木から地面に落ちた。
  • 猿も木から地面に落ちた。

上記3つの事例から「では、全てのものは下に落ちるはずだ」という法則(万有引力の法則)を見つけたとします。

この場合、いくつかの具体的な事例から一般的に通用する法則を導き出しています。よって、「帰納法」だと言えるのです。

つまり、「帰納法」とは「一つ一つの例から共通点を見つけ出し、全体を結論づける方法」と定義することができます。言わば、下から上へのボトムアップの方法と同じです。

元々、「帰納法」はイギリスの哲学者である「フランシス・ベーコン」が提唱し、後に同じくイギリスの哲学者である「ミル」によって完成されました。

現在では主に、物事の法則や規則性を発見したり、実験科学の方法に応用したりする際に使われています。

演繹法の意味・読み方

 

演繹法」は「えんえきほう」と読みます。意味は「一般的な法則や原理を当てはめることで、個々の結論を導き出すこと」です。

例えば、私たちは「三角形の内角の和は180度である」という法則を知っています。なぜなら、数学の公式・定理としてすでに証明されているものだからです。

そのため、もしも三角形の内角のうち二つの角度が分かれば、もう一つの角度を計算だけで導き出すことができます。

仮に、A=50度、B=50度ならば、「Cは80度である(180-(50+50)」のようにです。

このように、「一般的な法則を前提として、個々の事例を説明していく思考法」を「演繹法」と呼ぶわけです。言わば、上から下へのトップダウンの方法と同じです。

身近な例で言うと、「裁判」も先立つ大きな原理(憲法や刑法、商法)に基づいて、個別の事件の有罪・無罪を決定しています。そのため、「演繹法」の分かりやすい例だと言えます。

「演繹法」は元々、フランスの哲学者であるデカルトが唱えた思考方法です。

デカルトと言えば、「我思う、ゆえに我あり」というセリフが有名ですが、彼はある前提から段階的・論理的に結論を導く思考を創始しました。

この思考方法こそが、「演繹法」なのです。

帰納法と演繹法の違い

帰納法 演繹法 違い 使い分け

ここまでの内容を整理すると、

帰納法」=個々の具体的な事例から、一般に通用する法則・原理を導き出すこと

演繹法」=一般的な法則や原理を当てはめることで、個々の結論を導き出すこと

ということでした。

「帰納法」は、一つ一つの例を調べていく中で、「そこに何か法則があるのでは?」と考えていくことです。

一方で、「演繹法」は、先に法則を用意しておき、その法則を一つ一つの例に当てはめて考えていくことです。

分かりやすい例で比較すると、「カラスは何色の鳥だろうか?」という疑問があったとします。

この時に、「一羽目は黒かった」「二羽目も黒かった」「三羽目も黒かった」と一羽一羽を調べていき、最終的に一万羽くらい調べた結果、「カラスって黒い鳥じゃないの?」という結論を導いたとします。

この思考方法は、一つ一つの例から「カラスは黒い鳥である」という法則を導き出したので「帰納法」です。

そして、いったん法則が出来上がったら、今度はこの法則を一つの例に当てはめることが「演繹法」です。

例えば、「そこにカラスという鳥がいる」⇒「カラスは黒い鳥という法則がある」⇒「であれば黒い鳥だ」のように、一羽の鳥に対してすでにある法則を当てはめることを「演繹法」と言うのです。

私たち人間の例で言うと、「あなたはA型なので几帳面である」「あなたはB型なのでズボラである」「あなたはAB型なので変わり者である」などの会話はすべて「演繹法」です。

なぜなら、「A型は几帳面である」という法則を、一人の人間に当てはめているからです。

逆に、「あなたは几帳面である」「彼は几帳面である」「彼女も几帳面である」などの例から、「A型は几帳面である」という法則を見つけた場合、それは「帰納法」となるわけです。

両者のメリット・デメリット

帰納法 演繹法 メリット デメリット

「帰納法」と「演繹法」は、双方にメリット・デメリットがあります。

まず「帰納法」は「予測をすぐに立てやすい」というメリットがあります。

その理由は、たとえ原則や法則がなくても、個別的な事実やデータを元に予測をしていけばいいからです。

例えば、その昔、中世ヨーロッパではペストと呼ばれる伝染病が流行った時期がありました。

誰もペストの原因が分からない中、当時の人は帰納法的に物事を考えました。

「ねずみに近づくと体調が悪くなった人がいる」⇒「あいつもまたねずみに近づいて体調が悪くなった」⇒「もしかして、ねずみがペストを媒介しているのでは?」

結果的に「原因はねずみ」と特定することができたのですが、このような素早い予測ができるのは「帰納法」の長所だと言えます。

しかし、「もしも予測が外れていた場合は、誤った結論を導いてしまう」というデメリットもあります。

例えば、「キノコは安全な食べ物かどうか?」という疑問があったとします。

この場合、「しめじは食べられる」「マツタケは食べられる」「エリンギも食べられる」という例により、「すべてのキノコは食べられる」という帰納法的な結論を導いたとします。

しかし、キノコの中には毒キノコなどもあるため、すべてが食べられるわけではありません。そのため、この思考法は誤った推理となっています。

「帰納法」は、ある程度実験を繰り返し、それなりの数の例を集めないと間違った答えを生んでしまう可能性もあるのです。

一方で、「演繹法」のメリットは「前提さえ正しければ、正しい答えを導き出せること」です。

「演繹法」は、自らが予測をするのではなく、すでにある普遍的な法則を用いて考えていきます。

そのため、使っている法則さえ間違っていなければ確実に正しい結論を出すことができるのです。

例えば、「人間は必ず死ぬ」という法則を使うとしたら、「自分は人間である」⇒「であれば自分は必ず死ぬ」という答えを導き出すことができます。

「演繹法」を上手く使えば、自分がまだ経験したことのないような正しい答えも出すことができるのです。

ただし、「演繹法」は「まず法則を知っておかなければならない」というデメリットもあります。

「演繹法」を使う際は、大前提としてすでにある法則を用いなければいけません。

この法則というのも、自分の頭の中で勝手に考えているものではなく、実証を繰り返した結果、しっかりと証明されているものである必要があります。

仮にその法則が間違ったものであった場合は、当然答えも間違ったものになってしまうのです。

帰納法と演繹法の使い方・例文

 

最後に、「帰納法」と「演繹法」の使い方を実際の例文で確認しておきましょう。

  1. 個別の具体的な事実から、一般的・普遍的な法則を導くことを帰納法と呼ぶ。
  2. 一般的な法則や原理を、個別の具体的な事実に当てはめることを演繹法と呼ぶ。
  3. 演繹は一から多への思考であるのに対し、帰納は多から一への思考である。
  4. 天体観測をすることで、星の動きに一定の法則を見出すのは帰納である。
  5. 大気の運動の法則から、その日の天気や雨量を計算するのは演繹である。
  6. 従来、自然科学などは帰納法により根拠付けられると考えられていた。
  7. 三段論法や弁証法などのような思考法は、演繹的な推理の方法と言える。
  8. ビジネスにおけるマーケティングでは、帰納演繹の両方が求められる。

 

「帰納法」と「演繹法」は、どちらも大学入試現代文の中で用いられることが多いです。現代文では、「科学論」「学問論」などをテーマとした評論文の中でよく登場します。

具体的には、科学や学問の発達とともに、人間の思考方法が変化し、両者が確立されてきたといったものです。

なお、実際の使い方としては、後ろの「法」を省き「帰納」「演繹」と言ったりもします。また、「帰納する」「演繹する」などのように動詞的な使い方をすることもあります。

いずれも文法的な違いはありますが、意味自体はほとんど同じと考えて構いません。

まとめ

 

以上、本記事のまとめとなります。

帰納法」=個々の具体的な事例から、一般に通用する法則・原理を導き出すこと。

演繹法」=一般的な法則や原理を当てはめることで、個々の結論を導き出すこと。

違い」=「帰納法」は一つ一つの例を調べていく中で、共通する法則を導き出すこと。「演繹法」は先に法則を用意しておき、その法則を一つ一つの例に当てはめること。

長所・短所」=「帰納法」は予測をすぐに立てやすいが、その予測が外れていた場合誤った結論になる。「演繹法」は前提が正しければ問題ないが、まず前提となる法則を知っておく必要がある。

「帰納法」と「演繹法」は、お互いが対義語同士の言葉です。両方とも良さがあり、どっちが優れているというわけではありません。科学や哲学は「帰納」と「演繹」を組み合わせて推論していくことで、新しい法則を作り上げてきました。そのため、人間が発展する上ではどちらの思考法も欠かすことはできないのです。