私たちが生きていく上で、「哲学」という言葉を耳にする機会は多いです。
「哲学者」「人生哲学」「仕事の哲学」
普段の生活からビジネスまで幅広く使われています。ただ、実際には意味が分かりにくいと感じる人も多いと思われます。
そこで今回は、この「哲学」の意味をなるべく簡単に分かりやすく解説しました。
哲学の意味を簡単に
まず、「哲学」の意味を辞書で引くと次のように書かれています。
【哲学(てつがく)】
① 世界・人生などの根本原理を追求する学問。古代ギリシャでは学問一般として自然を含む多くの対象を包括していたが、のち諸学が分化・独立することによって、その対象領域が限定されていった。しかし、知識の体系としての諸学の根底をなすという性格は常に失われない。認識論・論理学・存在論・倫理学・美学などの領域を含む。
②各人の経験に基づく人生観や世界観。また、物事を統一的に把握する理念。「仕事に対しての哲学をもつ」「人生哲学」
出典:デジタル大辞泉(小学館)
「哲学」とは簡単に言うと「世界や人生などの根本原理を追求する学問」のことです。
「根本」とは「物事の基礎や一番大事な部分」を指し、「原理」とは「仕組みや法則のこと」を表します。
つまり、「世界や人生において最も大事な法則は何だろうか?」
こういったことを追い求めていく学問が「哲学」なのです。
例えば、以下のようなことを考えるのは「哲学」だと言えます。
- 世界というのはどのようにできているのだろうか?
- 社会というのはどうあるべきなのだろうか?
- 人は何のために生きているのだろうか?
- 人の幸せとは一体何を指すのだろうか?
- 人はなぜ死なないといけないのだろうか?
- 「善」や「悪」の定義とは一体何だろうか?
これらの疑問は、物事の根本的な仕組みを深く追求していくことです。
そして、「答えのない問題」あるいは「答えが出にくい問題」だと言えます。
私たちが学校の授業などで習ってきたことは、たいてい答えや正解というものが決まっていました。
- 「国語」⇒「漢字の読み書き問題」
- 「数学」⇒「方程式や確率の問題」
- 「英語」⇒「リスニング・読解問題」
- 「理科」⇒「生物の名前や化学式の名称」
- 「社会」⇒「歴史の年号や地名の暗記」
これらの学問は、みな答えが明確に定まっています。
ところが、「哲学」というのは答えが決まっている問題を指す学問ではありません。「哲学」は、答えの分からない問題を追求していきます。
つまり、答えの不明な問題に対して自らの思考を使い物事を深く追求していくことが「哲学」という学問なのです。
哲学の語源・由来
「哲学」は、英語だと「philosophy」と表記します。
「philosophy」はギリシャ語の「philein-sophia」を語源とするもので、「philein」は「愛する」、「sophia」は「知」という意味です。
つまり、「知を愛すること」が「哲学」の由来ということです。
元々、「哲学」という言葉は古代ギリシャで誕生しました。
その後、ギリシャからヨーロッパ全土に広がり、17世紀にヨーロッパ人が新大陸を発見した後には、アメリカ大陸にも伝わっていきました。
日本に「哲学」が広まったのは、明治時代(1868年~1912年)に入ってからだと言われています。
日本では明治時代に「西周(にしあまね)」という思想家が、哲学のことを「知を愛することを望む」という意味で「希哲学(きてつがく)」と名付けました。
頭にある「希」は「希望」という熟語があるように、「何かを望む・求める」という意味です。英語だと「want」を意味します。
すなわち、「知を愛することを求めること」という意味で、日本では最初に使われていたことになります。
その後、分かりやすくするために頭の「希」がなくなり、現在の「哲学」という形になったのです。
以上の事から考えますと、「哲学」という言葉は海外、特にヨーロッパでは非常に長い歴史を持っていることが分かるかと思います。
一方で、日本ではというと、明治時代になってようやく誕生した歴史の短いものだと言えます。日本だと長く見積もったとしてもせいぜい100年ちょっとの歴史しかないのが「哲学」なのです。
現在多くの人が「哲学」の意味を分かりにくいと感じる理由は、日本での歴史が浅いことに加え、そもそも日本で生まれた学問ではなく、海外で生まれた学問であるからだと言えるでしょう。
哲学は時代によって異なる
「哲学」という言葉は、時代によって意味が異なります。なぜなら、その時代によって人々が追い求めた法則や考えというのは異なるためです。
哲学というのは、その時代ごとにトレンドのようなものがあるのです。
古代の哲学
まず、すでに説明したように最初に「哲学」が使われるようになったのは古代ギリシャです。
古代という時代(紀元前約700年~紀元後約500年)では、「自然や倫理の探究」が世の中における哲学の中心でした。
自然の探究というのはすなわち、「宇宙がどうできているのか?」「自然はいつからできたのか?」といったことを深く追い求めることです。
現在でも、「自然哲学」という言葉があるように、自然の成り立ちや現象について考えることを当時の哲学者は行っていたのです。
また、「倫理に関する探究」とは、「善とは何か?」「悪とは何か?」といった問題への探究です。
現代では、人を助けるのが「善」、犯罪を犯すのが「悪」のような大まかな言葉のイメージがあります。
しかし、古代という時代は現代よりも混沌としており、何が良い事で何が悪い事といった具体的な物差しがありませんでした。
そのため、哲学者たちは常に倫理に関して思考を巡らせて考えていたのです。
なお、古代の哲学者として有名な人物は、「ソクラテス・プラトン・アリストテレス」などが挙げられます。
中世の哲学
次の時代である「中世(約476年~1453年)」では「神が絶対的」という時代でした。
中世のヨーロッパでは、キリスト教が爆発的に広まり、神が絶対的な存在だったため人々は皆、神を信じていたのです。
神が絶対的な時代だったので、中世の「哲学」は自然と「神についての論理的な思考」という位置付けになりました。
つまり、「神は本当にいるのだろうか?」「神は本当に正しいのだろうか?」「キリスト教を信じれば人は救われるのだろうか?」といったことです。
こういった神の存在自体や神が存在する理由を深く追求し、「キリスト教の常識は本当に正しいのか疑うこと」が中世の哲学だったのです。
別の言い方をするならば、「中世の哲学」=「キリスト教の補完」と考えても問題ありません。
中世の代表的な哲学者としては、「アウグスティヌス」が挙げられます。
近代の哲学
そして、時代は「近代(15・16世紀~20世紀中頃)」へと移ります。
「近代」では「神ではなく人そのものを追求していく考え」が哲学の中心となりました。
近代の代表的な哲学者としては、「デカルト」「カント」「ヘーゲル」の3人が挙げられます。
一人ずつ見ていきましょう。
まず、「デカルト」と言えば「我思う。ゆえに我あり」という有名なセリフがありますが、これはつまり「自己(自我)が存在していること」を端的に表したものです。
デカルトは、「私にとって絶対確実なものは何か?」ということを考えました。
「私」という存在は、疑おうと思えばいくらでも疑うことができます。例えば、何かを見たり触ったりしていても、幻覚だったりする可能性もあります。
あるいは、「私」が見ているもの自体が夢であるかもしれません。
しかし、どれだけ疑ったとしても「私」が疑っていると思っている事実だけは動かない。と考えました。これが有名なセリフの「我思う。ゆえに我あり」です。
デカルトの哲学により「世界を正しく認識する自己(自我)」が哲学の中で大きな位置を占めるようになり、後の時代において社会の中の「個人」が尊重されるようになっていったのです。
そして「カント」と呼ばれる哲学者も、「人」そのものを追求しました。
「カント」は「理性」に基づいて、「自分が良い」と思って行動を決定するのが自由であると主張しました。
どういうことかと言いますと、人は中世のように神によって行動を決めるのではなく、実は「自分たちの意志と理性によって行動を決めている」というものです。
もっと簡単に言えば、「神からの自由」を説いたのが「カント」だと言えます。
そして、この「カント」の後に出てきたのが、「ヘーゲル」と呼ばれる哲学者です。
「ヘーゲル」は「確かに理性によって物事を考えるのは大事だが、自分だけで考えていてもよくない」と主張しました。
彼は「人は他の人と考えていくことで成長していける」と言いました。噛み砕いて言えば、「もっとお互いに話し合いをしよう」と言ったわけです。
「ヘーゲル」は、自分の中の理性と相手の中の理性を突き合わせ、話し合っていくことで人はもっと高次元なレベルに到達できると考えました。
この思考法が有名な哲学の用語である「弁証法」と呼ばれるものです。
現代の哲学
「近代」の後の時代が、私たちが今生活している「現代」と呼ばれる時代です。
一般的には、「現代」と言うと「20世紀後半~現在まで」を指します。
現代の哲学では、「社会のあり方・個人のあり方などを追求していく考え」が中心となりました。
中世では「神」を深く追求していく考え、そして近代では「人」そのものを追求していく考えでした。
しかし、現代では「人」というよりも「社会そのもの」「個人そのもの」を深く追求していく考えに移行していったのです。
言い換えれば、「社会にとっての答えは何か?」「私にとっての答えは何か?」といったことです。
例えば、以下のようなことを考えるのは現代の哲学だと言えます。
- 「良い大学に行くことは幸せに繋がるのだろうか?」
- 「仕事はお金とやりがいのどちらを重視すべきか?」
- 「結婚して子供を産むのは本当に幸せだろうか?」
段々と私たちが抱いている「哲学」のイメージに近づいてきた感じがするのではないでしょうか。
現代の哲学では、過去の哲学のように神や自我を深く追求したりするようなことはありません。
そういう意味では、「過去の哲学自体を批判したのが現代の哲学」と言うこともできます。
なお、現代の哲学者として有名な人物は、「キルケゴール」「ニーチェ」「バタイユ」「アレント」などが挙げられます。
哲学の使い方・例文
最後に、「哲学」の使い方を実際の例文で確認しておきましょう。
- 善や悪、死など実体がないものを深く追求していく学問が「哲学」である。
- 現在の物理学は、古代ギリシャの自然哲学から生み出されたものだと言える。
- 近代の西洋哲学の根本には、キリスト教社会そのものへの批判が含まれていた。
- 現代哲学の思想を端的に表したものとして、「実存主義」や「構造主義」が挙げられる。
- 哲学を学ぶことにより、政治や経済、科学、宗教等以外の視点から物事を考えられる。
- 普段の仕事の仕方を見れば、その人がどういった哲学を持ち仕事に取り組んでいるかが分かる。
- イチローの野球に対する哲学を聞けば、彼の野球に対する向き合い方が分かるだろう。
「哲学」という言葉は、上記のように様々な場面で使うことができます。
大学入試現代文などでは、2~4の例文のように西洋の哲学を時代によって使い分ける形で用いられることが多いです。この場合はすでに説明したように、時代によって意味が異なってくるのが特徴です。
また、現代ではビジネスやスポーツなどで使われることもあります。ビジネスでは、「仕事をする目的は何か?」「どういった信念を持ち仕事へ取り組んでいるか?」といったことが、その人の仕事の哲学となります。
スポーツでは「その人独自の深い考え」を表したものが「哲学」となります。例えば、「イチローの野球哲学」であれば、イチロー選手が今まで野球を行ってきて辿り着いた独自の深い考えや経験や知識に基づいて出された結論という意味になります。
「哲学」は、物事の奥深くを深く追求していくことでした。したがって、スポーツに関する知識や経験、ノウハウなどを深く考えて導き出された結論がその人のスポーツ哲学となるのです。
まとめ
以上、今回は「哲学」について解説しました。
「哲学」=世界や人生などの根本原理を追求する学問。
「語源・由来」=ギリシャ語の「philein-sophia(知を愛すること)」
「古代の哲学」=自然や倫理の探究が中心。
「中世の哲学」=神についての論理的な思考が中心。
「近代の哲学」=神ではなく人そのものを追求していく。
「現代の哲学」=社会のあり方・個人のあり方を追求していく。
「哲学」の意味は各時代によって異なりますが、共通しているのは「物事を深く根本から考え抜いていくこと」です。人々の常識というのは、その時代により常に移り変わってきました。こういった常識や価値観を各時代によって疑い、自分の頭の中で考えていくのが「哲学」という学問なのです。