「ニヒリズム」という言葉をご存知でしょうか?
一般的には、「ニヒリズム」は
哲学の用語というイメージだと思います。
なぜなら、この言葉を学ぶと
ニーチェなどの哲学者の名前が出てくるからです。
ただ、実際には哲学だけでなく
大学入試現代文の用語としても出てくる重要単語でもあります。
そこで今回は、この「ニヒリズム」について
なるべく簡単に分かりやすく解説しました。
さっそく、確認していきましょう。
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ニヒリズムを簡単に
まず、「ニヒリズム」の意味を辞書で引くと、
次のように書かれています。
【ニヒリズム】
⇒真理・価値・超越的なものの実在やその既成の様態をことごとく否定する思想的立場。
①一般に無や空を主張する思想態度。仏教・老荘思想をはじめとして古来から多くの形態がみられる。
②特にヨーロッパ近代社会やキリスト教文明の根底に対する否認の思想。一九世紀後半のロシアの文学思潮・革命思想、ニーチェの哲学などに顕著。虚無主義。
出典:三省堂 大辞林
「ニヒリズム」とは、簡単に言うと、
「真理や価値を否定する考え方のこと」です。
「真理(しんり)」とは、
「絶対的に正しいこと」だと考えてください。
要するに、「絶対的に正しいことなんてない」
という考え方を「ニヒリズム」と言うわけですね。
具体例を出しましょう。
私たちの身の回りには、
「絶対的に正しい」という考え方があふれています。
- 人は必ず仕事をするべきである。
- 夢や目標は必ず持った方が良い。
- 人は絶対に殺してはいけない。
いずれも、当たり前のことですよね。
ところが、「ニヒリズム」というのは、
このような考え方を否定します。
「ニヒリズム」では、
- 「なぜ働かなければいけないのか?」
- 「なぜ夢を持たないといけないのか?」
- 「なぜ人を殺してはいけないのか?」
といった質問に、
「究極的には答えがない」と考えるのです。
言いかえれば、
「そんなこと考えても意味ない」
「正解なんてあるわけない」ということですね。
「ニヒリズム」は、一般的には、
「虚無主義(きょむしゅぎ)」と訳されています。
「虚無」とは「何もない・からっぽ」という意味です。
そのため、
「働く意味なんて何もない」「夢を持つ意味なんて何もない」
という意味になるのです。
「ニヒリズム」は、
世の中の全ての物事は「虚無」であり、
人間が作った勝手な解釈だと考えます。
したがって、
真理や道徳・価値観などは「根拠がない」と主張し、
真っ向から否定するわけです。
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ニヒリズムは近代で生まれた
「ニヒリズム」を理解するには、
歴史的な背景を知っておく必要があります。
まず大事なのは、「ニヒリズム」は、
「近代以降になって生まれた考え方」ということです。
※「近代」=世界だと15世紀以降~20世紀中頃。
「ニヒリズム」は、
近代以前には存在しない考えでした。
なぜなら、近代より前は神が絶対的という時代(中世)だったからです。
近代より前は、神様が人間に
「生きる意味・価値観」などを与えてくれました。
そして、人々も
「神のためにがんばろう」「神のために生きよう」
という考えが根底にありました。
しかし、近代になると様々な考えが生まれ、
「神が絶対的」というキリスト教的な価値観は次第に否定されるようになります。
そして、
「個人の自由を尊重する考え」が広まっていったのです。
「自由」であることは、人間にとって
選択肢が増え、人生が豊かになったことだと言えます。
ただ、それと同時に
「生きる意味を自分で見出さなければならなくなった」とも言えるのです。
簡単に言えば、
「人は誰のために生きるのか?」「何のために生きるのか?」
「なぜ死なないといけないのか?」といった問題です。
もしも、生きる意味を見い出せなかった場合、
人は人生の目標がよく分からなくなってしまいます。
その結果、世の中のあらゆる価値を
否定する態度にもつながりかねません。
「ニヒリズム」とは、このように
宗教的な価値観が薄くなった結果、生まれた考えだったのです。
大まかな流れを整理すると、
「前近代(神が絶対的という時代)」⇒「近代(個人が主役の時代)」⇒「自由を得て、選択肢が増える」⇒「同時に、生きる意味が分からなくなる」⇒「ニヒリズムが誕生」
このように考えると分かりやすいです。
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ニーチェが唱えたニヒリズム
「ニヒリズム」の代表的な哲学者としては、
「ニーチェ(1844年~1900年)」が挙げられます。
ニーチェと言えば「神は死んだ」
というあまりに有名なセリフがあります。
これはつまり、「神なんて死んだ。もうこの世にいない」という
ニーチェによる「キリスト教への批判」を示したものです。
キリスト教というのは元々、一つの神を信じる宗教で、
「弱きものを救う」ということを行ってきました。
「貧しかったり弱かったりしても、神に祈りを捧げれば幸せになれる」
こういった思想がキリスト教の根本にはあったのです。
しかし、
ニーチェはこのようなキリスト教に対して疑問をぶつけます。
ニーチェ「キリスト教は色々な事をやってきたが、序列や派閥がものすごくありその上で常に争いごとをしている。よく見れば結局、強いものが勝っているではないか?」
すなわち、今までの「弱きものを救う」という考え自体が嘘で、
強い者が幸せになれて、弱い者は幸せになれないという事実を
キリスト教は隠していると主張したのです。
さらにニーチェは、聖なるキリストを一生懸命崇めたり、
キリスト教という宗教自体を盲目的に信じている社会全体もよくないと主張しました。
こうした流れでニーチェが唱えたのが、
「超人思想(ちょうじんしそう)」と呼ばれるものです。
「超人思想」とは、
「どれだけ批判をされても自己肯定を続ける」という考え方です。
言い換えれば、
「個人がもっと強くなっていい」とする思想のことです。
そして、ニーチェはさらに言います。
「人生に意味や価値・目的などを見出さなくてもいい。単に自分自身が強い意志を持ち、影響力を広げていけば良いのである。」
これを「積極的ニヒリズム」と言います。
「積極的ニヒリズム」とは、
「既存の価値観を虚無とし、新しい価値観として生きていく」という意味の言葉です。
「積極的ニヒリズム」には、
真理や価値自体を否定するという意味はありますが、
人生を前向き・肯定的に捉えます。
そのため、「能動的ニヒリズム」と言うこともあります。
これに対して、「能動的」の「対義語」という位置付けで
通常のニヒリズムを「受動的ニヒリズム」と呼ぶこともあります。
いずれにせよ、ニーチェが唱えたニヒリズムは、
通常のニヒリズムではありません。
そして、偶然思いついたような
その場限りの思想というわけでもありません。
「ニーチェ」は全てのものを無価値と考えることにより、
逆に「毎日を前向きに生きよう」と考えました。
それは、当時のヨーロッパ社会やキリスト教文明への批判から生まれた強い意志を反映させたものでもあるのです。
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ニヒリズムの使い方・例文
では、最後に「ニヒリズム」の使い方を
実際の例文で確認しておきましょう。
- 「人生など意味がない」と考えるのは、ニヒリズムだ。
- 価値や権威を一切否定する考え方が、ニヒリズムである。
- 彼は「大学など行く意味がない」とニヒリズム的なことを言った。
- 戦後の敗戦国は、信じていた価値観の崩壊によりニヒリズムに陥った。
- ニーチェは積極的ニヒリズムを肯定した哲学者である。
- ニーチェの積極的ニヒリズムにより、既成の価値観を打ち破っていく。
「ニヒリズム」という言葉は、
否定的な意味で使われることが多いです。
具体的には、「生きる意味を見失う」「人に流されて生きていく」
といった消極的な考え方です。
現代でも、それについて論じた書籍は多数発行されています。
ただし、場合によっては良い意味で使うこともあります。
上の例文だと、最後の2つです。
この場合はすでに説明したように、
「すでにある価値観を虚無とし、新しい人間としての
生き方を見出していく」という前向きな考え方です。
ニーチェの「積極的ニヒリズム」として使う場合は、
近代的なテーマを扱った文章の中で用いられることが多いです。
ニーチェは、19世紀末という早い段階から
「ヒューマニズム」を疑い「近代」という時代を批判しました。
そのため、内容としては近代を
批判するような流れで用いられると考えていいでしょう。
関連:>>ペシミズム(厭世主義)とは?意味や対義語・例文を解説
まとめ
以上、内容を簡単にまとめると、
「ニヒリズム」=真理や価値を否定する考え方のこと。虚無主義。
「由来・背景」=「神が絶対的」という宗教的価値観が薄れた結果、生まれた。
「ニーチェが唱えたニヒリズム」=「積極的ニヒリズム」
「使い方」=良い意味でも悪い意味でも使う。
ということでした。
長い人生、何が正解か分からなくなる場合もあるかと思います。
そんな時は一歩引いて、
「真理を疑ってみる」ということも大事かもしれません。
では、今回は以上となります。
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国語力アップ.com管理人
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