ベンサムの「功利主義」という言葉をご存知でしょうか?
一般的には、哲学や倫理に関する場面でよく使います。また、大学入試・現代文の用語として登場することもあります。
ただ、この「功利主義」を分かりにくいと感じる人は多いようです。そこで今回は、「功利主義」の意味をなるべく簡単に解説しました。
功利主義の意味
まず、「功利主義」を辞書で引くと次のように書かれています。
【功利主義(こうりしゅぎ)】
①功利を第一とする考え方。
②幸福を人生や社会の最大目的とする倫理・政治学説。「最大多数の最大幸福」を原理とする。英国のベンサムやミルによって唱えられた。功利説。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
「功利主義」とは簡単に言うと「幸福の追求や社会全体の利益を最善とする考え方」のことです。
人間は、生きている間に様々な考えによって行動します。例えば、以下のような考えです。
- 大学に受かるために猛勉強しよう。
- 経験のためにきつい仕事をしよう。
- メンタルを鍛えるために修業しよう。
当然のことながら、時には苦痛が伴うものもあります。しかし、「功利主義」では、このような苦痛は人間にとって良くないことだと考えます。
「功利主義」は、「すべての行動が、幸福・快楽をもたらすかどうか?」に重点を置きます。
したがって、基本的な考えとしては
「幸福や快楽をもたらす行動」⇒「善」「不幸や苦痛をもたらす行動」⇒「悪」
となるわけです。
言葉の意味を補足すると、「功利」とは「快楽を求めて、苦痛を避ける人間の傾向」を意味します。そして、「主義」とは「考え方」を意味します。
つまり、「苦痛を避けて、みんなが幸せになろう」とする考えを「功利主義」と呼ぶことになります。
功利主義の具体例
「功利主義」は、元々「ジェレミ・ベンサム(1748年~1832年)」という学者が唱えたのが始まりです。
「ベンサム」は、「人の幸せは数字によって表せる」と主張しました。これを「量的功利主義」と言います。
簡単な例を出しましょう。「A君」「B君」「C君」「D君」の4人に5つのチョコレートを分け与えるとします。
- 「A君」⇒3つ(快)(+3)
- 「B君」⇒2つ(快)(+2)
- 「C君」⇒なし(苦痛)(-1)
- 「D君」⇒なし(苦痛)(-1)
※右側の「+」や「-」は、「大まかな幸せの数値」だと仮定します。
「A君」と「B君」はチョコをもらえたので快(+)です。一方で、「C君」と「D君」は一つもチョコをもらえていないため苦痛(-)です。
幸せの計算は、4人全員の「快」と「苦痛」を足して求められます。
「(+3)+(+2)+(-1)+(-1)」=「3」
よって、4人全体の幸せ数の合計は「3」となります。
では、次のような場合はどうでしょうか?
- 「A君」⇒2つ(快)(+2)
- 「B君」⇒1つ(快)(+1)
- 「C君」⇒1つ(快)(+1)
- 「D君」⇒1つ(快)(+1)
この場合は、全員がチョコをもらえているため、4人とも「快」です。
そして、幸せ数の計算は「(+2)+(+1)+(+1)+(+1)」=「5」となります。
先ほどよりも幸せの合計値が増えてますよね?「3」と「5」ならば、後者の方が明らかに全体の幸せ度が高いでしょう。
このように、限られた幸福をできるだけみんなに分配することを「最大多数の最大幸福」と言います。
簡単に言えば、「より多くの人に利益や幸福を与える」ということです。
「功利主義」は、社会全体に利益が行き渡ることを望みます。そして、より多くの利益・幸福とより少ない苦痛を追い求めることを重視します。
したがって、全体の幸せ数を足した合計が多い方が社会にとって望ましいと考えるのです。
功利主義の問題点
ここまで「功利主義」のメリットばかりを取り上げてきました。しかし、「功利主義」にも問題点はあります。
それは、「幸福度を数値化しにくい」ということです。
先ほどの例だと、チョコをもらえた数によって大まかな幸福度を数値として出しました。しかし、たいていの場合、人の幸せ度は数値で表すことができません。
例えば、
- 「私はチョコが大好きなので、人の2倍幸せを感じる。」
- 「君がチョコを食べた時の幸せ度は10だが、私が食べた時は20だ。」
- 「だから、私の方が君よりもチョコを多く食べるべきだ。」
などと言う人が現れたらどうでしょうか?
当然、言われた相手としては納得しないはずです。
「なぜあなたの感覚によって、幸せの数値が変わるのか理解できない」と考えるのが普通でしょう。
幸福や満足度というのは、その人の主観的な感覚です。したがって、客観的な数値として計測することは難しいのです。
そのため、現在の経済学では功利主義をベースとしないのが原則となっています。
また、その他の問題点としては「少数派の抑圧」が挙げられます。「多数の幸福」を実現するためには、少数を犠牲にすることもやむをえません。
例えば、臓器移植を希望している5人がいたとしましょう。5人ともそれぞれ別の箇所の臓器を希望していると仮定します。
もしも1人の何の罪もない健康な人の臓器をこの5人に移植するとしたらどうでしょうか?5人は助かるかもしれませんが、1人は亡くなってしまうかもしれません。
しかし、「功利主義」はこのような考えを肯定する可能性もあります。なぜなら、少数よりも多数の幸福を実現する考えだからです。
「功利主義」では、1人よりも3人を、3人よりも5人を、そして5人よりも10人の幸福を優先します。そのため、場合によっては少数の個人を切り捨ててしまうような考えも通用してしまうのです。
功利主義の使い方・例文
「功利主義」という言葉は、実際にどう使えばよいのでしょうか?以下の例文で確認しておきましょう。
- 社会全体の利益を最大化するのが、功利主義である。
- ベンサムの功利主義は、最大多数の最大幸福とも呼ばれる。
- ミルは質的功利主義によって幸福の質の違いを主張した。
- 功利主義の根本には、快楽を追究していく考えがある。
- 功利主義に基づき、1人を犠牲にして5人を助けよう。
- 功利主義と利己主義は似ているが、意味の異なる言葉だ。
補足すると、ベンサムの後に功利主義を説いたのがミルです。
※「ミル(ジョン・スチュアート・ミル)」=イギリスの哲学者・政治学者。
ミルもベンサムと同様に功利主義を唱えましたが、彼は同じ幸せでも質的に違いがあると説きました。言いかえれば、「幸せは人によって違う」と主張したのです。
例えば、快楽を重視する本能的な幸福よりも、知的・文化的で理性的な幸福の方が質的に大きな幸福を得られると主張したのです。
同じ功利主義でも考え方が異なるため、ミルの思想を「質的功利主義」、ベンサムの思想を「量的功利主義」と区別して用いることもあります。
なお、「功利主義」と「利己主義」の違いは「社会全体を考えるかどうか」です。
「利己主義」は、社会全体については考えません。すなわち、自分の利益や欲求を満たすことのみ考えるということです。
一方で、「功利主義」の基本には、社会全体を考えるという思想がベースにあります。「利己主義」の詳しい意味は、以下の記事を参照して下さい。
まとめ
以上、本記事のまとめとなります。
「功利主義」=幸福の追求や社会全体の利益を最善とする考え方。
「具体例」=限られたモノをできるだけみんなに分配すること。
「問題点」=幸福を数値化しにくい。少数派の抑圧。
「功利主義」は、一見理にかなった考え方にも見えます。しかし、場合によっては他人の幸福を自己解釈したり、全体のために一人を犠牲にしたりする怖さもあるのです。文章を読む際は、そういった良い面・悪い面の両方に注目する必要があると言えます。