「きわめる」という言葉は、複数の漢字が使われています。
「混雑を極める」「学問を究める」「困難を窮める」
これらの「きわめる」は、一体どう使い分ければいいのでしょうか?本記事では、「きわめる」の意味の違いについて詳しく解説しました。
極めるの意味
まずは、「極める」の意味からです。
【極める(きわめる)】
⇒限界・頂点に達すること。最上に至ること。
「極める」とは「これ以上ない状態まで進むこと」を意味します。
【例文】
- 栄華を極める。
- 山頂を極める。
- 混雑を極める。
- ぜいたくを極める。
- 失礼極まりない態度。
「極める」の「極」は、「極度」「極限」などの熟語があるように、頂上や限界地点まで達する様子を表しています。
例えば、「栄華(えいが)を極める」であれば、権力や財力によって極限まで栄えることです。また、「山頂を極める」であれば、山の頂上、すなわち一番上までたどり着くことを意味しています。
このように、何かの程度や規模が限界まで達する様子を表した言葉が、「極める」ということになります。
なお、「極める」は一番上の頂点に限らず、一番下の頂点に達するという意味も含んでいます。したがって、「失礼極まりない」のように悪い意味での度合いを表すような時にも使われることがあります。
究めるの意味
続いて、「究める」の意味です。
【究める(きわめる)】
①よく調べたり研究したりして、本質をつかむこと。
②物事を奥深い所まで明らかにすること。
「究める」とは「物事を深く突き詰めていくこと・明らかにすること」を意味します。
【例文】
- 学問を究める。
- 真相を究める。
- 心理を究める。
- 経済学を究める。
- 技術を究める。
「究める」の「究」は、「追究」「研究」「探究」などの熟語と同じ漢字です。つまり、「究」という字は「学問などを深く研究し、突き詰めていくこと」という意味になります。
例えば、数学や化学などの学問を深く研究すること、スポーツの技術などをとことん突き詰めていくことなどは、「究める」と言うことができます。学問的・精神的なことを明らかにするような行為であれば、それは「究めること」となります。
窮めるの意味
最後に、「窮める」の意味です。
【窮める(きわめる)】
①行き詰まること。
②突き詰めること。
「窮める」とは「物事が行き詰(づ)まること」を意味します。
【例文】
- 困難を窮める。
- 貧困を窮める。
- 進退窮まる。
「窮める」の「窮」は、「困窮(こんきゅう)」「窮屈(きゅうくつ)」などの熟語からきています。要するに、「状況が行き詰まる様子」を表した言葉ということです。例えば、「困難を窮める」であれば、「困難な状況になって物事が行き詰まること」、「進退窮まる」であれば、「進むことも退くこともできず、どうにもならない苦境に陥ること」を意味します。
一般的には、「窮める」は否定的な意味として使われることが多いです。ただし、場合によっては「突き詰めること」という良い意味で使うこともあります。例を挙げますと、「真理を窮める」のような使い方です。この場合は「究める」の②の意味と同じですが、実際の用例としては多いものではありません。
極める・究める・窮めるの違い
ここまでの内容を整理すると、
「極める」=これ以上ない状態まで進む。
「究める」=物事を深く突き詰めていく。明らかにする。
「窮める」=物事が行き詰まる。突き詰める。
ということでした。
それぞれの違いを簡単にまとめると、
「極める」=「極限・極度」の意味の場合に使う。
「究める」=「追究・探究」の意味の場合に使う。
「窮める」=「困窮・窮屈」の意味の場合に使う。
となります。
基本的には、上記のような理解で問題ありません。ただ、「窮める」に関しては、受験や漢字検定などにおいてはあまり使われるものではありません。多くの場合、「極める」と「究める」のどちらかが出題されています。
そのため、3つの使い分けをもっと簡単に言うなら、「学問的・精神的な意味で使うかどうか?」と覚えてもよいです。
「究める」は、基本的に学問的・精神的なものを対象とします。一方で、「極める」は何かを追究したり、本質を明らかにしていくような意味はありません。
したがって、「究める」⇒学問的・精神的なものに使う。「極める・窮める」⇒それ以外に使う。と覚えれば区別しやすくなるということです。
まとめ
以上、本記事のまとめです。
「極める」=これ以上ない状態まで進む。(極限・極度の意味)
「究める」=物事を深く突き詰めていく。明らかにする。(追究・探究の意)
「窮める」=物事が行き詰まる。突き詰める。(困窮・窮屈の意)
どれも使い方が異なりますが、「究める」は学問的・精神的なものに対して使います。そのため、まず「究める」を先に覚え、その後に他の使い方を覚えることをおすすめします。