明鏡止水 意味 使い方 由来 例文 類義語 英語

「明鏡止水」という四字熟語をご存知でしょうか?

使い方としては「明鏡止水の心」「明鏡止水の境地」などのように用います。身近な例だと「日本酒」の商品名にもなっているようです。

本記事では、そんな「明鏡止水」の意味や使い方、語源、類義語などを詳しく解説しました。

明鏡止水の意味・読み方

 

まずは、基本的な意味と読み方を紹介します。

【明鏡止水(めいきょうしすい)】

くもりのない鏡と波立たない静かな水の意。心にやましい点がなく、澄みきっていること。

出典:三省堂 大辞林

明鏡止水」は「めいきょうしすい」と読みます。

意味は「心にやましい点がなく、澄(す)み切った状態のこと」です。「やましい」とは、「悪い心・正しくない心のこと」だと考えてください。

例えば、山にこもり長く苦しい修業を何年も続けているような人がいたとします。そして、ずっと修行をし続けた結果、いつの間にか本能や欲望に任せるようなことがなくなりました。

このような人は、「やましい心」や「いやしい心」は持ってはいません。よって、「明鏡止水の境地に達している」と言うことができます。

つまり、「明鏡止水」とは心に汚い部分がなく、純粋できれいな状態を意味するということです。

イメージとしては「お坊さん」を思い浮かべると分かりやすいでしょう。お坊さんは心が落ち着いていて静かな境地に達しています。そして、心の中に邪念がありません。

このように、悪い考えを持たず純粋で静かな心を表す四字熟語が「明鏡止水」なのです。

明鏡止水の語源・由来

 

「明鏡止水」は、「明鏡」と「止水」に分けることができます。

まず「明鏡」は「明るい鏡」と書くので、「一点の曇りもないきれいな鏡」を指します。そして、「止水」は「水を止める」と書くので、「流れが静止しているきれいな水」を表します。

両者を合わせることで、「心が清らかで澄み切った状態」という意味になるわけです。

「明鏡止水」は、古代中国の「荘子(そうし)」の「徳充符(とくじゅうふ)」という書物が由来です。厳密に言うと、その中の二つの話から来ています。

一つ目は、「明鏡」の由来です。

昔々、「子産(しさん)」と「申徒嘉(しんとか)」という二人の弟子がいた。どちらも同じ師匠の下で働くという共通点はあった。

しかし、「子産」は身分の高い大臣職だったため、周りの人間を見下していた。一方で、「申徒嘉」は身分も低く、足切りの刑を受けた元犯罪者であった。

ここで、「申徒嘉」は「子産」に言った。

「あなたは大臣であることを鼻にかけ、常にいばっている」

これはきれいで明るい鏡にゴミがつくのと同様に、敬意を評されるものではありません。

この話が元となり、「明鏡」は「きれいで澄んだ心」を表すようになりました。

そしてもう一つは、「止水」の由来です。

昔々、「魯(ろ)」の国に、「王駘(おうたい)」という人物がいた。彼は足を切られた元犯罪者だったが、なぜか弟子からは尊敬されていた。

そこで、一人の人間が「孔子」に質問をした。「彼はなぜそこまで人気があるのですか?」

すると、孔子は「人は流れ動く水ではなく、止まった水を鑑(かがみ)とする。」と答えました。

要約すると、孔子は「流水のようにあたふた動くのではなく、止水のごとく静かで動じない心が大事だ」と言ったわけです。ここから、現在の「静かで落ちついた心」を表す「止水」が使われるようになったということです。

以上、この二つの話が元となり「明鏡止水」が作られたということになります。

明鏡止水の類義語

明鏡止水 類義語続いて、「明鏡止水」の「類義語」を紹介します。

虚心坦懐(きょしんたんかい)】⇒わだかまりがない素直な心で物事にのぞむこと。「虚心」は「心を空にする」、「坦懐」は「気持ちを平らにする」という意味。
則天去私(そくてんきょし)】⇒小さな自分を捨てて、ありのままに生きること。「則天」は「天に従うこと」、「去私」は「自分中心の考えを捨てること」を表す。
光風霽月(こうふうせいげつ)】⇒心が澄み切っていて、さわやかなこと。「さわやかな風」と「晴れやかな月」を合わせた四字熟語。
無想無念(むそうむねん)】⇒あらゆる気持ちの迷いをなくすこと。※前後を逆にして、「無念無想」と言うこともある。
一片氷心(いっぺんひょうしん)】⇒汚れがなく、清らかな心のこと。「ひとかけらの氷のように澄んだ心」という意から。

いずれも共通しているのは、「純粋である・邪念がない」といった意味です。心の中がきれいな様子を表す言葉であれば、基本的に類義語と呼べます。

明鏡止水の対義語

 

逆に、「対義語」としては次の三つが挙げられます。

意馬心猿(いばしんえん)】⇒煩悩や妄念により心が混乱して落ち着かない様子。走り回る馬や騒ぎ立てる猿は心が落ち着いていないことから。
焦心苦慮(しょうしんくりょ)】⇒心を焦らせて、思い悩むこと。「焦心」とは「あせる心」、「苦慮」とは「思い悩むこと」を表す。
疑心暗鬼(ぎしんあんき)】⇒相手のことを疑っている様子。「疑心」は「疑う心」、「暗鬼」は「暗闇の中の亡霊」を表す。

反対語の場合は、心が落ち着いていなかったり、相手のことを疑ったりする意味を持つ四字熟語です。きれいな心ではない状態を表す言葉なので、あまり良い意味としては使われません。

明鏡止水の英語訳

 

「明鏡止水」は、英語だと次のように言います。

clear and serene

「clear」は「きれいな・澄んだ」、「serene」は「静かな・落ち着いた」という意味です。両者を合わせることで、「きれいで落ち着いた状態」と訳すことができます。

例文だと、以下のような言い方です。

His mind is clear and serene.(彼の境地は明鏡止水である。)

なお、「落ち着いた」という意味では「calm」を使っても構いません。その場合は、「clear and calm」という言い方をします。

明鏡止水の使い方・例文

 

最後に、「明鏡止水」の使い方を例文で紹介しておきます。

  1. 彼は娯楽や享楽を捨てて、明鏡止水の境地に達した。
  2. 長年の苦労を積み重ねた結果、明鏡止水の心境になった。
  3. 天に誓ってやましい点はありません。明鏡止水の心境であります。
  4. 明鏡止水のように、何事も動じない心で望みましょう。
  5. どんな悪口を言われようと、今の私の明鏡止水の心です。
  6. 明鏡止水を意識して、邪心をなくすようにしてください。
  7. 真の意味での断食は、明鏡止水の心境でなければならない。

 

明鏡止水は例文のように様々な場面で使えますが、基本的な用例としては、後ろに「」「心境」「境地」などがつくことがほとんどです。

その中でも特に、「明鏡止水の心境」「明鏡止水の境地」といった言い回しが多いです。

また、イメージとしては宗教的な場面で使われそうですが、必ずしもそうではありません。単に「心を清らかにする」という意味で使うこともあります。

そういう意味では、「明鏡止水」は日常生活でも使える四字熟語だと言えます。

まとめ

 

以上、今回のまとめです。

明鏡止水」=心にやましい点がなく、澄(す)み切った状態。

語源・由来」=「明るい鏡」と「静止した水」。(荘子の徳充符から)

類義語」=「虚心坦懐・則天去私・光風霽月・無想無念・一片氷心」

対義語」=「意馬心猿・焦心苦慮・疑心暗鬼」

英語訳」=「clear and serene」「calm」

人は誰しも心が落ち着かない状態になることがあります。特に大舞台などの緊張する場面ではそうでしょう。そんな時は「平静な心」すなわち「明鏡止水」の心で挑んでみてはいかがでしょうか?