檸檬 解説 教科書 わかりやすく 簡単に 学習の手引き 伝えたいこと

小説『檸檬』は、梶井基次郎による文学作品です。高校現代文の教科書にも採用されています。

ただ、本文を読むとその内容が分かりにくいと感じる人も多いと思われます。そこで今回は、『檸檬』のあらすじや主題、テスト対策などを簡単に解説しました。

『檸檬』のあらすじ

 

本作は、主人公である「私」の心理の動きを、具体的な場面の展開に応じて三つの段落に分けることができます。

あらすじ

①私は病気や借金からくる「えたいの知れない不吉な塊」に心を抑えつけられていた。以前好きであった美しい音楽や詩にも辛抱できず、いたたまれない思いで街を浮浪し続けていた。その頃の「私」が強くひかれたものは、なぜだか「みすぼらしくて美しい」ものだった。風景にしても壊れかかった街だとか、よそよそしい表通りよりも裏通りが好きだった。私はそんな道を歩きながら、そこが京都の街ではなく、どこか違う場所に来ている錯覚を起こし、現実の私自身を見失うのを楽しんだ。また、「私」は花火やびいどろというおはじき、南京玉も好きになった。そういったものは自然に「私」の心を慰めてくれた。生活がまだむしばまれていなかった以前の「私」は、「丸善」とそこにある品物が好きだった。しかし今や「丸善」も「私」には「重くるしい場所」にすぎず、すべてが「借金取りの亡霊」のように見えた。

②ある朝、友達の下宿を転々として暮らしていた「私」は、追いたてられるような気持ちで街へさまよい出た。街をずっと歩いていた私は、以前から好きだった果物屋で足を止めた。そこは果物屋固有の美しさを感じさせ、夜の光景も美しく、「私」を興がらせた。その日、「私」はいつになくその店で一顆(いっか)の檸檬を買うことにした。檸檬を握った瞬間から、私の心を終始抑えつけていた不吉な塊が緩んできて、「私」は街の上で非常に幸せな気分になった。檸檬の冷たさは熱のある身にしみとおっていくように快く、その匂いは「私」の身内に元気を目覚めさせた。「私」は興奮に弾んで歩いた。「私」には檸檬が「全ての善いもの全ての美しいもの」であるように感じた。

③檸檬のおかげで幸福感に満たされていた「私」は、平常避けていた「丸善」に入ってみた。だが、どうしたことか、私の幸福な感情はだんだんと失われ、憂鬱になってしまった。以前好きだった画本にさえも、私の気持ちは湧いてこなかった。「私」はふと、画本を積み上げた上に檸檬を置くことを思いついた。上に据えつけられた檸檬は、さまざまな色彩をその中に吸収し、カーンと冴えかえっていた。不意に、「第二のアイディア」が起こった。「私」は檸檬をそのままにして、「丸善」から出ることを思いつき、そして実行した。爆弾に見立てた檸檬により、「気づまりな丸善」がこっぱみじんに大爆発することを熱心に想像しながら、「私」は街を彩っている京極を下がっていった。

『檸檬』の本文解説

 

小説『檸檬』が書かれたのは1920年代のことです。当時はロシア革命や第一次世界大戦など世界的な革命が多発した時代であり、芸術の世界ではダダイスムという思想が起こされることになります。

「ダダイスム」とは、すでにある秩序や常識に対する、否定・攻撃・破壊といった考えを主なものとする思想です。この『檸檬』も作者である梶井氏が、芸術家の内的革命として書いた作品だと言われています。

主人公である私は、「えたいの知れない不吉な塊」に悩まされることになります。小説の中では、この不吉な塊の正体ははっきりと明かされていませんが、肺尖カタルや神経衰弱のせいではないと述べられています。

これは、作者自身が憧れていた芸術に対して、その道が険しいこと、その素晴らしい世界へなかなか到達できないことへの苦悩だと推測することができます。

そんな苦悩の中、私は果物屋で一個の檸檬を買うことになります。私にとってその檸檬は幸せな気分になり、元気を目覚めさせてくれるものでした。そして私はその檸檬を「全ての善いもの全ての美しいもの」の象徴であるように感じることになります。

檸檬によって幸福感に満たされた私は、普段なら避けていた「丸善」に入ることになります。「丸善」は、今でこそチェーン展開されている有名な書店ですが、当時は普通の書店ではなく、ほぼ唯一の洋書を扱う書店でした。

私が丸善へよく通っていたのは、丸善には過去の偉大な芸術品が豊富にあったからだと考えられます。

この丸善は、豊富な芸術に触れれば触れるほど現実を突きつけられる書店であったため、以前の私は避けていた場所でした。

ところが、自分の中で確かに美しいものだと感じた「檸檬」を見つけた私にとって、以前は避けていた丸善にも入ってみようという気持ちになったということです。

丸善にある美は、すでに権威づけられた過去の美の堆積であり、それはいまの彼にとって、もはや重量でしかありませんでした。そのため、私は積み重ねた画集の上に檸檬という爆弾を置いて立ち去ることになります。

この事により、私は過去の芸術との決別を果たすことになります。画集とは古い価値観、古い美の堆積であり、その上に檸檬の爆弾を仕掛けて過去の芸術を破壊することにより、自分のものではない芸術から解放されたことが分かります。

つまり、私は今まで憧れていたものの、自分を縛り付けて重荷となっていた過去の芸術を破壊し、自分自身の芸術を得ることで全ての苦悩から解放されたということです。

新しい芸術の戦士となる決意表明が、この「檸檬」という小説の大きなテーマとなっています。

えたいの知れない不吉な塊に支配されている「私」の鬱屈した現実を、檸檬を爆弾に見立てること、つまり錯覚という想像力を使うことで、自分自身の芸術の変革を行った小説ということです。

作者梶井基次郎[1901年~1932年]大阪府出身の小説家。1926年末から結核療養のため伊豆の湯ヶ島温泉に滞在し、一年ほどを過ごす。その後、大阪に帰り病床にあったが、創作を続けた。1931年5月に創作集『檸檬』を刊行したものの、翌年31歳で逝去。短命だったため作品数も少なかったが、後の作家たちに大きな影響を与えた。

『檸檬』のテスト対策問題

 

問題1

次の傍線部の仮名を漢字に直しなさい。

①神経がスイジャクする。

②友人をナグサめる。

エンピツを購入する。

ロコツに顔に出す。

ユウワクに負けない。

フシンな出来事。

コクメイに調べる。

ジンジョウではない行動。

解答①衰弱 ②慰 ③鉛筆 ④露骨 ⑤誘惑 ⑥不審 ⑦克明 ⑧尋常
問題2「あるいは不審なことが、逆説的な本当であった。」とあるが、これはどういうことか?
解答例檸檬を一つ握った瞬間から、あんなにしつこかった憂鬱が紛らされるなどということは、通常ではありえない不思議なことだが、その常識的ではないことこそが、むしろ私にとっては紛れもない事実であったということ。
問題3「思いあがった諧謔心」とあるが、私はなぜ「思いあがった諧謔心」と表現したのか?
解答例一個の果実の「重さ」に「全ての善いもの全ての美しいもの」が「換算」されていると見立てるのは「諧謔心」のあることだが、そこまで言うのはさすがにうぬぼれていると感じたため。
問題4「私は変にくすぐったい気持ちがした」とあるが、ここでの私の心理はどのようなものだったと考えられるか?
解答例突然思いついた奇妙でひそかなたくらみに、心を躍らせるような気持ち。
問題5「私」が「檸檬」を気に入ったのはなぜだと考えられるか?
解答例いつも熱で体が熱い「私」にとって、身内にしみとおってゆく檸檬の冷たさや香りは快く、しつこかった憂鬱を紛らせてくれるように感じて幸福だったし、また、その重さに「全ての善いもの全ての美しいもの」が換算されていると考えてもやはり幸福だったから。
問題6「第二のアイディア」とは、どのようなことか?また、「私」はなぜそれを実行したと考えられるか?
解答例画本の上に檸檬を置いたまま、店を出ていくこと。「私」という奇怪な悪漢が仕掛けた、黄金色に輝く檸檬という恐ろしい爆弾により、丸善が大爆発をするという想像を追求したかったため。

まとめ

 

以上、今回は『檸檬』について解説しました。ぜひ定期テストなどの対策として頂ければと思います。なお、本文中の重要語句については以下の記事でまとめています。