「唯物論」という言葉は、現代文や世界史、哲学、経済など様々な場面で用いられています。
特に哲学の用語というイメージが強いのではないでしょうか。ただ、「哲学」となると意味が分かりにくいと感じる人も多いです。
そこで今回はこの「唯物論」についてなるべく簡単にわかりやすく解説しました。
唯物論を簡単に
まず、「唯物論」の意味を調べると次のように書かれています。
【唯物論(ゆいぶつろん)】
⇒物質を根本的実在とし、精神や意識をも物質に還元してとらえる考え。唯物論的思想は古代ギリシャ初期、中国・インドなどにも現れているが、近代以後では一八世紀フランスの機械的唯物論、一九世紀のマルクスの弁証法的唯物論などが代表的。マテリアリズム。 ⇔ 唯心論
出典:デジタル大辞泉(小学館)
「唯物論」とは簡単に言うと「物質をすべての根源とする考え」のことです。「根源」とは「物事の一番もとになっているもの。おおもと」という意味です。
「物質」というのは、私たちの身の回りを想像すると分かりやすいでしょう。例えば、テレビ・冷蔵庫・机・イスなどといったものです。
このように、姿や形があり、目に見えるものを「物質」と呼んでいるのです。
では、「物質を全ての根源とする」とは一体どういう意味でしょうか?具体例を出します。
世の中には多くのお金持ちの人がいます。そして、お金持ちの人は周りから見るととても幸せそうに見えます。
ではなぜ幸せそうに見えるのか?その理由を「唯物論」の立場で考えると、彼らが立派な家や車、おしゃれな時計などを身につけているからという結論になります。
つまり、「豊かな心を持つ人の根本には、物質的に豊かな暮らしがあるから」ということです。
「唯物論」は、すべての根本には「物質」という大事なものがあると主張します。したがって、人間の心なども物質によって支えられていると考えるのです。
機械的唯物論とは
「唯物論」は、前に「機械的」を付けて、「機械的唯物論」と呼ばれることがあります。
「機械的唯物論」とは「人間の意識を含めた全ての事象を、力学的法則で説明しようとする考え」のことです。
もっと簡単に言えば、「世の中のすべてを科学の法則で説明しようとする考え」のことです。
例えば、「熱湯が手にかかり熱い」という感覚・意識があったとしましょう。普通であれば「手が熱い」というただそれだけの話です。
しかし、「機械論的唯物論」の立場から考えるならば、
「熱湯が手にかかる」⇒「熱さが皮膚に伝わる」⇒「皮膚から脳に信号が伝わる」⇒「手が熱いと感じた」
のように説明するのです。
つまり、ただ単に感じたことを伝えるのではなく、科学的な根拠・理由によって物事を説明する考えを「機械論的唯物論」と言うのです。
「機械論的唯物論」を唱えた学者としては、18世紀フランスで活躍した「ラ=メトリ」「ディドロ」「エルベシウス」「ドルバック」らが有名です。
弁証法的唯物論とは
「弁証法的唯物論」とは「自然・社会・歴史の発展過程は、物質的なものにより発展してきたとする考え」のことです。
前後を入れ替えて、「唯物論的弁証法」とも呼びます。
この考え方は、19世紀に「マルクス」と「エンゲルス」によって提唱されました。
「マルクス」と言えば、「資本論」の作者で有名ですが、実は彼は「唯物史観」を唱えていたのです。
「唯物史観(ゆいぶつしかん)」とは、「唯物論」を元にした考え方のことを言います。
マルクスは、ある社会の人々の考え方は、物質的な経済構造によって決められていると主張しました。
簡単に言うと、「社会を決めるのは人の考えなどの精神的なものではなく、お金や家など物質的なものである」と定義したのです。
そして、実際にこの考え方を経済学に応用したのが、「弁証法的唯物論」なのです。
経済というのは貨幣や商品、作物などまさに物質的な世界の話だと言えます。この物質的な世界により、社会や歴史などの精神的な世界は発展してきたとマルクスは考えていたのです。
「唯物論」という考え方は、「哲学」だけでなく「経済学」にも広がっていたことになります。
唯物論の対義語
「唯物論」の「対義語」は、「唯心論」と言います。
【唯心論(ゆいしんろん)】
⇒心(精神)が究極的な真実在であるとする存在論や世界観上の立場。プラトン・ライプニッツ・ヘーゲルなどがその代表的哲学者。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
「唯心論」とは「精神をすべての根源とする考え」のことです。
「精神」とは「人の感情や思考」を表します。例えば、「うれしい」「楽しい」「つらい」といったものです。
また、場合によっては「神様」や「仏様」など宗教的な概念に対しても使われます。
いずれも共通しているのは、「目に見えないもの」ということです。
「唯心論」もすでに説明した、「お金持ち」の例を出すと分かりやすいでしょう。
先ほどの例だと、「お金持ち」は物質的なものがあるから幸せだと述べました。
一方で、「唯心論」の場合は「そもそも人に感情があるから幸せなのだ」と主張するわけです。
例えば、いくらお金を持っていたとしても、ストレスがたまっていて毎日が辛いという感情であれば、その人は幸せとは言えません。
あるいは、いくらお金があったとしても、お金を使う場所がなかったり買う商品などがなければ、何も楽しむことができません。
つまり、「唯心論」の考えで言えば「幸せ」は「その人の気持ち次第で変わる」ということなのです。
「唯心論」は「物質よりも精神が根本にある」とする考えです。したがって、お金持ちだろうが貧乏人だろうが精神の方がまず優先順位として先に来ると考えるのです。
唯物論と唯心論の違い
ここまでの内容を整理すると、
「唯物論」=物質をすべての根源とする考え。「唯心論」=精神をすべての根源とする考え。
ということでした。
比較すると分かるように、両者は正反対同士の考え方です。
「唯物論」は、物質が万物の根源であり、心(精神)も物質の一部にすぎないと考えます。物という大事な本質があってこそ、初めて精神が存在すると考えています。
そのため、「唯物論」からすれば「精神」は仮の姿と同じです。
一方で、「唯心論」から見ても「物質」は仮の姿です。
テレビや机なども、結局、人間の意識が捉えているものなので、「本当に存在するのは精神だけである」と考えます。心(精神)があるからこそ、物質も認識できると考えているのです。
したがって、どちらもお互いが仮の姿だと考えているのが両者の特徴だと言えます。
これは「どちらが正しい」という話ではありません。
例えるなら、
- 「昼と夜はどちらがよいのか?」
- 「男と女はどちらが優れているのか?」
- 「火と水はどちらが大事なのか?」
といった疑問と同じです。
過去に「唯物論」の哲学者と「唯心論」の哲学者が何度も議論を重ねてきましたが、未だに確固とした結論にはたどり着いていません。そのため、どちらもはっきりした答えには辿り着いていないのです。
唯物論の使い方・例文
最後に、「唯物論」と「唯心論」の使い方を実際の例文で紹介しておきます。
【唯物論の使い方】
- 唯物論的な立場からキリスト教やイスラム教を批判する。
- 彼は占いや風水のことを全く信じない唯物論者である。
- 物理学は、唯物論の考え方が根底にある学問である。
- 機械論的唯物論は、17世紀以降自然科学の成長に並行して広まっていた。
- マルクスが唯物論の考え方を経済学に応用したものが、唯物論的弁証法である。
【唯心論の使い方】
- 唯心論は精神があるから事物は存在すると考えている。
- 唯心論的なイデオロギーによって、神様や仏様を語る。
- 唯心論の考えを学問にしたものが、形而上学である。
- 世界の本質と根源を精神的な世界に求める考えが唯心論である。
- プラトン・ライプニッツ・ヘーゲルらが唯心論の代表的学者である。
「唯物論」と「唯心論」は、哲学的な要素をテーマとした評論文によく登場します。また、哲学以外では政治や経済などをテーマとした文章に登場する場合もあります。
そのため、政治や経済の知識も合わせて覚えておけば、文章の読解を早く進められるでしょう。
まとめ
以上、本記事のまとめとなります。
「唯物論」=物質をすべての根源とする考え。
「機械的唯物論」=人間の意識を含めた全ての事象を、力学的法則で説明しようとする考え。
「唯物論的弁証法」=自然・社会・歴史の発展過程は、物質的なものにより発展してきたする考え。
「唯心論」=精神をすべての根源とする考え。
「唯物論」と「唯心論」は、価値を何に置くかで異なってきます。前者は「物質」を、後者は「精神」に重きを置く考えです。実際に文章を読む際は、筆者がどちらを重視して論じているかを判断するようにしましょう。