「韻文」と「散文」は、文章や詩などに対して使われる言葉です。どちらも国語の授業で何となく習った記憶があるという人も多いと思われます。
ただ、この二つはどのような関係性を持った言葉なのかという疑問があります。そこで今回は、「韻文」と「散文」の意味の違いをなるべく簡単に分かりやすく解説しました。
韻文の意味・読み方
まずは、「韻文」の意味からです。
【韻文(いんぶん)】
⇒一定の韻律(いんりつ)をもち、形式の整った文章。漢文では句末に韻字(いんじ)を置いた詩・賦(ふ)などをいい、和文では和歌・俳句などをいう。狭義には詩と同義に用いられる。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
「韻文」とは「一定の韻律を持ち、形式の整った文章」という意味です。
「韻律(いんりつ)」とは「音の強弱・長短・高低などによって作り出される言葉のリズムのこと」を表します。
つまり、一定のリズムがある文章のことを「韻文」と呼ぶわけです。
「韻文」は一般に「詩・短歌・俳句」を指します。したがって、分かりにくいと感じる場合は「詩・短歌・俳句」の3つを表した言葉が「韻文」だと覚えて問題ありません。
「詩」とは短歌・俳句などを含めた文学作品全般のことです。
「詩」には、「定型詩」と「自由詩」があり、短歌・俳句は「定型詩」の中に含まれます。※「定型詩」=一定のリズムを持った詩のことです。
つまり、これらを式で表すと「韻文」=詩≧定型詩≧短歌・俳句ということになります。
短歌・俳句は定型詩の中に含まれ、短歌・俳句・定型詩は詩の中に含まれます、そして、短歌・俳句・定型詩・詩の4つは、すべて韻文に含まれるということです。
短歌と俳句は、例を出すと分かりやすいでしょう。
【短歌の例】
「幾山河 越えさり行かば 寂しさの 終てなむ国ぞ 今日も旅ゆく」
(いくやまかわ こえさりゆかば さびしさの はてなんくにぞ きょうもたびゆく)
「若山牧水」の有名な短歌で、「五・七・五・七・七」という一定のリズムになっています。
【俳句の例】
「古池や 蛙飛びこむ 水の音」
(ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)
「松尾芭蕉」の有名な俳句で、「五・七・五」という一定のリズムになっています。
短歌は「五・七・五・七・七」の31文字、俳句は「五・七・五」の17文字から成り、それぞれリズムを形成しています。
このように、短歌や俳句は一定の韻律があり、形式の整った文章だと言えます。よって、「韻文」と呼べるわけです。
散文の意味・読み方
続いて、「散文」の意味です。
【散文(さんぶん)】
⇒韻律や定型にとらわれない通常の文章。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
「散文」とは「韻律や定形にとらわれない普通の文章」という意味です。
言い換えれば、「私たちが普段使っている文章そのもの」ということになります。
例えば、以下のような文章は「散文」だと言えます。
いたって普通の文章であることが分かるかと思います。
「散文」は、「韻文」の「対義語」です。したがって、詩・短歌・俳句以外の文章すべてが「散文」ということになります。
厳密に言えば、小説・随筆・評論・日記・手紙なども散文に含まれますが、一般にはこのような認識で構いません。
韻文と散文の違い
ここまでの内容を整理すると、
「韻文」=詩・短歌・俳句のこと。「散文」=普通の文章。
ということでした。
つまり、両者の違いを簡単に言うと「韻文」は「言葉のリズムを重視する文学作品」、「散文」は「言葉のリズムにとらわれず、自由に書かれた文章」ということになります。
「韻文」は、言葉のリズムや響きが重要です。そのため、読者としては、声に出して朗読しながら内容を理解するのが基本的なスタイルとなります。
一方で、「散文」は評論や小説などのように自由に書かれた文章です。したがって、こちらは頭の中でじっくりと読んで内容を理解するのが基本的なスタイルとなります。
なお、両者は「英語」だとそれぞれ次のように言います。
「韻文」=「verse」「散文」=「prose」
韻文と散文の関係性
「韻文」と「散文」は、近代以前には明確な境界線がありました。ところが、現代の「韻文」は七五調の制限をなくした自由な作品も多いです。
例えば、「口語自由詩」や「散文詩」などが挙げられます。
「口語自由詩」とは「話し言葉で書かれた自由な詩」のことです。
そして「散文詩」とは「見かけ上は普通の文章と変わらないが、実際は詩のこと」です。
どちらも中身が「詩」であることには変わりません。
逆に、「詩的エッセイ」と呼ばれ、「見かけ上は詩と変わらないが、実際は散文の随筆」という作品もあります。こちらは見かけは「詩」で、中身は「散文」というものです。
このように、韻文と散文の関係はややこしいです。なぜなら、両者ともお互いの要素が文学作品に含まれることがあるからです。
何をもって「韻文」「散文」であるかは、定義が非常にあいまいだと言われています。そのため、明確な境界線がない場合もあるということを頭に入れておいたほうがいいでしょう。
使い方・例文
最後に、「韻文」と「散文」の使い方を実際の例文で紹介しておきます。
- 散文に対して、短歌・俳句・詩などは韻文と呼ばれる。
- 当時の日本の小説は、韻文で書かれるのが当たり前であった。
- 小説や随想は散文であるため、執筆する時には表現上のルールが少ない。
- シェイクスピアは、意識的に韻文と散文を使い分けていると言われている。
- まとまりのない散文であるため、非常に読みにくい文章だ。
- 彼の文章は散文的なため、共感を得ることはないだろう。
「散文」は「散文的」という表現になる場合もあります。「散文的」とは「味わいや情緒がない」「情緒に欠けたドライな」という意味です。
この場合は、「文章自体に味わいがない」「情緒に欠けた文章」などのように否定的な意味になるので注意が必要です。
なお、「散文的」の対義語は「詩的」と言います。「詩的」とは「味わいや情緒がある」という意味です。
まとめ
以上、本記事のまとめとなります。
「韻文」=詩・短歌・俳句のこと。言葉のリズムを重視する文学作品。
「散文」=普通の文章。言葉のリズムにとらわれず、自由に書かれた文学作品。
「英語訳」⇒「韻文」は「verse」、「散文」は「prose」。
どちらも国語の授業においてはよく出てくる言葉です。ただ、両者は境界があいまいになる場合もあります。この記事をきっかけに、ぜひ正しい意味を理解して頂ければと思います。