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スポーツとナショナリズム 要約 学習の手引き テスト問題対策 筆者の主張

 

『スポーツとナショナリズム』は、高校現代文の教科書に載せられている評論文です。そのため、学校の定期テストなどにおいても出題されています。

ただ、実際に本文を読むと筆者の主張が分かりにくいと感じる人も多いと思われます。そこで今回は、『スポーツとナショナリズム』のあらすじや要約、テスト対策などをわかりやすく解説しました。

『スポーツとナショナリズム』のあらすじ

 

本文は3つの段落から構成されています。ここでは、各段落ごとのあらすじを簡単に紹介していきます。

あらすじ

①私たちは日々の日常において、特に「日本人」や「日本の国」を意識することはない。だが、オリンピックやワールドカップなどスポーツ競技において自国の選手やチームを応援する時は、きわめて意識的・自覚的に自分たちを「日本人」と感じ取り、「日本国」への同一化を感じる瞬間がある。そこには、スポーツとナショナリズムとの密接な関係が見いだされる。

②ここで注目すべきは、私たちの多くがスポーツにおけるナショナリズムに対して寛容な態度をとっている点だ。政治的ナショナリズムへの警戒とは対照的に、スポーツを通じたナショナリズムの発現に対して、私たちは危惧を抱かない。むしろ、国を代表する選手たちの活躍が喚起する集団意識や連帯感情は、「健全なナショナリズム」として称賛されさえする。戦争における「野蛮な」暴力とは対照的に、スポーツにおける集合的な熱狂や興奮は、より洗練された『文明的な』ナショナリズムの形態なのである。

③だが他方で、スポーツを通じたナショナリズムの高まりが、たとえ間接的であれ、現実世界での紛争や戦争を煽り激化させることは事実としてあるように思われる。スポーツにおけるナショナリズムの発現は「文明化」のプロセスであると同時に、「野蛮化」に結びつく危うさを常に持ち合せている。そうだとすれば、スポーツとナショナリズムとの結びつきについて考えていく際に必要とされるのは、白黒をハッキリとさせるような価値判断を下すことではなく、どのような政治・文化的な情況のもとでスポーツ・ナショナリズムがその姿を現わしているのかを冷静かつ仔細に見極めていくことであろう。

『スポーツとナショナリズム』の要約解説

 

要約私たちは日々の日常において「日本人」や「日本の国」を意識することはないが、オリンピックやワールドカップなどのスポーツ競技においては、ナショナリズムが喚起される。スポーツとナショナリズムを取り巻く現実は、紛争や戦争を煽り激化させることもあり、「野蛮化」に結びつく危うさを常に持ち合わせている。そのため、スポーツとナショナリズムの結びつきについては、その文脈を冷静かつ仔細に見極めていく必要がある。(197文字)
本文解説

本文で繰り返し問われているのは、「スポーツとナショナリズムの関係性」です。「ナショナリズム」とは「国家や民族の統一・独立・繁栄を目指す思想」のことです。一言で、「国家主義・民族主義・国民主義」などと訳されることもあります。簡単に言えば、「個人ではなく、自分の国を大事にしようとする考え方」のことです。

まず第一段落で筆者は、私たちはオリンピックやワールドカップなどのスポーツ競技を応援する時にナショナリズムが喚起されると述べています。

これは何となく意味が分かるかと思われます。普段スポーツなどに全く興味もない人が、オリンピックなどの一大イベントになると熱狂的にテレビにかじりついて応援するようなことです。

そして第二段落では、政治的なナショナリズムは警戒されるけども、スポーツを通じたナショナリズムは「健全なナショナリズム」として称賛されると述べています。

例えば、竹島や北方領土などの領土問題について主張するナショナリズムは、他の人々からも警戒されます。これは過去の歴史を振り返った時に、紛争や戦争においてナショナリズムの爆発が災難を引き起こしてきた事実があるから当然の拒否反応である、と筆者は述べています。

一方で、スポーツを通じたナショナリズムについては、私たちの多くが寛容な態度をとっています。その理由は、近代スポーツの発展は「文明化」の過程にほかならないからだと述べています。

スポーツというのは一定の秩序、つまりルールがあります。野球にしろ、サッカーにしろ一定の秩序のもとに競い合いを行い、そこには感情的な興奮に支配された暴力ではなく、洗練された文明的な闘争があります。だからこそ、野蛮な暴力とは対照的な近代スポーツというのは、健全なナショナリズムとして私たちは寛容な態度をとっているということです。

最後の第三段落では、しかしながらスポーツとナショナリズムを取り巻く現実は、そこまで単純ではないと述べています。たとえ間接的であれ、スポーツを通じたナショナリズムの高まりは、現実世界での紛争や戦争を煽り激化することもあり、「野蛮化」に結びつく危うさを持ち合わせているという主張です。

例えば、日本が韓国とワールドカップで対戦するとなると、味方=自分たち(日本)/敵=奴ら(韓国)のようにしっかりと分けられることで、対立感情が激化していきます。その結果、社会における紛争がますます深刻化する危険性があるということです。

そして最後に、現代スポーツのこういったナショナリズムの二重性は、それが置かれた政治的・文化的な文脈(コンテクスト)を反映しているので、スポーツ・ナショナリズムの出現の際は、白黒をはっきりさせるような価値判断を下すことではなく、文脈を冷静・仔細に見極める必要があると述べています。

全体を通して筆者が主張したいことは、最後のこの一文に集約されていると言えます。

『スポーツとナショナリズム』のテスト対策

 

問題1

次の傍線部の仮名を漢字に直しなさい。

①結果にイッキイチユウする。

②気持ちをハツロする。

③震災のサンカを伝える。

コウヨウした気分になる。

⑤貯蓄をショウレイする。

⑥話がムジュンしている。

解答①一喜一憂 ②発露 ③惨禍 ④高揚 ⑤奨励 ⑥矛盾
問題2

次の内、本文の内容を表したものとして適切でないものを選びなさい。

(ア)国際的なスポーツ競技の場において、スポーツは人々のナショナリズムへの欲求を喚起するとともに、集合的な熱狂のなかで発散させるメカニズムとして作動している。

(イ)エリアスによると、人類が文明化していく過程は、感情的な高揚に支配されて身体的・物理的な暴力が振るわれるのを防ぐべく、社会・文化的な慣習を発達させるプロセスにほかならない。

(ウ)スポーツを通じたナショナリズムの高まりが、間接的であれ、現実世界での紛争や戦争を煽り、激化させることは事実としてあるように思われる。

(エ)現代スポーツに見いだされるナショナリズムの二重性は、それが置かれた政治・文化的な文脈を反映したものというよりも、スポーツそれ自体の特性だと判断されるべきである。

解答(エ) 本文では、現代スポーツに見いだされるナショナリズムの二重性は、それが置かれた政治・文化的な文脈を反映したものだと判断される、とある。

まとめ

 

以上、本記事では『スポーツとナショナリズム』について解説しました。ぜひ定期テストの対策として見直して頂ければと思います。なお、本文中の重要語句については以下の記事にてまとめています。

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国語力アップ.com管理人

大学卒業後、国語の講師・添削員として就職。その後、WEBライターとして独立し、現在は主に言葉の意味について記事を執筆中。 【保有資格】⇒漢字検定1級・英語検定準1級・宅地建物取引士など。

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