「自文化中心主義」は、日本や海外の文化・歴史を語る際に使われる言葉です。特に、大学入試現代文の中で用いられることが多いです。
ただ、具体的にどのような場面で使われるの分かりにくいと感じる人も多いと思われます。そこで今回は、「自文化中心主義」の意味や事例・問題点などをなるべく簡単に解説しました。
自文化中心主義の意味
最初に、「自文化中心主義」を辞書で引いてみます。
【自文化中心主義(じぶんかちゅうしんしゅぎ)】
⇒自分の属する民族・人種を美化し、他の民族・人種を排斥しようとする態度。エスノセントリズム。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
「自文化中心主義」とは「自分の属する民族や人種を美化し、他の民族・人種を排斥しようとする態度」を表します。
簡単に言えば、「自分達の文化がすべてである」という考え方のことです。
「自文化中心主義」は、英語だと「ethnocentrism(エスノセントリズム)」と言います。
「ethno」は「人種・民族」、「centrism」は「中心主義」と訳すことから、両者を合わせることで「自分たちの人種や民族を中心に考える態度」という意味になるわけです。
元々、「自文化中心主義」はヨーロッパにおける「西欧中心主義」を批判する流れの中で生まれました。
「西欧中心主義」とは「ヨーロッパ文明こそが優れている」という考え方のことです。ヨーロッパ諸国が、自らの植民地支配を正当化するために主張していた考えとされています。
ところが、植民地主義の時代が終わると、西欧中心主義は「自分達の文化しか考えていないものである」と次第に否定されるようになりました。
そこで使われるようになったのが、「エスノセントリズム」すなわち「自文化中心主義」なのです。
自文化中心主義の具体例
「自文化中心主義」の具体例としては何があるでしょうか?
分かりやすい例としては、「食文化の絶対化」が挙げられます。
例えば、スプーンやフォークを使う文化を絶対的なものと考え、逆にそのような文化を持たない人々の文化を低く見るのは「自文化中心主義」に当てはまります。
世界には、スプーンやフォークなどの道具を使わずに、手づかみで食事をとる国はたくさんあります。アフリカや東南アジア、中近東などの国々が、まさにそうです。
日本も通常であれば箸を使いますが、寿司などを食べる際は素手で食べる文化も根強く残っています。
したがって、海外の人が日本人が寿司を素手で食べる行為を否定するような考えも「自文化中心主義」だと言えます。
他には、「言語の絶対化」なども挙げられます。
かつての言語学では、世界の言語を孤立語(中国語など)・膠着語(日本語など)・屈折語(英語など)の三つに分類した上で、言語は「孤立語⇒膠着語⇒屈折語の順に発展する」とされていました。
要するに、「言語というのは西洋語が一番すぐれている」という考えがあったのです。
このような考え方は、自分たちの文化を絶対視し、異なった文化の価値観を劣ったものとみなしています。よって、「自文化中心主義」の典型例と言えるのです。
自文化中心主義の問題点
「自文化中心主義」の問題点は、「他文化や他民族を排斥すること」にあります。
例えば、自文化を肯定するために、人種差別や外国への侵略、テロなどの暴力により異文化を排除しようと過激な行動に走ってしまう例は少なくありません。
過去の例だと、ナチスによるユダヤ人虐殺、ユーゴスラビア解体後のセルビアやクロアチアの民族浄化による諸民族紛争などは、「自文化中心主義」の悪い点が表れた例です。
冷戦後に噴出している各国の移民問題なども「自文化中心主義」の問題点が表れた例です。
現代における「自文化中心主義」の弊害としては、「海外企業と現地労働者の軋轢」なども挙げられます。
海外に進出した企業が、自国でのルールをそのまま適用することで、現地の労働者との間に軋轢が生じることもあります。
これも今日の産業社会に見られる「自文化中心主義」のデメリットだと言えます。
グローバル化が進んだ現代では、それだけ民族や文化の接触機会は多いため、民族間・文化間の軋轢も生じやすいです。
自分の所属する文化や民族集団に愛着を持つのは自然な感情ですが、それが行きすぎると「ナショナリズム」が過激化することにもなりかねません。
ナショナリズムが極端になると、自国の文化を「中心にある優れた文化」、他国の文化を「周縁にある劣った文化」と考える自文化中心主義につながります。
結果として、文化の多様性を認めずに異文化を排除したり、自国の文化を他国に広げて押し付けようとしたりする動きにつながってしまうのです。
自文化中心主義の対義語
「自文化中心主義」の「対義語」としては、「文化相対主義」が挙げられます。
「文化相対主義」とは「すべての文化は独自の価値観を持っているので、そこに優劣はない」とする考え方のことです。
例えば、スプーンやフォークを使う文化もあれば、そうでない文化もあっていいと認め、どちらも優劣はないとする考えが「文化相対主義」になります。
従来の学問には、民族間での差別や紛争などをしても構わないとする、自文化中心主義的な考え方が根底にありました。
しかし、現代ではこうした考え方への反省から、文化の絶対的な基準はなく、文化の多様性を認めようとする考え方へ向かおうとしている傾向にあります。
他には、「多文化主義」なども「自文化中心主義」の反対語です。
「多文化主義」とは「一つの国家や社会において、異なる文化の共存を積極的に進めようとする考え方」のことです。
例えば、移民の多い国において、学校教育の中で複数の言語を教えるといったことは、多文化主義的な政策だと言えます。
実際に、カナダやオーストラリアなどでは、複数の言語を生徒に教えるようなお互いの文化を共存させる政策をとっています。
「多文化主義」では、自国内で複数の文化を共存させ、お互いを認めおうとします。そして、「異なる文化があってもよい」と考えるのです。
自文化中心主義の使い方・例文
最後に、「自文化中心主義」の使い方を実際の例文で紹介しておきます。
- 自己の所属する文化や民族を基準として、他の文化を判断する考えを自文化中心主義と呼ぶ。
- 現在世界で起こっている民族紛争や移民問題の根本には、自文化中心主義が横たわっている。
- ナショナリズムが過激になると、異文化を排除しようとする自文化中心主義へとつながるのだ。
- 自文化中心主義では、自分たちが信じる宗教がすべてであり、異教徒が信じる宗教は認めない。
- 自文化中心主義の影響が強く現われたのが、ナチスによるユダヤ人迫害だと言えるだろう。
- 冷戦後にグローバル化が進んだことで、自文化中心主義の弊害は一層注目されるようになった。
- 西洋人の考え方を表したオリエンタリズムは、エスノセントリズムと深く関わっていると言える。
「自文化中心主義」は、「文化論」をテーマとして評論文においてよく登場します。
内容としてはまず、過去にヨーロッパ諸国が行った西欧中心主義的な政策を批判していきます。次に、現在では自文化中心主義的な考えは徐々に見直されつつあるといった内容へ移ります。
最終的には、「価値観を異にする他者と人はいかに共生していくか?」といった問題提起を読者に投げかけるものが多いです。
文章を読む際は、そういった話の流れを大まかに意識するのがよいでしょう。
まとめ
以上、本記事のまとめとなります。
「自文化中心主義」=自分の属する民族や人種を美化し、他の民族・人種を排斥しようとする態度。
「具体例」=「食文化の絶対化」「言語の絶対化」など。
「問題点」=「他文化や他民族を排斥すること」「海外企業と現地労働者の軋轢」
「対義語」=「文化相対主義」「多文化主義」
「自文化中心主義」は、現代文だけでなく小論文のテーマなどにも取り上げられている言葉です。そのため、受験生にとっては理解しておくべき内容だと言えます。正しい意味を知った上で、文章を読んで頂ければと思います。