「文化相対主義」という言葉をご存知でしょうか?主に現代文の用語として登場し、文化について考察する際によく使われます。
ところが、実際は分かりにくいと感じる人も多いようです。そこで今回は、「文化相対主義」の具体例やメリット・デメリット、対義語などをなるべく簡単に解説しました。
文化相対主義の意味
まず、「文化相対主義」の意味を調べると次のように書かれています。
【文化相対主義(ぶんかそうたいしゅぎ)】
⇒全ての文化は優劣で比べるものではなく対等である、という思想のこと。
出典:Wikipedia
「文化相対主義」とは「全ての文化には価値があるので、そこに優劣はない」とする考え方です。
「相対」とは「絶対」の反対語で「他との比較によって成り立つさま」を表します。
つまり、個々の文化にはそれぞれ他と異なる価値があるので、絶対的な価値観などないとする考えを「文化相対主義」と呼ぶのです。
元々、この考え方はアメリカの人類学者であるフランツ・ボアズが提唱し、ルース・ベネディクトによって確立されたと言われています。時代としては、20世紀になった頃です。
当時の世界情勢としては、戦争や虐殺などによる他民族への支配が問題となっていました。
そのため、東南アジアやアフリカなどの新興国の独立が盛んになり、多民族国家の形成がされていくこととなりました。
このような経緯もあり、今もなお、「優劣をつけずに全ての文化を大切にしていこう」とする考え方が存在するのです。
文化相対主義の具体例・事例
「文化相対主義」とは、具体的にどのような考えを指すのでしょうか?身近な話題である「食文化」を事例にして考えてみましょう。
日本では、ご飯にみそ汁、納豆に漬け物といったメニューが昔からあります。一方で、欧米ではパンにステーキ、ワインといった食事メニューがあります。
その他の国も様々な食文化があります。例えば、中国ではラーメンやチャーハン、ギョウザといった中華料理が有名です。
インドでは、カレーにナンといったスパイス料理が好まれています。このように食事の内容だけでも、多種多様な違いがあるのです。
さらに付け加えると、食べ方にも違いがあります。
- 「日本」⇒はしを使って食べる
- 「欧米」⇒ナイフやフォークを使う
- 「東南アジア」⇒手づかみで食べる
当たり前のことかもしれませんが、それぞれの国によって異なるのが食文化なのです。
そのため、自国の人から見れば他国の文化が異様に見える場合もあります。
- 「毎日朝から肉を食べるなんて重たすぎるのでは?」
- 「なぜ手づかみでご飯を食べるの?手が汚れてしまうのに。」
- 「あなたこそ、なぜ箸とか面倒くさい道具を使うの?」
文化が多様だと「それぞれの文化に対してどっちが優れているか」といった考え方が出てくるのです。
そこで、「優劣なんて決めずにそれぞれの文化を大切にしよう」という考え方へ行き着くことになります。これが「文化相対主義」と呼ばれる考え方です。
「文化相対主義」は、個々の文化に対して固有の価値を認めます。
食文化であれば、すべての食べ物そしてマナーに対して価値を見出します。そして、序列や順位をつけません。
言わば、文化を根本的に平等視する考えが「文化相対主義」の大きな特徴と言えるのです。
文化相対主義のメリット
「文化相対主義」の長所は、「各国が独自の文化を保有できる」という点です。
もしも文化相対主義を一切認めないとなると、そもそも国の文化の存在意義が問われることになります。
文化というものは、自国のありとあらゆる産物が含まれます。
「科学」「哲学」「宗教」「芸術」「言語」「食」「暮らし」
これらの産物は、人類が長い年月をかけて生み出し、後世へと受け継いできたものです。そこには、過去の偉人たちの思いが脈々と受け継がれています。
急に短期間に現れた文化などはなく、長い歴史を経て現在あるのが各国の文化なのです。
「文化相対主義」の考えがあるからこそ、今までの文化が存続しているという現実があります。
その結果、私たちは生まれた時から当たり前のように自国の文化を享受できているのです。
文化相対主義のデメリット
一方で、「文化相対主義」にも問題点はあります。
よく言われるのが、「道徳的な問題」です。この問題は「多文化主義」とも共通しています。
「文化相対主義」を極度に推し進めれば、「文化なのだから何でも認めてよ」ということになってしまいます。
例えば、「嬰児殺し(えいじごろし)」と呼ばれる文化があります。
「嬰児(えいじ)」とは「生まれて間もない赤ん坊や子供」のことです。この赤ん坊や子供を殺してしまう文化が、世界にはあるのです。
行う理由は、経済的な理由、宗教的な理由など様々だと言われています。
嬰児殺しは文化と言えば文化ですが、道徳的な観点からいくとかなり問題点はありそうです。何しろ人の命を簡単に奪うわけですからね。
どの国で実践しようと、批判が来ることは間違いありません。
他には、「一夫多妻制」などの問題点もあります。
「一夫多妻制」とは「1人の男性が多数の女性を妻とすることを認める制度」です。主にアフリカを中心に広く昔から存在する文化です。
「文化相対主義」を認めるとすれば、当然、「一夫多妻制」も認めざるを得ません。これは女性の方からしたら、道徳的・倫理的な問題が多いにありそうです。
仮に日本でこの制度を導入するとなったら、多くの人から批判を浴びるのは必至でしょう。
このように、どんな文化でも平等に認めると、それを受け入れられない人も当然出てくることになります。
言わば、逆の意味での「価値観の強制」です。これが文化相対主義の一番の問題点だと言われています。
また、文化を平等視しすぎると「アイデンティティ」が喪失されてしまうと批判する学者もいます。
私たちは、自国と他国の文化を比較しながら生きています。その時に意識しているのは「アイデンティティ」です。
もしも文化を比較することが許されず、何でも受け入れることになると、私たちの「アイデンティティー」は希薄なものとなってしまうのです。
文化相対主義の対義語
「文化相対主義」の「対義語」は、「自文化中心主義」や「自民族中心主義」などが挙げられます。
「自文化中心主義」は、英語だと「ethnocentrism(エスノセントリズム)」と訳されています。
意味は、「自分たちの文化を基準として、他文化を否定したり低く評価したりする考え方」です。
「文化相対主義」は、全ての文化には優劣はないとする考えのことでした。したがって、他の文化に対して優劣を認めようとする考えが反対語となります。
「自文化中心主義」は、ヨーロッパの「帝国主義」を例に出すと分かりやすいでしょう。
「帝国主義」とは、ヨーロッパの国々がこぞってアジアやアフリカを植民地にした時代のことです。
当時の西洋人たちは、自分たちのことを「正しい知識を持った進んでいる文化」と考えていました。
西洋に遅れているアジアやアフリカに対して「自分たちは助けてやっているんだ」という考え方をしていたのです。
この事から、当時の西洋人たちは「自文化中心主義」にとらわれていたことが分かります。
彼らは自分たちの文化を普遍的だと考え、逆に他国の文化は特殊だと考えていました。
このような経緯もあり、「自文化中心主義」は現在、否定的な意味として使うのが基本です。
文化相対主義の使い方・例文
最後に、「文化相対主義」の使い方を実際の例文で確認しておきましょう。
- 文化相対主義とは、個々の文化に違いはあれど優劣に差はないとする考えである。
- ナイフやフォークを使う食文化、箸を使う食文化のように個々に価値を認めるのが文化相対主義である。
- 自文化中心主義や西洋中心主義に対する批判から提唱された考え方が、文化相対主義である。
- 文化相対主義は、前世紀の人類学に始まり、民族文化の価値を平等視する思想として生まれた。
- 文化相対主義は、ナチス・ドイツなどを批判できないことから政治利用されてしまうこともある。
- 文化相対主義を極度に推し進めると、多様性と道徳性の間でジレンマに陥ってしまうだろう。
「文化相対主義」という言葉は、「文化論」をテーマとした評論文によく出てきます。
評論文では、「自文化中心主義」や「多文化主義」と合わせて出題されることが多いです。
大まかな流れとしては、まず「自文化中心主義」による過去の植民地支配や他民族の虐殺などを批判します。
そして、その後の反省から20世紀に入り「文化相対主義」が提唱され現在に至る、という内容のものが多いです。
もちろん「文化相対主義」にも問題点があるので、そういったデメリットに関しても言及されることになります。
まとめ
以上、今回の内容のまとめです。
「文化相対主義」=全ての文化には価値があるので、そこに優劣はない。
「具体例」=食文化の違いを各国がお互いに認め合っていること。
「メリット」=各国が独自の文化を保有できること。
「問題点」=異なる文化を受け入れられない人も出てくる。アイデンティティーの喪失。
「対義語」=「自文化中心主義」「自民族中心主義」
「文化相対主義」は、文化の多様性を認める考えです。一方で、この考え方が行き過ぎてしまうと様々な弊害が出てくることも理解しておきましょう。