「理性」という言葉は、受験国語の現代文によく出てくる重要単語です。また、受験以外の普段の文章でもよく使われています。
ただ、よく目にするにも関わらず、その意味が分かりにくいと感じる人も多いと思われます。そこで今回は、「理性」の意味や使い方、反対語などを含めなるべく簡単に分かりやすく解説しました。
理性の意味を簡単に
まず、「理性」の意味を辞書で引くと次のように書かれています。
【理性(りせい)】
①道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力。
②善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
「理性」には2つの意味があります。1つ目は、「道理によって物事を判断する能力」という意味です。
「道理(どうり)」とは簡単に言うと「しっかりとした正しい理由のこと」を表します。つまり、「正しい理由によって物事を判断する能力」を「理性」と言うわけです。
簡単な例を挙げましょう。次の3つの文章があるとします。
- 【A】⇒このパソコンは使いやすくて価格も安い。
- 【B】⇒このパソコンは使いやすくて価格も安い。だから、僕はスポーツが好きだ。
- 【C】⇒このパソコンは使いやすくて価格も安い。だから、僕は購入した。
この中で理由がちゃんとしている文章はCだけです。
【A】はただ単に事実を2つ並べただけです。【B】は「だから」という接続詞がついてますが、その後の理由が正しくありません。
【C】のように、理由がちゃんとしていて筋道の通った文章でないと「理性」があるとは言えないのです。
このように、理由がちゃんとしていることを「論理的」とも言います。したがって、「論理的に考える能力」が「理性」とも言うことができます。
次に、「理性」の②の意味を見ていきましょう。
これはつまり、「本能や感情に左右されず、善悪を判断する能力」のことです。こちらも具体例を挙げましょう。
ある日、あなたが夜遅くまで起きていると、どうしようもないほどお腹が減ってきました。そこで、夜中にラーメンを食べようかどうか悩むことになりました。
- 「もし今ラーメンを食べたらどうなるだろうか?」
- 「きっと太るから、明日は後悔するだろうな。」
- 「やっぱり今日は食べずにもう寝ることにしよう。」
このような考えは理性的な考えだと言えます。
なぜなら、動物的な本能や感情に左右されず、しっかりと頭で考えて善悪を判断しているからです。言いかえれば、「理性」とは「人間以外の動物にはない能力」だと言えます。
動物、特に野生動物などは食べたいときに食べ、寝たいときに寝る本能に忠実な生き物です。
目の前においしい食べ物があるのに、わざわざ本能を抑える動物などはいません。したがって、動物には「理性」はないのです。
理性の対義語・類義語
「理性」の「対義語」は「感性(かんせい)」と言います。
【感性(かんせい)】
⇒物事を心に深く感じ取る働き。感受性。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
「感性」とは一言で言うと「感受性」のことです。
「感受性」とは「物事をどう感じ、どう受け止められるかという能力」のことを指します。こちらも例を挙げます。
- 家から外に出た瞬間に「今日は少しだけ暑いな」と感じた。
- 好きな人からプレゼントをもらい、「うれしい」と感じた。
- この音楽は、聴いていて「とても心地が良い」と感じた。
このように、「外界からの刺激を感じ、自分の感情に結びつける能力」のことを「感性」と言うわけです。好き嫌いの感情などは、「感性」の代表的なものと言えるでしょう。
続いて、「類義語」です。「理性」の「類義語」は、以下の2つが代表的です。
- 「論理(ろんり)」⇒考えや議論を進めていく筋道のこと。
- 「合理(ごうり)」⇒理にかなっていること。
それぞれ、「論理的な文章」「合理的な考え」といった形でよく用いられます。
「論理的な文章」とは「理由などがはっきりしていて筋道の通った文章」のことです。また、「合理的な考え」とは「理にかなった考え」「むだがない考え」などの意味です。
どちらもほとんど同じような意味ですが、「論理的」の方が「合理的」よりもきちんと筋道を立てて順序立てて考えていくという特徴があります。
また、「論理的」の方には「むだがなく効率的」という意味までは含まれていません。この点が両者の違いだと言えます。
理性が誕生した背景
「理性」という言葉の背景に迫ってみましょう。時代背景を知っておくと、言葉の意味も分かりやすくなります。
「理性」という言葉は、元々「近代」のヨーロッパで誕生しました。
意外かもしれませんが、「理性」は日本で生まれた概念ではないのです。
近代より前の時代(主に中世)は、伝統的な宗教や習慣などに支配されている時代でした。言いかえれば、「感性」が重視されていたということです。
ところが、「近代」になると、人間は論理的な考えを重視することにより、「科学技術(テクノロジー)」を生み出すことに成功します。
そして、科学技術は実際に多くの人々を豊かにしました。その結果、近代では「理性」こそが人間にとって最も重視すべきものという考えが広まったのです。
一方で、現代では「理性で割り切りすぎて、世界の理解を単純化したのでは?」「感性でないと生み出せないものもあるのでは?」などの意見も起こってきました。
このように、「理性」のメリット・デメリットは歴史的に見て多くの議論が交わされてきました。
現代でもそれについて論じた本は、多く発行されています。したがって、現代文のテーマとしてもよく出題されるのです。
もしも、「理性」をテーマとした文章が出題された場合、「筆者が理性と感性どちらの意見を重視しているのか?」という点にも注目するとよいでしょう。
なぜなら、あらかじめテーマの理解をしておけば、読解のスピードが上がるからです。
- 「理性」を重視しながら筆者の考えを述べていくパターン。
- 「感性」を重視しながら筆者の考えを述べていくパターン。
どちらのパターンも存在します。文章を読むときは、ぜひそういったことも意識しながら読み進めてみて下さい。
理性の使い方・例文
最後に、それぞれの使い方を実際の例文で紹介しておきます。
【理性の使い方】
- 人間は理性によって行動できるのが大きな武器である。
- 人類が野生動物と違うのは、理性を保つことができる点にある。
- 科学者は理性的な考えによってデータを導き出すのが得意だ。
- 科学技術は人間の理性によって作り出したものだと言える。
- 人付き合いにおいては、理性を働かせることが重要である。
【感性の使い方】
- 彼女は音楽において感性豊かな才能を生かしている。
- 何も考えずに、感性だけで買い物をするのはよくない。
- 芸術の才能を伸ばすために、感性を磨く方法を考える。
- 感性豊かな子供にするために、幼少期からピアノを練習させる。
- 仕事というのは、理性と感性のバランスが大事である。
まとめ
以上、本記事のまとめとなります。
「理性」=①道理によって物事を判断する能力。②本能や感情に左右されず、善悪を判断する能力。
「感性」=ものごとをどう感じ、どう受け止められるかという能力。感受性。
「理性の類義語」⇒「論理・合理」「理性の対義語」⇒「感性」
どちらの言葉も現代文では頻出です。この記事によってぜひ正しい理解をして頂ければと思います。