坂道などの斜めになった道を進むことを「のぼる」と言います。
ただ、その漢字表記については「上る」がよいのかそれとも「登る」がよいのかという問題があります。また、場合によっては「昇る」と表記されるようなこともあります。
本記事では、これらの「のぼる」の違いについて詳しく解説しました。
坂道を上ると登るの違い
「のぼる」の使い分けに関しては、国語審議会が参考資料として作成した『異字同訓の漢字の用法(昭和47)』が参考になります。
この資料によりますと、「のぼる」は次のような書き分けが示されています。
「上る」⇒水銀柱が上る。損害が一億円に上る。川を上る。坂を上る。上り列車。
「登る」⇒山に登る。木に登る。演壇に登る。
「昇る」⇒日が昇(上)る。天に昇(上)る。
出典:『異字同訓の漢字の用法(昭和47)』
また、読み書きを専門とするメディアの『新聞用語集』(昭和56)にも、次のように「のぼす・のぼる」の項としてほぼ同様に使い分けが示されています。
上[下りる・下ろすの対語]⇒段階を上る。川を上る。坂を上る。出世コースを上る。食ぜんに上す。水銀柱が上る。損害一億円に上る。日程に上る。上り坂。上り調子。上り列車。屋根に上る。話題に上せる。
昇[降の対語]神殿に昇る。天に昇る。日が昇る。
登〔よじのぼる〕うなぎ登り。演壇に登る。木に登る。コイの滝登り。山に登る。
出典:『新聞用語集』(昭和56)
どちらの場合も坂の場合は「坂を上る」、山の場合は「山に登る」と書き分けることを指示しています。
つまり、坂道のようにだんだんと高度を上げていくような所をのぼるような場合は「上る」を使い、急傾斜の山道を努力してあるいは労力を費やしてのぼるような場合は「登る」を使う、というのが基本的な使い分けとなるわけです。
これは『新聞用語集』の「よじのぼる」=「登」と書いてあることからも分かると思います。
その他、「昇る」に関しては「日が昇る」「月が昇る」「煙が昇る」「エレベーターが昇る」「気球が昇る」などのように、何かが真上に上昇するような時に使われます。
坂道を登るも誤りではない
ただ、「坂道を登る」という言い方があったとしても別に不思議ではありません。これはなぜかと言いますと、「登坂車線」「登坂能力」などの漢語も実際に存在しているためです。
国立国語研究所には、『動詞の意味・用法の記述的研究』に使用した明治・大正・昭和にわたる52の文学作品、24の科学説明文・論説文などから採集した資料カードがあります。
この中の動詞「のぼる」の用例カードのうち、坂もしくは坂道をのぼる場合に限って漢字表記を調べてみますと、「上る」が13例、「登る」が17例、「昇る」が4例あります、
さらに、同一作品中に二通りの表記をしたものもいくつかみられます。例えば、次のような用例です。
坂を八合ばかり上ると、少し平坦な処に出る。
道はこれから坂になる、(中略)僕は黙って震ふ唇を噛みしめ、よろよろとまた一二丁登る。
出典:徳富健次郎『思出の記(上)』
その坂を上ったところには、教会がある。
坂路を、(中略)夜風にゆらめてゐる欅をめあてに登ってゆくにつれて
出典:阿部知二『冬の宿』
やせ馬が重荷を負うて山坂を上るよう、休み休みにようやくここまでたどってきたが、
今ようやく筆を執るといえども、駑馬に鞭ちて峻坂を登るがごとし。
出典:河上肇『貧乏物語』
市ヶ谷合羽坂を上った薬王寺前町の通に開業してゐる医者が~
地理に明い清岡は(中略)ひた走りに町を迂回して左内坂を昇り、
出典:永井荷風『つゆのあとさき』
以上が同一作品中に「上る」と「登る」が登場している例です。参考までにその他の作品の用例を漢字表記別にいくつかあげておきます。
〔上る〕
・石垣で積み上げた田んぼと田んぼとの坂道を上るにつれて、出典:島崎藤村『破戒』
・雪の降る中を次第に高く坂道を上る聖の姿 出典:泉鏡花『高野聖』
・私は外套を濡らして(中略)細い坂路を上って宅へ帰りました。
・若者は(中略)小学校の校庭を抜け、水車のかたはらに坂を上った。出典:三島由紀夫『潮騒』
〔登る〕
・車は止まらないでそのまま静かに坂を登った。出典:川端康成『雪国』
・じいさんが細い急な坂道をよちよち登ってくるのが見えた。出典:志賀直哉『暗夜行路』
・電車はごとごとといって富坂を登った。出典:中野重治『むらぎも』
・別荘風の家々の間を抜けて、線路沿いの坂を登ると、出典:獅子文六『自由学校』
・渋谷の駅を降りて、道玄坂を登ってくと、出典:井伏鱒二『本日休診』
・はじめはスキーをつけて坂を登るのはむずかしいから、出典:小林秀雄『私の人生観』
したがって、例えば同じ坂道でも健康で元気な若者であれば「上る」とし、足腰が弱い病弱な老人などであれば、「登る」としても誤りではないと言えます。
また、だんだんと高度があがっていくような坂道ではなく、あまりにも急な坂道を進むような場合であれば「登る」と表記することもあります。
これと同じ考え方で、通常「階段をのぼる」は「上る」と書きますが、階段が急でなおかつ労力を使ってよじ登るほどであれば、「階段を登る」と書いても誤りではないということになります。
なお、「坂を昇る」の用例はほとんどなく、大仏二郎の『帰郷』の中に前掲の他二例見られるだけです。
坂道を上ると登るの使い分け
以上の事から考えますと、「坂道をのぼる」を漢字で書く場合、一般に「坂道を上る」と書くのが原則であることが分かります。
これは冒頭で紹介した『異字同訓の漢字の用法』や『新聞用語集』で定められているためです。ゆえに、一般に使う際には、坂道であれば「上る」と表記すれば問題ありません。
ただ、前記の用例で確認した通り、場合によっては「坂道を登る」と書いたとしても誤りとは言えません。その理由は、「坂を上る」と「坂を昇る」はある種互いに通用する面があるからです。
坂というのは同じ坂だとしても、その勾配や角度、のぼりやすさ、のぼる人などによっても感じ方が異なってきます。そのため、原則的に「上る」と書くのが基本だとしても、場面によっては「登る」と書くこともあるのです。
なお「坂道を昇る」という表記に関しては現在および過去においてもほとんど見受けられません。そのため、「昇る」に関しては坂道に対して使うのは避けた方がよいと言えるでしょう。
その他、坂道以外の対象であれば、例えば山であれば「登る」、階段であれば「上る」と表記するのが原則となります。
まとめ
以上、本記事のまとめです。
「上ると登るの違い」=坂道のようにだんだんと高度を上げていくような所をのぼる場合は「上る」を、急傾斜の山道を努力してあるいは労力を費やしてのぼる場合は「登る」を使う。
「坂道を上ると登る」⇒原則「坂道を上る」と書くが、「登る」でも誤りではない。足腰が弱い病弱な老人、勾配があまりに急な坂などであれば「登る」を使うこともある。ただ、「坂道を昇る」は基本使わない。
「のぼる」という動詞は、使い分けがはっきりしていない部分もあります、ただ、基本的な使い分けとしては、普通の坂のようにだんだんと高度が上がる場所をのぼる場合は「上る」を、山のように急斜面を努力して上る場合は「登る」を使います。「昇る」に関しては「日が昇る」「月が昇る」「天に昇る」などのように何かが真上に上昇するような場面で使うようにしてください。