古代 いつからいつまで 時代 日本史 世界史 歴史区分

「古代」という言葉は、日本史や世界史を学ぶ上でよく登場します。「古代ギリシャ」「古代エジプト」「古代ローマ帝国」。

また、大学入試現代文のテーマの中で用いられることもあります。ただ、具体的にいつ頃の時代を指しているのかという問題があります。

そこで今回は、「古代」とはそもそもいつからいつまでを指しているのか?といったことを解説しました。

後半では、「古代」という時代の背景、現代文での用例についても触れています。

古代とはいつからいつまで?

 

最初に、「古代」の意味を辞書で引いてみます。

【古代(こだい)】

古い時代。大昔。いにしえ。

歴史の時代区分の一。原始時代と中世との間。日本史では、一般に奈良時代・平安時代をさすが、大和政権時代を含むこともある。世界史では、原始社会のあと、封建社会の成立までの時代をいう。

出典:デジタル大辞泉(小学館)

古代」という時代は、日本と世界によってその定義が異なってきます。

まず、日本では「奈良時代~平安時代」のことを指します。

具体的に言うと、奈良時代の始まりである710年から平安時代の終わりである1185年までのことです。

つまり、この約500年間のことを、一般に「古代」と呼んでいるわけです。

ただし、これはあくまで一般論の話であり、大和朝廷時代(原始古代)も含めて古代と呼ぶ場合もあります。

なぜなら、明確な時代の区分というのは、学者や専門家などによっても見解が異なるからです。

また、当時は文字などの文献資料がまだ少なかったので、証拠となるような資料が多く残されていないという理由もあります。

一方で、世界ではどうかというと、世界では「紀元前~4世紀末のローマ帝国の滅亡まで」を「古代」と呼びます。

世界史では文明の誕生をいつとするかは諸説ありますが、一般に紀元前3000年頃に興ったエジプト文明・メソポタミア文明とする説が多いです。

それまでの歴史は「原始社会」と言い、文明が発達していない未開民族の時代という位置付けでした。

しかし、エジプト文明とメソポタミア文明をきっかけに、人類は飛躍的に生活を向上することができました。

そのため、紀元前3000年頃からを古代の始まりとし、それが終わる紀元後の4世紀末までを古代の終わりとしているのです。

もちろん、これも学者によって見解が異なるため、どの時代を明確に「古代」と定義するかははっきりと定まっていません。

例えば、紀元前8世紀におけるギリシャの都市国家の発生を古代のスタートだと主張している学者もいます。あくまで、現在一般に言われている範囲での時代区分ということになります。

なお、世界の時代区分は大まかに次のように分けられています。

「原始時代」⇒「古代」⇒「中世」⇒「近世」⇒「近代」⇒「現代」

時代の分け方によっては、「原始時代」「近世」「現代」などを省くこともありますが、基本は上記のような流れです。

私たちが現在生きている時代が「現代」ですから、非常に古くて遠い時代が「古代」ということになります。

日本と世界で意味が異なる理由

古代 日本史 世界史 ヨーロッパ 背景

すでに説明したように、「古代」という時代は、日本だと「710年~1185年あたり」、世界だと「紀元前~4世紀末」を指します。

しかし、なぜこれほど日本と世界で時代区分に差が生まれるのでしょうか?

その理由は、日本における古代は西洋で作り出された古代という概念を輸入したものだからです。

元々、西洋では「3区分法」と言い、「古代-中世-近代」という3つの時代で過去の歴史を分けていました。

この3区分法は、当時のヨーロッパの歴史を振り返り、個々の時代を分析するために作りだされたものと言われています。

西洋では、古代が終わった後の中世において、黒死病と呼ばれる伝染病(ペスト)が大流行しました。

ペストにより、ヨーロッパの人口における約3分の1もの命が奪われたと言われています。

この時代は他にも戦争による争いなどが多発し、それまでの時代と比べて文明を発展できなかったという認識がされました。

そして、中世の終わりには「ルネサンス(文芸復興)」と呼ばれる文化運動が起こり、ヨーロッパは新たな時代への転換期を迎えます。

中世の後の「近代」では、学問や哲学、建築などを以前の古代のように再び発展させることとなります。

このような経緯もあり、「中世」という時代はヨーロッパの文明が中断された時代という認識がされました。

そして、「古代」-「中世」-「近代」という時代が付けられたのです。

一方で、日本ではどうかというと、中世のヨーロッパが封建制であったという理由から、日本も同じく封建制であった時代を「中世」と名付けました。

同様に、古代に関しても封建制の前の時代ということで、「古代」と名付けました。

つまり、日本など西洋以外の国は、当時の西洋の社会の仕組みに合わせて自分たちの時代も同じ名前を付けたということです。

そのため、同じ「古代」という名前にも関わらず、西暦上では数字にズレが生じているのです。

「古代」=文明が発達した時代

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「古代」とはどのような時代だったのでしょうか? これは一言で言えば、「文明が発達した時代」だったと言えます。

古代では、メソポタミア文明、エジプト文明の誕生後、クレタ文明、ミケーネ文明など多数の文明が誕生しました。特に文明が栄えた重要な地域は、古代ギリシャと古代ローマ帝国です。

古代ギリシャでは都市国家とヘレニズムの世界が築かれ、ローマ帝国では地中海において強大な大帝国が築かれました。

当時の文化としては、ギリシャ文字、彫刻、パルテノン神殿などが挙げられます。哲学者としてはソクラテス、プラトン、アリストテレスなどが有名となりました。

また、古代ローマの文明としては、道路設備や水道設備、建築物などの充実が挙げられます。

古代ローマでは、当時としてはかなり大規模なインフラが構築されました。

さらに、東方のギリシャ地域から、現在でも多くの人に参考にされるような学問などを吸収し、文化的にも多くの発展を遂げていました。

このように、今までの時代とは想像もできないほど、文明が発達したのが古代という時代の大きな特徴なのです。

古代と聞きますと、何となく戦争ばかりをしていたイメージですが、実際には闘ってばかりいたわけではありません。

当時の人達は、しっかりと後世に残すような文明を作り出していたのです。

なお、日本ではどうかと言いますと、日本も文明が発達したという事実は当然あります。

例えば、奈良時代に使われた万葉仮名から生まれた「カタカナ」や「ひらがな」などは多くの文学作品を生み出しました。

清少納言の『枕草子(1001年頃)』、紫式部の『源氏物語(1008年頃)』などもこの時代に生まれたものです。

しかし、日本の場合は「統治者が誰であったか?」という視点から考えると分かりやすいです。

日本の場合、古代は王朝が支配する時代でした。そのため、支配者は王様の血統によって決まりました。

古代が終わり中世に入ると、封建制度の時代が始まり、支配者は「武力」によって決まることになります。

そして、中世の後の近代では、国民の話し合いすなわち「選挙」で支配者が決まることになります。

日本の古代では、王が世の中を支配し、王が死んだ後はその王の血筋を引くものがまた王となりました。

その繰り返しの時代を終わらせたのが、中世に入ってからの封建制度と呼ばれるものなのです。

「古代」の使い方・例文

 

最後に、「古代」の使い方を実際の例文で確認しておきましょう。

  1. 文明の成立から文明の崩壊までの時代を、一般に「古代」と呼ぶ。
  2. 古代以来、人類は土木、建築、水道などのインフラを整備し続けてきた。
  3. 闘技場で知られるコロッセオは、古代ローマ帝国時代に作られたものである。
  4. 古代エジプトや古代ギリシャなどでは、幾何学が盛んに研究されていた。
  5. 古代エジプトの遺跡として、ピラミッドやスフィンクスなどが挙げられる。
  6. 日本の古代は一般に奈良~平安時代を指すが、平安遷都以前を古代とする説もある。

 

「古代」という言葉は、主に西欧の歴史に関して説明する際に使われることが多いです。特に、古代ギリシャ、古代ローマ、古代エジプトなどの文明や文化に触れる際によく使われます。

日本の歴史について使われることもありますが、西欧に比べればその用例は少ないです。

また、歴史以外だと現代文の用語として登場することもあります。その場合は「中世」や「近代」と合わせて登場するので、両者の時代区分についても理解しておくとよいでしょう。

本記事のまとめ

 

以上、本記事のまとめとなります。

古代」=日本だと「奈良時代の始まり(710年)~平安時代の終わり(1185年)まで」。世界だと「紀元前~4世紀末のローマ帝国の滅亡まで」とするのが一般的。

古代の定義が異なる理由」=西欧が決めた時代区分を、後から日本が輸入したため。

古代の特徴」=日本だと「王朝による支配が続いた時代」。世界だと「文明が飛躍的に発展した時代

「古代」という時代は今から2000年以上も昔の話なので、学者によっても意見が分かれています。そのため、一概にここからが始まりだと断定できる話ではありません。しかし、一般的には文明が大きく発展するきっかけとなった、紀元前3000年辺りから始まった時代と考えていいです。