注射器を用いて薬液を体内に注入することを、「注射をウツ」と言います。医療従事者の方であれば、なじみのある表現ではないでしょうか。
ただ、この場合の表記の仕方として「打つ」と「うつ」のどちらを使えばよいのかという問題があります。また、「注射をウツ」ではなく別の言い換え表現を使うようなこともあります。
そこで本記事では、「注射をうつ」の漢字表記や別の言い方などについて詳しく解説しました。
「うつ」か「打つ」か?
結論から言いますと、「打つ」と「うつ」のどちらで書いてもよいです。すなわち、「一方が正解でもう一方が不正解などではない」ということです。
まず、常用漢字表における「うつ」という動詞には、「打つ」「討つ」「撃つ」の三種類の漢字表記があります。
その使い分けは、「異字同訓の漢字の用法(国語審議会漢字部会作成資料・昭和47)」によると次のように記されています。
「打つ」=くぎを打つ。碁を打つ。電報を打つ。心を打つ話。打ち消す。
「討つ」=賊を討つ。義士の討ち入り。相手を討ち取る。
「撃つ」=鉄砲を撃つ。いのししを猟銃で撃つ。
出典:「異字同訓の漢字の用法(国語審議会漢字部会作成資料・昭和47)」
上記の用例に、「注射をうつ」の例は挙げられていません。ただ、もし漢字を当てるとするならば「打つ」とするのが妥当です。
「打」という漢字は、「手+丁」の会意兼形成文字です。「丁」は釘(くぎ)の頭を示す印で、直角に打ち付ける意を含むので、「打」は「トントンと手で打ち叩く動作」を表す字です。
つまり、「ある物の頭を叩き、平面に差し込む」というのが原義なのです。
現在の用例としては、「釘を打つ・杭を打つ・鍼を打つ」などがあります。
したがって、これらの延長で「注射針を打つこと」から「注射を打つ」「ワクチンを打つ」「覚せい剤を打つ」などと書いても何ら差し支えはないということになるのです。
ところが、「打」という漢字は「打撃」「殴打」「打撲」などの熟語があることから「強い衝撃」という意識を抱く人もいます。
そのため、「注射を打つ」と書くのに抵抗を示す人がいて、ひらがな表記にされる人が一定数いるのだと考えられます。
「うつ」と「打つ」の用例
実際の文学作品や新聞記事などを見ても、「打つ」と「うつ」の両方が広く用いられています。
覚醒剤の注射を打って、夜っぴて目を皿のやうにして
出典:三島由紀夫『邯鄲』
千代美は、昨年十月から覚せい剤を打ち始め、親しくなった昇も同十二月から注射を始めた。
出典:読売新聞 昭和60・9・26
調べによると、潮ら三人は昨年末から二月中旬にかけ、丸岡ら四、五回にわたり覚せい剤をそれぞれ〇・五~〇・八グラムを約三万円で譲り受け、自宅などで打っていた。
出典:毎日新聞 昭和54・3・2
覚せい剤で懲役一年の刑を受けた元ファッションモデルが仮出所からわずか十一日後、再び男友達と覚せい剤をうち
出典:読売新聞 昭和60・9・28
大阪拘置所では昨年七月、~幹部ら九人が覚せい剤をシャツに縫い込んで差し入れさせ、ボールペンを改造した注射器を使って”回しうち“していた事件が発覚している。
出典:毎日新聞 昭和54・4・27
「疲れた時、覚せい剤をうつとスーッとし、体が軽くなるのでやめられなくなった」と自供した。
出典:毎日新聞 昭和54・8・31
監督が覚せい剤うつ(上記記事の見出し)
上記の用例は「覚せい剤をウツ」というものばかりで、「注射をウツ」という言い方はされていません。
これは「注射を打つ」という言い方よりも、実際には「注射する」という言い方の方が普及しているからだと言えます。
したがって、仮に「注射を打つ」を別の言い方にするならば、「注射する」が最も適しているということになります。
この言い方であれば「打つ」と「うつ」の選択に迷う必要がないので、漢字の表記を間違えるということもありません。
そのため、もしもどちらを使うか迷った場合は、「注射する」という別の表記があることも頭に入れておくとよいです。
必ずしも漢字で書く必要はない
なお、冒頭で紹介した「異字同訓の漢字の用法」の前書きには、次のような記述も残されています。
その意味を表すのに、適切な漢字のない場合、又は漢字で書くことが適切でない場合がある。このときは、当然仮名で書くことになる。
出典:「異字同訓の漢字の用法(国語審議会漢字部会作成資料・昭和47)」
つまり、もし「注射を打つ」と書くのが適切でないと思えば、「注射をうつ」と仮名書きにすればよいということです。これは「ワクチンをうつ」「覚せい剤をうつ」などの用例も同様です。
結局の所、「注射をウツ」と言った場合、元の意味である「ある物の頭を叩き、平面に差し込む」というのが一番近い意味となります。
その意味に適した漢字は「打つ」であり、「討つ」でも「撃つ」でもありません。したがって、漢字で表記するとなるなら、やはり「打つ」が適切ということになるのです。
ただ、「必ずしも漢字を使わなければいけないか?」というとそうではありません。
漢字とひらがなのどちらを使うかは、その人の自由な選択領域でもあります。そのため、ひらがなで「うつ」と表記しても構わないということです。
本記事のまとめ
以上、本記事のまとめとなります。
「注射をうつ」と「注射を打つ」、どちらで表記してもよい。
「打つ」=「ある物の頭を叩き、平面にさしこむ」という意味なので、漢字なら「打つ」と表記する。
「注射をウツ」の別の言い換えとしては、「注射する」がある。
基本的に、「打つ」と「うつ」のどちらで書いても構いません。一点注意すべきは「うつ」という漢字は他に「討つ」「撃つ」などがあるので、この二つと混同しないようにすることです。
注射針などをうつ場合で漢字表記にする際は、必ず「打つ」と書くようにしてください。その他、「注射を打つ」という言い方にこだわらないのであれば、「注射する」という表現を用いてもよいです。