「中世」という言葉は、日本史や世界史の中でよく登場します。特に、日本やヨーロッパの歴史・時代背景を語る上では欠かすことができません。
また、この言葉は現代文の用語としても使われているようです。そこで本記事では、中世とはそもそも「いつからいつまでを指しているのか」といったことを含め詳しく解説しました。
中世とはいつからいつまで?
まず、「中世」の意味を辞書で引くと次のように記述されています。
【中世(ちゅうせい)】
⇒歴史の時代区分の一。古代と近世との間。主として封建社会の時代。
①日本史で、鎌倉時代・室町時代をさす。近世にあたる安土桃山時代・江戸時代を後期封建社会とよぶのに対して、前期封建社会とよぶことがある。
②西洋史で、ローマ帝国分裂の4世紀末から、15世紀の東ローマ帝国の滅亡および16世紀にかけてのルネサンスおよび宗教改革に至る時代をさす。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
「中世」という時代は、日本と西洋によって意味合いが異なってきます。
「日本」では、一般に「鎌倉時代の始まり(1185年)から室町時代の終わり(1573年)まで」を指します。
すなわち、1185年~1573年までのおよそ400年間(正確には388年)を「中世」と呼ぶということです。
鎌倉時代については、以前までは1192年からが有力とされていました。
しかし、現在はその定義が変わり1185年からとなっているため、1185年の鎌倉幕府成立からが中世のスタートとなっています。
一方で、「西洋(ヨーロッパ)」はどうかと言うと、「ローマ帝国分裂の4世紀末から、15世紀の東ローマ帝国の滅亡および16世紀末まで」を指します。
西洋の場合は、日本ほど正確に中世の時代区分が定められてはいません。
西洋では、ローマ帝国の分裂から東ローマ帝国の滅亡、ルネサンス及び宗教改革までのおよそ1000年間の時代を「中世」と呼ぶのです。
なお、世界の時代は一般に次のように区分されています。
「古代」→「中世」→「近世」→「近代」→「現代」
すなわち、「中世」は、「古代」と「近世」の間に挟まれた時代ということになります。
歴史の時代区分に関してはいくつか方法があり、「古代-中世-近代」という3区分法が最も有名ですが、ここでは近世や現代も含まれたものを紹介しています。
では、大まかな過去の歴史が分かった所で、もう少し「中世」という時代について詳しく見ていきましょう。
日本と西洋で定義が異なる理由
日本と西洋では、「中世」という時代の定義が根本的に異なります。
その理由は、日本における中世については、元々、西洋で作り出された中世という概念を輸入したものだからです。
4世紀末の西ローマ帝国の滅亡後、西洋の主役となったゲルマン民族は高度なローマ文明を継承できませんでした。
そのため、長い間イスラム世界やビザンティン帝国など、東方の文明圏に大きく後れを取っていたのです。
さらに、中世ヨーロッパではペストと呼ばれる伝染病の流行により、多くの人が犠牲になりました。
当時のヨーロッパの人口の3分の1もの人がペストによって命を落としたと言われています。まさに「暗黒の時代」です。
しかし、14~16世紀にかけてヨーロッパ社会の転換期に革新的な文化運動が起こります。それが、「ルネサンス(文芸復興)」と呼ばれるものです。
ルネサンスにより、西洋は再び世界でも有数の先進地帯になります。これを西洋人は「古代の栄華の復興」と捉え、栄光の古代と近代に挟まれた暗黒時代を「中世」と呼ぶことにしたのです。
これが三時代区分法と呼ばれる、「古代ー中世ー近代」という時代区分が作り出されたきっかけなのです。
その後、歴史学の進展や時代の複雑化など諸事情が絡み、中世と近代の間に近世という概念が挿入されたり、中世の始まりと終わりの時期が揺れ動いたりはしました。
しかし、西洋では基本は西ローマ帝国の滅亡(ゲルマン民族の大移動)からルネサンス開始頃までが中世という位置付けになっています。
一方で、西洋以外の地域での「中世」は、西洋史の区分法を真似して導入したものでした。
日本では、欧州の中世が封建社会だったことから、同じく封建制だった鎌倉時代~室町時代を中世と呼ぶことにしました。
安土桃山~江戸時代も封建制ですが、中央政府(幕府など)の権力が確立されており、全く世相が違うためこちらは「近世」と呼んで区別しています。
このように、「中世」という時代は元々西洋史に作りだされたものなので、単純に他国にそのまま当てはめることができないという実情がありました。そのため、各国によってその定義や時代区分が異なるのです。
「中世」=「神が中心の時代」
「中世」とは一体どのような時代だったのでしょうか?これは一言で言うと、「神が中心の時代」であったと言えます。
中世ヨーロッパの社会の特徴として、封建的身分制度による支配が挙げられますが、一番の特徴はやはり神が絶対的な地位を確立していたということです。
中世では、キリスト教的な価値観がすべてでした。キリスト教が広まった経緯は少々複推ですが、主に三つの時代に区分することができます。
第1期は4世紀から10世紀にかけて、キリスト教がヨーロッパ全土に広がった時期です。
それまでは地中海周辺の地域に限られていたキリスト教が、この時期にアルプスを越えて全ヨーロッパに広がったという経緯があります。
そして、第二期は11世紀から13世紀頃で、キリスト教会の指導力が絶頂に達した時期です。
当時は、学問や建築、哲学など多くの分野にわたってキリスト教が影響力を及ぼしたという時期でもありました。
第三期は14世紀~15世紀頃で、キリスト教の影響力が衰え始めた衰退期です。
この時期は、キリスト教による統一ができなくなり、次の宗教改革の時代に進んでいく時期でもあります。
過去の流れを見ると、1000年間のほとんどの期間をキリスト教が支配していたということが分かるかと思います。
中世のヨーロッパでは、キリスト教の神が支配する社会であり、人間は他の自然や生き物と同様に神によって作られたものという認識でした。
そのため、幸せになるために毎日神にお願い事をしたり、病気などにかかったらお祓いの意味を込めて神に祈りを捧げていたのです。
ところが、すでに説明したように当時のヨーロッパでは黒死病と呼ばれるペストが大流行する事態が起こりました。
世の中の人々は神に祈っても祈っても救われるどころか、どんどんとペストで命を落としていきます。
このような時代の流れもあり、人々にとって絶対的な存在であった神の地位が次第に低下していくこととなります。
さらに、追い打ちをかけるように、古代ギリシアやローマの文化を範にしたルネサンスにより、「人間性や個性を肯定する人間中心主義」という考え方が生まれました。
「人間中心主義」とは「神が世の中の中心ではなく、人間が世の中の中心である」という思想のことです。そして、時代は「中世」の次の時代である「近代」へと移っていくのです。
このように、中世という時代は良くも悪くも「神」が主役でした。したがって、「キリスト教がどのように発展して衰退していったのか?」ということを押さえておく必要性があるのです。
「中世」の使い方・例文
最後に、「中世」という言葉の使い方を実際の例文で紹介しておきます。
- 中世ヨーロッパの社会は、キリスト教的な価値観が多数を占めていた。
- 古代から中世にかけて、西欧の哲学は神を中心とするキリスト教へと移行していった。
- 伝統や宗教、神、身分、村落共同体、自然などを重視する時代が中世であった。
- 中世の封建制から脱した市民社会を基盤として、西欧諸国は近代化を目指すことになった。
- 中世から近代に入り、人々は自由や平等、理性などを重視する価値観へと変わっていった。
- 日本における中世とは、武家体制である封建制が確立した鎌倉時代~室町時代を指す。
「中世」は、歴史の言葉という印象が強いですが、一般には大学入試現代文の用語として使われます。
現代文では、西欧史を語るテーマの中で登場し、「近代」との比較の中で用いられることが多いです。
近代では、個人の自由や平等、理性、科学などを重視する時代でした。この「近代」という時代を語る上で、その前の時代である「中世」を語ることは欠かせません。
なぜなら、両者は全く異なる時代であり、人々の思想や価値観、理念などがそれまでとは考えられないほど変化したからです。
その他には、「中世」の前の時代である「古代」についても用いられる場合があります。両者の時代については、以下の記事を参照してください。
本記事のまとめ
以上、今回の内容のまとめです。
「中世」=日本だと「鎌倉時代の始まりから室町時代の終わりまで(1185年~1573年)」。西洋だと「ローマ帝国分裂の4世紀末から、15世紀の東ローマ帝国の滅亡および16世紀末まで」。
「中世の定義が異なる理由」=日本における中世は、西洋で作り出された中世を輸入したものだから。
「中世という時代の特徴」=神が中心の時代(神が絶対的な地位を確立していた)。
「中世の使われ方」=主に現代文の中で、近代との比較の中で用いられる。
中世という時代区分は、当時の国や地域によって定義が異なります。しかし、元は西欧から作り出された概念なので、一般に使われる際は西欧のことを指していると認識しましょう。