「大儀そうに」という表現を聞いたことがあるでしょうか?
小説、『羅生門』にも登場し、下人の状況を表したシーンとして用いられています。ただ、具体的にどのような意味を表すのか分かりにくい言葉でもあります。
そこで本記事では、「大儀そうに」の意味や短文、類語、別の言い方などを詳しく解説しました。
「大儀そうに」の意味・読み方
「大儀そうに」は「たいぎそうに」と読みます。意味は「面倒くさそうに・やっかいそうに」などの様子を表したものです。
例えば、妻が夫に対して家事の手伝いを頼んだ際に面倒くさそうにしていれば「夫は大儀そうに返事をした。」などと言います。また、時間のかかる面倒くさそうな仕事を始める際にも、「彼は大儀そうに仕事を開始した。」などと言います。
つまり、いかにも面倒で厄介な物事を行う様子や、嫌々と物事を行う様子のことを「大儀そうに」と言うわけです。
念のため、「大儀」という言葉を辞書で引くと次のように書かれています。
【大儀(たいぎ)】
①即位式・朝賀など、朝廷で行われる最も重要な儀式。大典。→中儀 →小儀
②重大な事柄。大事なこと。「大儀の前の小儀」
③やっかいなこと。また、そのさま。おっくう。めんどう。「今から出かけるのは大儀だ」
④疲れなどのため何もする気になれないこと。また、そのさま。「すわっているのも大儀そうに見える」
⑤他人の労をねぎらうときに用いる語。ご苦労。
⑥費用のかかること。また、そのさま。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
「大儀」というのは元々、朝廷で行われる重要な儀式のことを指していました。辞書の説明だと、①に当てはまります。
そして、現在では主に②「重大な事柄・大事なこと」や③「やっかいなこと・めんどう」などの意味として使われるようになりました。
この事から、「大事なこと」⇒「やっかいなこと」⇒「面倒なこと」という意味に派生していったのが「大儀」だと言われています。「大儀そうに」という言い方は、この「面倒」という意味の「大儀」に対して、後ろに「そう」を付けた表現ということです。
『羅生門』での意味は?
「大儀そうに」は、芥川龍之介の有名な作品である『羅生門』の中に登場します。以下、実際の引用部分です。
下人の考えは、何度も同じ道を低徊した揚句に、やっとこの局所へ逢着した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「盗人になるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。下人は、大きな嚔(くさめ)をして、それから、大儀そうに立上った。夕冷えのする京都は、もう火桶が欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗の柱にとまっていた蟋蟀も、もうどこかへ行ってしまった。
出典:『羅生門』芥川龍之介
ここでの「大儀そうに」は、「しんどそうに・気力がなさそうに」などの意味で用いられています。
「大儀」は、先ほどの説明にもあるように「④疲れなどのため、何もする気になれないこと」という意味がありました。したがって、「(疲れていて)しんどそうに」という意味になるわけです。
『羅生門』の舞台となっているのは、平安時代の京都です。当時の京都は華やかなイメージとは真逆で、天災や飢饉、疫病などにより世の人々は混乱を極めていました。
下人もその混乱により住む家や仕事・お金などを失い、行く当てもなくずっと道をさまよっていました。さらに、寒い夜が迫り、雨が降り出したにも関わらず、夜を明かすような場所もないような状態です。
食べるものもなく、寝る場所もない。そして明日の命も分からない。でも盗人になる勇気もない。
そんな精神的にも肉体的にも追い込まれて疲弊している状態ですが、生きるためには前へ進まなければいけません。そのため、下人は大儀そうに立ち上がったということです。
この時の意味としては「面倒くさそうに」でも間違いではありませんが、下人としては切羽詰まる所まで追い込まれているような絶望的な状況です。
したがって、「絶望的なので、面倒くさい」となるとその後の下人の行動がよく分からなくなるため、「気力がわかず、しんどそうに」という訳が適していると言えます。
「大儀そうに」の類義語
「大儀そうに」は、次のような類義語で言い換えることができます。
- 面倒くさそうに
- だるそうに
- だるい感じで
- 億劫そうに
- 煩わしそうに
- かったるそうに
- 具合悪そうに
- 嫌そうに
- しぶしぶ
- やれやれと
「大儀そうに」の類義語は、「意欲が感じられないさま」「行動したくないけど、行動する様子」などを表したものとなります。同義語と呼べるものはありませんが、「面倒くさそうに」「だるそうに」などはほぼ同じ意味の近い言葉だと言えます。
なお、同じ読み方で漢字も似ている「大義(たいぎ)」がありますが、「大儀」と「大義」は異なるので注意が必要です。
「大義」とは「人として守るべき道義・大切な事柄」などの意味を持つ言葉です。
主に「大義を果たす」「大義名分」などの使い方をしますが、この言葉自体には「めんどう・やっかい」などの意味は含まれていません。したがって、「大義そうに」などの使い方は誤用となります。
「大儀そうに」の英語訳
「大義そうに」は、英語だと「wearily」と言います。
「wearily」は「疲れて・だるそうに」などの意味を持つ副詞で、元々は「wearing(疲れさせる・うんざりさせる)」という形容詞から派生した単語です。
主に人が疲れながら何かをしたりダルそうに作業をしたり際に使うことができます。
【例文】
He climbed the stairs wearily.(彼は疲れながら階段を上った。)
The dog looked at the owner wearily.(その犬はダルそうに飼い主をみた。)
She started washing the dishes wearily.(彼女はダルそうに食器を洗い始めた。)
「大儀そうに」の使い方・例文
最後に、「大義そうに」の使い方を例文で紹介しておきます。
- その男は大儀そうに立ち上がり、こちらを向いた。
- 夫に家事を頼んでも、大儀そうに返事が返ってくるだけであった。
- 役所の窓口で大儀そうに受け答えをされたので、非常に腹が立った。
- 大儀そうにあくびをしていたあいつを直接注意しに行こうと思う。
- いつもは真面目な彼女だが、今日はなぜか大儀そうに仕事をしていた。
- 病み上がりで体力も落ちていたので、彼は大儀そうにしていたのだろう。
- 弱々しい声で大儀そうに返事をしていたけど、あいつは大丈夫だろうか。
「大儀そうに」は複数の意味がありますが、主に「面倒くさそうに・やっかいそうに」という意味で使われることが多いです。例文だと1~5がこの用例に当てはまります。
6~7の例文は「しんどそうに・気力がなさそうに」などの意味です。この意味での用例は、先述したように羅生門での使用が有名なものです。
どちらの意味でも使うことができますが、一般的な文章ではあまり用いられるものではありません。「大儀そうに」は、一般的な文章というよりは古語を使った昔の小説文などで登場することが多いです。
まとめ
以上、本記事のまとめとなります。
「大儀そうに」=面倒くさそうに・やっかいそうに。
「羅生門での意味」=しんどそうに・気力がなさそうに。
「類義語」=「面倒くさそうに・だるそうに・億劫そうに・煩わしそうに」など。
「英語訳」=「wearily」
「大儀そうに」は羅生門の中で登場する有名な表現です。意味としては、下人がゆく当てもなく精神的・肉体的に疲弊してしんどそうに立ち上がる様子を描いたものです。これを機に、ぜひ正しい言葉の意味を理解して頂ければと思います。