「サンチマンタリスム」という言葉をご存知でしょうか?
芥川龍之介の作品『羅生門』の中に出てくるもので、英語だと「sentimentalism(センチメンタリズム)」とも言います。ただ、そもそもなぜ彼がこの言葉を使ったのかという疑問があります。
そこで本記事では、「サンチマンタリスム」の意味や使い方などを含め詳しく解説しました。
サンチマンタリスムの意味
「サンチマンタリスム」とは「感傷におぼれる心理的傾向や態度。涙もろさ」という意味です。
元々は、フランス語の「sentimentalisme」を由来とする言葉で、英語だと「sentimentalism(センチメンタリズム)」と表記します。
「サンチマンタリスム」は、日本語だと「感傷性・感傷主義・感情主義・多情多感」などと訳されています。
「感傷(かんしょう)」とは「物事に対して感じやすく、すぐに悲しんだり同情したりする心の傾向」のことです。
例えば、身近な出来事に対してすぐに悲しんだり泣いたりする人は感傷的な傾向があると言えます。また、他人の不幸や苦悩に対して、自分のことのように同情しやすい人なども感傷的だと言えます。
つまり、「サンチマンタリスム」とは「知性や理性よりも、感情や感覚を重んじる心理的な傾向」を表す言葉ということです。ちょっとした出来事でもすぐに感情が動いてしまうような人は、「感傷性がある」「サンチマンタリスムだ」などと言います。
『羅生門』に出てくる言葉
「サンチマンタリスム」は、芥川龍之介の有名な作品『羅生門』の中に出てきます。
以下、実際の引用部分です。
今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。
その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人のSentimentalismeに影響した。
申の刻下りからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。
出典:『羅生門』
『羅生門』というのは、大正時代の1915年に発行された短編小説です。しかし、その中身は平安時代の京都が舞台となっています。
簡単にあらすじを紹介すると、以下の通りです。
主人公である下人(げにん)が行き場をなくし、羅生門に行きつくと、老婆が女性の死体から髪を引き抜いているのを見つけた。下人が老婆に何をしているのか聞くと、老婆は「髪を抜いてかつらにしようとしていた」と答えた。
老婆は「この女は生前、蛇を干し魚だと偽って人に売りつけていた。だから私もこの女の髪で生きるためにかつらを作って売っても別に良いだろう」と言う。
下人は生きるために強盗をしようか迷っていたが、老婆の発言を受けてそれまでの迷いが吹っ切れたようにこう言う。
「じゃあ俺がお前の服をはぎとるのも仕方ないな。俺もそうしないと死んでしまうんだから。」そう言って、老婆の服をはぎ取って逃げた。
その後、下人の行方を知る者は誰もいない。
と、このような話となっています。
「サンチマンタリスム」が作内で使われたのは、この老婆と出会う前の場面です。
当時の平安期の京都は天災が続いており、獣や盗人が済むような荒れ果てた土地でした。そして、仕事もお金も失った下人は行く当てもなくさまよいながら、羅生門の下で雨が止むのを待っていました。
「自分は盗みをすべきか?」もしくは「盗みをしない方がいいのか?」といった善悪の迷いが生じている状況です。その時の下人の心境を表すシーンで使われたのが、「サンチマンタリスム」という言葉なのです。
なぜ「フランス語」なのか?
芥川はなぜ「サンチマンタリスム」という言葉を使ったのでしょうか?これについて諸説ありますが、大きく分けて3つの説があります。
まず1つ目は、「読者の注意を引き付けるため」というものです。
人間は見慣れない言葉が急に出てくると、その言葉に自然と注目します。そして、「この言葉はどんな意味なんだろう?」と頭の中で考えるようになります。
普段から読書をよくする人であれば、この感覚は分かるかと思われます。つまり、読者の注意を引き付けるためにあえて見慣れない表記を使ったという説です。
これが例えば、英語の「sentimentalism」であれば何となくのイメージは湧くという人もいるでしょう。しかし、「Sentimentalisme」だと、日本人のほとんどが意味を理解できないはずです。
「この意味を理解できない」という効果を狙い、注意を喚起したというものです。ただ、これだけの理由ならば、フランス語にする必要は必ずしもなく、スペイン語でもポルトガル語でも構わないはずです。
実は芥川は「フランス文学に強い興味を抱いていた」と言われています。これが2つ目の説です。
『羅生門』を執筆していた当時、彼はフランス文学の講義をとっていました。実際に、フランスの作家であるアナトール・フランスが書いた小説『バルタザアル』を彼は日本語に翻訳しています。
このような背景もあったため、フランス語の小説の中にあった「Sentimentalisme」を使い、自分の小説に使ったという説です。
当時は大正時代ということもあり、「Sentimentalisme」に当たる正確な日本語訳がまだ存在していませんでした。もちろん、芥川自身は「Sentimentalisme」のニュアンスは理解していましたが、正確な訳がはっきりとあった時代ではなかったのです。そのため、漢字やカタカナなどの日本語表記ではなく、原文のまま記したのではと言われています。
そして最後は、「下人の心理が、現代にも通じることを伝えたかった」という説です。
『羅生門』は、平安時代の様相を主人公である下人の視点から描いたものです。時代としては大正時代よりもはるか昔の設定なので、当時の感覚から言えば非常に古い社会情勢です。
しかしながら、善悪の概念や人のエゴといった問題は今も昔も変わらずあります。このことを、芥川は「サンチマンタリスム」という当時においては現代語であった言葉で表していたのではと言われています。
つまり、現在抱えている問題と作中で抱えている問題は同質であるという事実を伝えたかったという説です。
以上、3つの説を紹介しましたが、詳細な真偽というのは不明です。なぜなら、芥川自身がこの言葉を用いた直接的な理由には一切言及していないためです。したがって、本当のところは芥川龍之介のみが知り得ることだと言えます。
サンチマンタリスムの使い方・例文
最後に、「サンチマンタリスム(センチメンタリズム)」の使い方を例文で紹介しておきます。
- 感傷的になるのは、彼のやさしさでありサンチマンタリスムでもある。
- 私にとっては彼女の悲しみがサンチマンタリスムにしか感じられなかった。
- あいつを見て同情したが、センチメンタリズムと言ってしまえばそれまでである。
- ちょっとした出来事ですぐ泣くという行為は、センチメンタリズムに過ぎない。
- 多くの友人が、彼のセンチメンタリズムを思いやりや親切心と勘違いしたようだ。
- このハリウッド映画は、センチメンタリズムにあふれた作風という印象を受けた。
- 舞台では必要以上に感情的な演技をすることがある。これは一種のセンチメンタリズムである。
現代では、「サンチマンタリスム」よりも「センチメンタリズム」を使うことの方が多いです。「サンチマンタリスム」は、『羅生門』の中でしか使われない言葉だと考えても問題ありません。例文では便宜上、「サンチマンタリスム」を紹介しましたが、実際の文章ではほとんど使わないです。
「センチメンタリズム」は、主に小説文の中で使われます。小説文の中で、感傷的な気分になる人、涙もろい人などを対象とします。その他、映画や舞台・ドラマなどで登場人物が感傷におぼれるシーンで使われることもあります。
まとめ
以上、本記事のまとめです。
「サンチマンタリスム」=感傷におぼれる心理的傾向や態度。涙もろさ。感傷性・感傷主義。
「語源・由来」=フランス語の「sentimentalisme」。英語だと「sentimentalism」と書く。
「羅生門で使われた理由」=①「読者の注意を引き付けるため」②「フランス文学に興味を抱いていため」③「下人の心理が現代にも通じることを伝えたかったため」など諸説あるが、真相は不明。
「サンチマンタリスム」は、羅生門の中に出てくる唯一の外国語です。この言葉を使った真意というのは、作者しか知らないため誰にも分かりません。そのため、「何が正しい」「何が誤り」などの正解はないということになります。