『山月記』には、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」という表現が登場します。この二つの表現は、主人公である李徴の性格を深く理解する上で非常に重要な部分です。
ですが、初めて読んだ人はどういう意味なのか疑問に思うという人も多いと思われます。そこで今回は、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」の意味を具体例を交えながら分かりやすく解説していきます。
「臆病な自尊心」の意味
「臆病な自尊心」とは、自分の能力を高く見積もり、それを誇りに思う気持ち(=自尊心)がある一方で、その評価を他者に否定されることを極度に恐れている状態を表します。
つまり、「自分を認めてほしい」という思いが強いのに、他人の評価に傷つくことを怖がっている状態のことです。
『山月記』における具体例
李徴は若い頃から詩人としての才能を自覚していました。しかし、自作の詩を他人に評価されることを極端に恐れ、自分の作品を堂々と世に出すことができませんでした。
ここからも、詩を作る情熱がありながら、それを発表して批評されることで自尊心が傷つくことを恐れ、「もし酷評されたらどうしよう」という臆病さが表れていることが分かります。
また、詩人としての道を選ばずに、官吏(役人)の職に就いたのも、「詩作で失敗したら」という不安や臆病さから来ていることがわかります。
「尊大な羞恥心」の意味
「尊大な羞恥心」とは、自分が恥をかいたり失敗したりすることに対して極度に敏感で、その恥ずかしさを隠すために尊大(偉そう)な態度を取る性質のことを表します。
言いかえれば、他人から自分が劣っていると思われるくらいなら、自分のほうが優れていると虚勢を張る態度のことです。「自分が他人に劣ることを認めたくない」というプライドの裏返しを示す表現です。
『山月記』における具体例
李徴は官吏として生きることに満足できず、それを自覚していました。しかし、それを自ら認めたり、他人に指摘されたりするのが耐えられず、逆に他人を見下す態度を取りました。
たとえば、官吏時代に同僚たちを「俗物」と見下し、自分の優越性を保とうとしました。ここから、「自分は詩人としての才能を持つ特別な存在で、彼らとは違う」という尊大な態度を取ることで、内心の恥ずかしさを覆い隠そうとしていたことが分かります。
また、詩作を世に問えない自分への不満を周囲のせいにし、「世間が理解しない」と責任転嫁する態度からも、他人を見下す心理が表れていることが分かります。
「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」の矛盾
矛盾の本質
この二つの性質は一見すると正反対のように見えますが、実はどちらも「自分を守りたい」という心理に根ざしています。この矛盾が李徴の苦悩を生み、彼を不幸に追いやった根源でもあります。
- 臆病な自尊心が李徴に「他人からの批判や失敗を避ける」行動を取らせ、挑戦を妨げます。
- 一方で、尊大な羞恥心が彼に「自分の弱さを隠すために他人を見下す」態度を取らせます。
『山月記』での矛盾した行動の例
- 詩人としての夢を諦めて官吏になったものの、「本来の自分は詩人として優れている」という思いが捨てられず、官吏としての日々にも不満を抱きます。
- 官吏を辞めて再び詩作を志しますが、世に問う勇気がなく、最終的に家族を路頭に迷わせる結果になります。この矛盾した選択は、彼の「臆病」と「尊大」がぶつかり合った結果です。
この表現が象徴するもの
「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」は、李徴個人の性格だけでなく、普遍的な人間の弱さも表しています。そのため、多くの人が持つ以下のような心理を読み取ることができます。
-
他人に評価されたいけど、否定されるのが怖い
→ 行動を起こせず、自己嫌悪に陥る。 -
自分の失敗を認めたくないので、他人を批判する
→ 内心の弱さを隠そうとする。
現代における具体例
現代でも、SNSや仕事などで「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」を感じることがあります。
- 例1:SNSで自分の作品や意見を発信したいが、批判されるのが怖くて投稿できない(臆病な自尊心)。
- 例2:周りが成功しているのを見ると、「自分はそんなことを目指していない」と強がる(尊大な羞恥心)。
この表現は、李徴の悲劇だけでなく、誰しもが持つ内面的な葛藤を表現したものです。彼の矛盾を通して、自分自身の弱さや行動を振り返るきっかけにすることができるでしょう。
まとめ
今回は、山月記の中の「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」について解説しました。以下にまとめを記しておきます。
- 「臆病な自尊心」:自分の能力を高く評価したい自尊心がある一方で、その評価を他者に否定されることを極度に恐れている状態。
- 「具体例」:詩人としての才能を持ちながら、他人に批判されることを恐れて、自分の詩作を堂々と世に問うことができなかった。
- 「尊大な羞恥心」:恥を感じる気持ちが過剰に強く、その恥ずかしさを隠すために偉そうな態度を取る性質。
- 「具体例」:役人として生活の安定を選んだものの、それが自分の詩人としての理想にそぐわないと感じ、周囲の人々を見下すことで自分の選択を正当化しようとした。
この箇所は、人間の弱さと矛盾を鋭く描写したものであり、多くの読者が共感する部分でもあります。李徴の悲劇の根底には、このような性格的な矛盾が描かれているのです。