「形而上学」という言葉は、普段はほとんど聞かないと思います。何となくですが、難しい評論文に出てくるというイメージですね。
実際にこの言葉を学ぶと、アリストテレスなどの哲学者が出てくるため、分かりにくいと感じる人も多いようです。そこで今回はこの「形而上学」について、なるべく簡単に分かりやすく解説しました。
形而上の意味・由来
まず、「形而上」の意味を辞書で引くと次のように書かれています。
【形而上(けいじじょう)】
①形をもっていないもの。
②哲学で、時間・空間の形式を制約とする感性を介した経験によっては認識できないもの。超自然的、理念的なもの。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
※【形而上の英語訳】⇒「metaphysics(メタフィジクス)」
「形而上」は「けいじじょう」と読みます。意味は、「形のないもの、形を超えたもの。精神的なもの」だと考えてください。
「形のないもの」とは一体どういう意味でしょうか? 例えば、「人の気持ちや心」です。
人のうれしさや悲しさには、何か具体的な形があるわけではありません。感情には形がないので、当然と言えば当然です。
また、「形を超えたもの」とは「神様」や「仏様」のことを指します。
神様や仏様は、形がないどころか形すら超えた神秘的な存在です。そのため、宗教的な概念に対しては「形を超える」という表現が使われるのです。
このように、「形而上」というのは「形がない」もしくは「形を超えた」精神的なものを指すことになります。簡単に言うと「思考の中の世界」ということです。
ちなみに、なぜ「形而上」という難しい言葉かというと外来語の由来だからです。
明治時代にヨーロッパの哲学が日本に輸入された時、井上哲二郎という哲学者が「metaphysics」「physics」という概念を日本の人々に紹介しました。
しかし、当時は「metaphysics」や「physics」という概念にぴったり適した日本語訳が見つからなかったのです。
その時に彼が、中国の古典『易経(えききょう)』の中の言葉を使い、便宜上、「metaphysics」を「形而上」、「physics」を「形而下」と訳しました。そのため、このような難しい言葉になったということです。
形而上の対義語は?
「形而上」の「対義語」は、「形而下(けいじか)」と言います。意味は、以下の通りです。
【形而下(けいじか)】
①形を備えたもの。物質的なもの。
②哲学で、感性を介した経験によって認識できるもの。時間・空間を基礎的形式とする現象的世界に形をとって存在するもの。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
※【形而下の英語訳】⇒「physics(フィジックス)」
「形而下」とは「形があるもの。物質的なもの。感覚でとらえられる物質的な世界」のことを表します。
「形があるもの」というのは、私たちの身の回りの生活を思い浮かべると分かりやすいでしょう。
例えば、テレビや冷蔵庫、本棚、カーテンなど形があるものすべてです。これらの物質的なものを、単に「形而下」と呼んでいるわけです。
「形而下」は、英語で「physics(フィジックス)」と言います。「physics」は、元々古代ギリシャ語からきた言葉です。
「physics」の派生語である「physical(フィジカル)」を辞書で引くと、「肉体的」「物質的」などの訳語が出てきます。
これは、「physical」が元々見たり触ったりすることのできる形あるものという意味だからです。したがって、「形あるもの。物質的なもの。」という訳になったわけです。
その後、「physics」の頭に「meta」をつけて「metaphysics」という単語が作られました。これが前半で説明した「metaphysics(形而上)」です。
「meta(メタ)」とは「一つ次元が上」「超越(ちょうえつ)」などの意味があります。
つまり、「形而上」の方は、「形があるものよりも上(優れている)」という意味を込めて後から作られたのです。
2つの言葉には、このような背景があったということですね。
形而上学・形而下学の意味
ここまでの内容をまとめると、
「形而上」=形のないもの、形を超えたもの。精神的なもの。
「形而下」=形があるもの。物質的なもの。
ということでした。
つまり、「形而上学」とは「目に見えない本質を追究する学問のこと」を表すのです。
例えば、
- 「人間は何のために生きているのだろうか?」
- 「世の中は何が善で何が悪なのだろうか?」
- 「真実というのは、一体どこにあるのだろうか?」
- 「宇宙というものはどこからきてどう始まったのだろうか?」
- 「神様というのは本当に存在するのだろうか?」
といったことです。
このような考えは、まさに目に見えない世界の話なので「形而上学」だと言えます。
言いかえれば、「形而上学」は「哲学とほぼ同じ意味」だと考えても構いません。
※哲学とは簡単に言うと「物事の根本的なことを考える学問」のことです。
元々、この「形而上学」という学問は、古代ギリシアの哲学者である「アリストテレス」の哲学を、後世の人間が編纂してまとめたことにより広まりました。
「アリストテレス」と言えば、哲学の第一人者というイメージでしょう。
実際に彼が「形而上学」を研究して世に広めたことで、現在でも日本にこの言葉が広まっているということです。
一方で、「形而下学」とは「目に見えるものを追究する学問」のことを意味します。
「目に見える学問」とは「物理学」のような学問です。「物理学」とは、以下のような学問のことです。
- モノが落ちた時の落下速度はどれくらいだろうか?
- てこの原理の計算式はどう行うのだろうか?
- 電気と電圧が〇〇の時、抵抗はいくつだろうか?
まさに物質的な目に見える世界だと言えます。
他には「化学」「医学」など、形があるものを物理的に測定できる学問はすべて「形而下学」だと言えます。
したがって、「形而下学」=「自然科学」のようなイメージで考えても構いません。
要するに、目に見えるような実体のある対象を研究したり考察したりする学問ということです。
形而上・形而下の使い方・例文
最後に、「形而上」と「形而下」の使い方を実際の例文で確認しておきましょう。
- 形而上学は、精神的な世界に重きを置く学問である。
- 近代世界になり、形而下学はより重要視されるようになった。
- アリストテレスは形而上学とそれ以外の学問を区別した。
- 「善」や「悪」という概念について、形而上的に議論しよう。
- 彼は現実主義者であるため、形而下的な考えにしか興味がない。
- 「どんな服を着るか?」といった形而下的な考えばかりでなく、「生きる意味は何なのか?」といった形而上的な考えも大事である。
哲学の分野で「形而上学」と言う場合、神の存在証明や宇宙の根本原理を探究するような学問を指します。
なお、「形而上」と「形而下」は、必ずしも後ろに「学」が付くとは限りません。例文のように、「形而上的」「形而下的」のように用いる場合もあります。
単に「形而上的」と言った場合、「抽象的・精神的」などと同じ意味として使われることが多いです。逆に「形而下的」と言った場合、「具体的・物質的」などと同じ意味として使われることが多いです。
「抽象的」とは「一般的であるさま。具体性に欠けて分かりにくいさま」などの意味です。
まとめ
以上、本記事のまとめとなります。
「形而上学」=目に見えない本質を追究する学問。「哲学」とほぼ同義。
「形而下学」=目に見えるものを追究する学問。(物理学・化学・医学など)
「形而上学」は哲学的な要素が強いため、一見するととっつきにくい印象が強いです。しかし、本来の意味としてはそれほど難しいことを言っているわけではありません。ぜひこの機会に正しい意味を理解して頂ければと思います。