「広範な区域」「広汎にわたる」などど用いる「こうはん」という語があります。どちらもよく使われていますが、問題は漢字の表記です。
つまり、「広範」と書くのかそれとも「広汎」と書くのかということです。また、場合によっては「広凡」などと書かれることもあります。
そこで、本記事では「広範」と「広汎」の意味や使い分けについて詳しく解説しました。
広範と広汎の意味・読み方
まず最初に、この言葉を辞書で引いてみます。
こう‐はん【広範/広汎】
⇒広く行きわたるさま。力や勢いの及ぶ範囲が広いさま。「―な知識」「―にわたる活動」
出典:デジタル大辞泉(小学館)
「広範」と「広汎」はどちらも「こうはん」と読みます。そして、意味は「広く行き渡るさま・力や勢いの及ぶ範囲が広いさま」を表したものです。
【例文】
- 彼は広範な知識を持った頭の良い人物だ。
- この植物は広範な区域に生息しているものだ。
- 日本だけではなく世界各国、広汎に読まれている本です。
- 今までタレントとして広汎にわたる活動をしてきました。
このように、両者は辞書だと同じ意味・用例として載せられています。したがって、辞書の表記通りだと、どちらも意味自体に変わりはないということになります。
ただ、辞書の原則として、一般に漢字が併記されている場合、左側の漢字を優先的に使うというものがあります。この原則に従うならば、「広範」の方が「広汎」よりもよく使われている言葉だと言えそうです。
では次に、そもそも同じ意味なのになぜ二つの表記が存在するのかといったことを説明していきたいと思います。
広範と広汎の違いとは
「こうはん」という言葉は、元々、旧表記では「広汎」と書かれていました。
この「広汎」ですが、中国の注釈に「汎ハ広ナリ」という一文があり、「汎」は「ひろい」、「広」は「ひろい」とどちらも同じような意味として書かれています。
よって、「広汎」の意味は「ひろく、ひろい」であることが分かります。
ところが、漢字使用の目安を示した「当用漢字表」には、この「汎」という字は掲げられていませんでした。そのため、「汎」という字をどうするのかという問題が生じることになります。
そこで考えられたのが、耳慣れた「こうはん」という発音をそのままにし、当用漢字表の中の同音の漢字に書き換える、という方法です。これが「広範」という表記です。
実際に、この書き換えをまとめた国語審議会報告「同音の漢字による書きかえ」によると、「広汎→広範」となっています。
以上のような経緯もあり、旧表記では「広汎な区域」などと書かれていたものを、現代表記では、「広範な区域」と書くような流れが起こるようになりました。
この事は、「当用漢字音訓表」の段階でまとめられた『文部省刊行物・表記の基準』においても、次のような形で示されています。
上記の趣旨は、旧表記である「広汎な」と書かれていたものを当用漢字表に掲げられていないという理由から、同音の漢字の「範」に書き換えて用いるというものです。
先に述べた国語審議会報告も、この書き換えのルールをそのまま取り上げたものだと考えて問題ありません。
「広範」は正しくは造語
「広汎」の書き換えが「広範」になったのは、正しくは「造語(新たに語をつくること)」によるものです。「汎」という字を書き換える漢字としては、同じ字音を持つ「般・範」の二字が考えられます。
「般」は「一般・全般・諸般」などのように「めぐる」という意味があるので、「広般」でも「ひろくめぐること」を表し、意味が通じる言葉です。
一方で、「範」の意味は「一定の決まった場所・かぎり・くぎり」などです。すなわち、「広範」だと「ひろい・くぎり」という意味になり、こちらも意味が通じる言葉です。
どちらも同じような意味の言葉ですが、国語人議会報告では「広般」を採らずに、「広範」の方を採りました。
その理由は、「広範」の方が「広範囲」の省略形として違和感なく受け取られたことにあります。
ただし、「広範囲」を略して「広範」とする慣用は、旧表記時代には見れられなかったことです。そのため、旧表記時代に「広汎」の意味で「広範」と書くと誤りとされたに違いありません。
このような場合には、国語審議会としては正誤の基準を変えるのではなく、「新しく造語したものを使う」という考えを用いています。
例を挙げますと、「慰藉料→慰謝料」などがこれです。意外かもしれませんが、漢字を組み合わせて新しい熟語を造る方法は一般に行われていることなのです。
「慰謝料」の場合も「なぐさめる・あやまる料」という語を造って、「慰藉料」の代わりにしたのがこの書き換えです。
「広汎」の場合も同じように、同音ではあるものの新たに「広範」という語を造り、「広汎」の代わりにしたということです。
現在では造語である「広範」の方が一般に使われる傾向にあります。そのため、どちらを使っても間違いではありませんが、迷った場合は「広範」の方を使うことを推奨します。
広凡は正しい表記か?
最後に、「広凡」という表記についても触れておきます。
常用漢字表の音訓欄を見ると、「凡」にも「ハン」という字音が掲げれています。この点で参考になるのが、先ほどの国語審議会報告に見られる次のような書き換えです。
上記の書き換えは、「言・日・人・广」のような意義符を取り除いても、基本的な意味に変わりがないことを示しています。
別の言い方をするなら、漢字の中で主たる意味を担うのが、字音を表す「戒・干・幸・郭」のような音符の部分ということです。
これと同様に考えるなら、「広汎」も左側の「サンズイ」部分を取り除いて、「広凡」としても意味が成り立つという理論です。
しかしながら、「凡」に「ハン」の字音を認めるようになったのは、1973年の「当用漢字改定音訓表」の段階でした。また、認めたのも「凡」を熟語の前にして使う「凡例」のみでした。
「凡」を熟語の後にして使うのは「平凡」「非凡」などすべて「~ボン」と読むものであり、「~ハン」と読む熟語は全く見られません。
そのため、仮に「広凡」と書くとすると「コウボン」と読みかねない事態になってしまいます。よって、「広凡」は「コウハン」の書き換えとして適しているとは言えないという結論になります。
当時すでに「広汎→広範」が一般に用いられていたことを考えれば、「凡」に字音「ハン」が加わった段階で新たに「広汎→広凡」とわざわざ改める必要もなかったとも言えます。
まとめ
以上、今回は「こうはん」について解説しました。
「広範・広汎」=広く行き渡るさま・力や勢いの及ぶ範囲が広いさま。
「両者の違い」=意味自体に違いはない。「広範」は造語の新表記、「広汎」は旧表記。
「使い分け」=一原則として「広範」を用いる。ただ、「広凡」は不可。
「広範」と「広汎」は、現在ではどちらを使っても間違いではありません。ただ、歴史的には「広範」の方はすでに造語として確立しており、書き換えられているという事実があります。
そのため、一般的には「広範」の方が使われています。迷った場合は、旧表記の「広汎」ではなく新表記の「広範」の方を使うようにして下さい。