「詩」について学ぶと、2つの種類があることが分かります。それが、「口語詩」と「文語詩」と呼ばれるものです。
どちらもよく使われる言葉ですが、違いはどこにあるのでしょうか?今回は「口語詩」と「文語詩」の違い・見分け方などをなるべくわかりやすく解説しました。
口語詩の意味・読み方
「口語詩」は「こうごし」と読みます。意味は「口語体で書かれた詩のこと」です。
「口語体」とは簡単に言うと「(現代で使われている)話し言葉の文体」のことです。
つまり、現在私たちが普段から使う言葉により書かれている詩は、すべて「口語詩」ということになります。
例えば、以下のような詩は「口語詩」だと言えます。
カムチャッカの若者が きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は 柱頭を染める朝陽にウインクする
出典:「朝のリレー」(谷川俊太郎)
上記の詩は「谷川俊太郎(1931年~)」の代表作である『朝のリレー』という作品から抜粋したものです。
見て分かるように、普段の文章と何ら変わりがありません。例えば、語尾に「いる」や「する」がついていたりするこれらの文体は、通常の文章と同じ特徴を持っています。
このように、「です」「ます」「いる」「する」「だ」「である」など、現在使われている話し言葉に基づく文章で書かれた詩を「口語詩」と呼ぶのです。
「口語詩」は、山田美妙等の試作から始まり、明治末期の川路柳虹 (わじりゅうこう) らの口語自由詩を経て、大正期に確立したという経緯があります。
文語詩の意味・読み方
「文語詩」は「ぶんごし」と読みます。意味は「文語体で書かれた詩」のことです。
「文語体」とは「書き言葉」のことを指し、簡単に言えば「昔使われていた文体のこと」を表します。
具体的には、1945年の終戦直後まで使われていた文体です。例えば、以下の作品は「文語詩」の代表作として挙げられます。
まだあげ初(そ)めし前髪の
林檎(りんご)のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり
出典:『初恋』(島崎藤村)
上記の作品は、「島崎藤村(1872年~1943年)」の『初恋』ですが、私たちが普段使っている文体ではありません。
「あげ初めし」「見えし」「さしたる」「思いけり」など、普段なじみのない文体で書かれているという特徴があります。
このような、「し」「たる」「けり」など今現在使われていない文体で書かれている詩を「文語詩」と言うのです。
「文語詩」の元である「文語」は、別名「書き言葉」とも言われ、公式には「歴史的仮名遣い」という名称が付けられていました。
「歴史的仮名遣い」とは、文字の典拠を過去の文献に求める仮名遣いのことで、一般に平安中期以前の万葉仮名の文献に基準を置いたものを指します。
明治以降、「現代仮名遣い(1946年内閣告示)」が公布されるまでは、この「歴史的仮名遣い」が公的なものとなっていました。
口語詩と文語詩の違い
ここまでの内容を整理すると、
「口語詩」=口語体で書かれた詩。(今使われている話し言葉)
「文語詩」=文語体で書かれた詩。(昔使われていた書き言葉)
ということでした。
つまり、両者の違いを簡潔に言うと、「今と昔、どちらの文体で書かれているか?」ということになります。
「口語詩」は、今現在使われているような日常的な文体で書かれています。そのため、現代の人でもすんなりと読めるような詩文であることがほとんどです。
一方で、「文語詩」の方は昔使われていた歴史的仮名遣いや古語などを中心とした文体です。したがって、こちらは読み慣れないと読解が難しい詩文ということになります。
元々、江戸時代までは「話し言葉」と「書き言葉」の2つがあり、両者は場面によって明確に使い分けがされていました。
「話し言葉」は、文字通り人と人が話して会話するような時に使い、「書き言葉」は、小説や詩などの文学作品に使われていたのです。
ところが、「書き言葉」だけで小説や詩を作成するとなると、作り手側としては何かと制約が多く非常に不便でした。
そこで、「話し言葉」でも小説や詩などの文学作品を書けるようにと、当時の文学者たちが運動を起こすようになります。
それが、「言文一致運動(1900年~1910年)」と呼ばれるものです。
「言文一致運動」では、「書き言葉」を「話し言葉」へ近づけようとする運動が行われました。
実際に、この運動により、小説家では山田美妙が「です調」、二葉亭四迷が「だ調」、尾崎紅葉が「である調」の新文体を試みました。その結果作られたのが、「口語詩」なのです。
今の日本の社会では会話も文章も当たり前のように話し言葉が使われていますが、昔はそうではありませんでした。
昔は、話し言葉ではない「書き言葉」という概念があったので、現在でもその名残がある「文語詩」が存在するのです。
口語詩と文語詩の見分け方
「口語詩」と「文語詩」は、どのように見分ければよいでしょうか?
これはすでに説明したように、文末によって見分けるのが最もわかりやすいです。
「口語詩」の場合は、「です」「ます」「いる」「する」「だ」「である」などの文末が多いです。対して、「文語詩」の場合は、「し」「たる」「けり」「なり」といった文末が多いです。
ただし、実際にはほとんどの詩は「口語詩」であるということが言えます。なぜなら、「文語詩」自体の歴史が非常に浅いものだからです。
実は日本の詩自体は、そこまで歴史が長いというわけではありません。江戸時代までは、日本の詩は「漢詩(中国の詩)」が中心でした。
日本の詩が世に広まり始めたのは、明治時代(1868年~)に入ってからだと言われています。つまり、ざっと計算したとしてもわずか150年ほどの歴史しかないということです。
さらに、「口語詩」自体がいつから一般化したかと言うと1910年代です。そのため、「口語詩」は現在まで約100年の歴史がある一方で、「文語詩」の方はわずか30年の歴史しかないことになります。
これが現在世に出ているほとんどの詩が、「口語詩」である理由です。「文語詩」というのは、そもそもの時代が短かったので、絶対数として作品の数が少ないのです。
口語詩と文語詩の作品例
最後に、「口語詩」と「文語詩」の作品例を確認しておきましょう。以下の作品は、どちらも有名な作家・詩人である「宮沢賢治」の詩です。
「宮沢賢治(1896年~1933年)」は数多くの詩を書いていますが、「文語詩」から「口語詩」へと移り行く時代を生きた人物です。そのため、どちらの詩もこの世に残しています。
【口語詩の例】
ひかりの澱
三角ばたけのうしろ
かれ草層の上で
わたくしの見ましたのは
顔いつぱいに赤い点うち
硝子様(やう)鋼青のことばをつかつて
しきりに歪み合ひながら
何か相談をやつてゐた
三人の妖女たちです
出典:『谷』(宮沢賢治)
【文語詩の例】
秋立つけふをくちなはの、
沼面はるかに泳ぎ居て、
水ぎぼうしはむらさきの、
花穂ひとしくつらねけり。
いくさの噂さしげければ、
蘆刈びともいまさらに、
暗き岩頸 風の雲、
天のけはひをうかゞひぬ。
出典:上流(宮沢賢治)
比較しても分かるように、前者の方の文末は、「見ました」「です」など口語的な文体で書かれています。
こちらは約100年ほど前に書かれた「口語詩」ですが、それでも現在と同じ文体で用いられていることが分かります。
対して、後者の方は「けり」「暗き」「けはひ」など文語的な文体で書かれています。現代での文章では、「けり」などを文末に持ってくることはありません。
同じ作者でも、このように使っている文体が異なるということです。
まとめ
以上、今回のまとめとなります。
「口語詩」=口語体で書かれた詩で、現在の文体と同じ。(話し言葉)
「文語詩」=文語体で書かれた詩で、昔の文体と同じ。(書き言葉)
「違い」=今と昔のどちらの文体で書かれているか。
「使い分け」=文末によって見分ける。多くは「口語詩」。
古語や歴史的仮名遣いに基づいた詩が、「文語詩」です。対して、「口語詩」の方は日常的な文章に近い詩です。それぞれの意味を理解した上で、詩の内容を理解するようにしましょう。