「詩」というのは形式上、「定型詩」「自由詩」「散文詩」の3つに分類することができます。
これは中学校の国語の教科書でも学ぶ基本的な内容です。ところが、実際にはそれぞれ種類や特徴があり見分けるのがなかなか難しいです。
そこで今回は、「定型詩」「自由詩」「散文詩」の違いを例を使いなるべく簡単に分かりやすく解説しました。
定型詩の意味・読み方
「定型詩」は「ていけいし」と読みます。意味は「音数に一定の形式を持つ詩」のことです。
簡単に言えば、「一定のリズムを持った詩のこと」だと考えて下さい。
「定型詩」の分かりやすい例として、「短歌」と「俳句」が挙げられます。
以下は、「短歌」と「俳句」の代表作として有名なものです。
【短歌の例】
「いざ行かむ 行きてまだ見ぬ 山を見む このさびしさに 君は耐ふるや」
(読み方:いざゆかむ ゆきてまだみぬ やまをみむ このさびしさに きみはたふるや)
「若山牧水」の有名な短歌で、「五・七・五・七・七」という一定のリズムになっています。
【俳句の例】
「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」
(読み方:かきくえば かねがなるなり ほうりゅうじ)
「正岡子規」の有名な俳句で、「五・七・五」という一定のリズムになっています。
短歌は「五・七・五・七・七」の31文字、俳句は「五・七・五」の17文字から成るという特徴があります。
どちらの場合も、一定のリズムをとって詩を形成しています。このように、一定の形式を保っている詩のことを「定型詩」と呼ぶのです。
「定型詩」の「定型」は「型(かた)が定まっている」と書くので、決まった音数によって書かれた詩を表すことになります。
その他、五音と七音を繰り返す五七調や、七音と五音を繰り返す七五調なども「定型詩」と言えます。
なお、日本の詩以外だと「漢詩(中国の詩)」の絶句や律詩、西洋のソネットなども「定型詩」に含まれると考えて下さい。
自由詩の意味・読み方
「自由詩」は「じゆうし」と読みます。意味は「音数に一定の形式がない詩」のことです。
簡単に言えば、「特定のリズムを持っていない詩」ということです。
「自由詩」は、文字通り「自由に書かれた詩」と考えれば分かりやすいでしょう。
例えば、以下の詩は「自由詩」の代表作だと言えます。
とほい空でぴすとるが鳴る。
またぴすとるが鳴る。
ああ私の探偵は玻璃の衣裳をきて、
こひびとの窓からしのびこむ、
床は晶玉、
ゆびとゆびとのあひだから、
まつさをの血がながれてゐる、
かなしい女の屍體のうへで、
つめたいきりぎりすが鳴いてゐる。(以下略~)
出典:『殺人事件』 萩原朔太郎
上の詩は、「萩原朔太郎」作の『殺人事件』から引用したものです。
見て分かるように、一定の形式をとっているわけではなく、個々の文(行)によって形式がばらばらです。
このように、特定のリズムにとらわれることなく、自由な形式で書かれた詩を「自由詩」と呼ぶのです。
「自由詩」は、米国の詩人「ホイットマン」の詩集である「草の葉」が先駆的な作品とされています。
日本では、川路柳虹 (かわじりゅうこう)の作品によって、世に広まっていったという経緯があります。
散文詩の意味・読み方
「散文詩」は「さんぶんし」と読みます、意味は、「散文形式で書かれた詩」のことです。
「散文」とは「リズムや定型にとらわれない文章」のことを言い、簡単に言うと「普通の文章」のことを指します。
今この瞬間に書かれている文章も「散文」だと言えます。つまり、まるで普通の文章のように書かれた詩のことを「散文詩」と言うのです。
例えば、以下のような詩は「散文詩」に当てはまります。
センチメンタリズムの極致は、ゴーガンだ、ゴツホだ、ビアゼレだ、グリークだ、狂氣だ、ラヂウムだ、螢だ、太陽だ、奇蹟だ、耶蘇だ、死だ。
死んで見給へ、屍蝋の光る指先から、お前の至純な靈が發散する。その時、お前は、ほんたうに OMEGA の、青白い感傷の瞳を、見ることが出來る。それがおまへの、ほんたうの、人格であつた。
なにものもない。宇宙の『權威』は、人間の感傷以外になにものもない。
手を磨け、手を磨け、手は人間の唯一の感電體である。自分の手から、電光が放射しなければ、うそだ。以下略~
出典:萩原朔太郎『SENTIMENTALISM』
「散文詩」の特徴として「短い語句で改行をしない」という点が挙げられます。
「散文詩」は、「定型詩」や「自由詩」のように、細かく改行をしたり行分けをしたりはしないのです。
なお、「散文詩」は、フランスの詩人「ベルトラン」の『夜のガスパール』 (1842) を始めとし、同じくフランスの詩人「ボードレール」の『パリの憂鬱』 やランボーの『イリュミナシオン』 などによって確立されたという歴史があります。
定型詩・自由詩・散文詩の違い
以上の事から考えますと、それぞれの違いは次のように定義できます。
「定型詩」=音数に一定の形式を持つ詩。
「自由詩」=音数に一定の形式がない詩。
「散文詩」=散文形式で書かれた詩。
「定型詩」は、一定の形式を持った詩なので、短歌や俳句のように必ずリズムを持った詩となります。
古風で伝統的な雰囲気を出せるのが「定型詩」の大きな特徴です。
一方で、「自由詩」は一定の形式を持たない詩なので、それぞれの音数がばらばらとなります。
また、「自由詩」は「定型詩」と比べて自由に書くことができるので、自由な言葉、自由な表現が可能となります。
ただし、行分けなどの詩の基本的なルールは守ることとなります。現代詩において最も多いのがこの「自由詩」です。
最後の「散文詩」は、「見かけ上は普通の文章と変わらない詩のこと」です。
「散文詩」の場合は、「定型詩」のようなリズムを保つことは行いません。また、行分けをするようなことも行いません。
つまり、「自由詩」よりもさらに自由にそして現代的に書かれた詩が「散文詩」ということです。
「詩」は大きく「定型詩」と「自由詩」に分けられますが、その「自由詩」の中にもう1つある小さなカテゴリーが「散文詩」ということになります。
口語詩・文語詩との違い
似たような言葉で、「口語詩」と「文語詩」があります。
「口語詩」とは「口語体で書かれた詩」のことを表し、簡単に言うと「現在使われている話し言葉によって書かれた詩」のことです。
一方で、「文語詩」とは「文語体で書かれた詩」のことを表し、「昔使われていた書き言葉によって書かれた詩」のことです。
この「口語詩」と「文語詩」が、「定型詩」「自由詩」と合わせて用いられることがあります。それが以下の4つです。
- 「口語定型詩」=現代の言葉で書かれた一定の形式の詩。
- 「口語自由詩」=現代の言葉で書かれた自由な形式の詩。
- 「文語自由詩」=古い時代の言葉で書かれた自由な形式の詩。
- 「文語定型詩」=古い時代の言葉で書かれた一定の形式の詩。
1~4の詩を同じような中身で作ると、以下のようになります。
【口語定型詩】
赤い太陽 僕の心に しみわたる
僕の体 できているのは 白い大地
【口語自由詩】
赤い太陽がぼくの心にしみわたる
ぼくの身体は白い大地でできている
【文語自由詩】
赤き太陽が我が心にあり
白き大地は我が身体にあり
【文語定型詩】
赤き太陽 我が心にあり
白き大地 我が身体にあり
このように、「定型詩」と「自由詩」は使い方によって、さらに2種類に分かれる(計4種類)ことになります。
ちなみに、「口語散文詩」「文語散文詩」などの言葉は存在しません。なぜなら、「散文詩」という言葉自体に普通の文章すなわち(口語)という意味が含まれているからです。
まとめ
以上、本記事のまとめとなります。
「定型詩」=音数に一定の形式やリズムを持つ詩。(短歌や俳句など)
「自由詩」=音数に一定の形式がない詩。(自由に書かれた詩)
「散文詩」=散文形式で書かれた詩。(普通の文章のような詩)
「詩」は「定型詩」と「自由詩」に分かれます。さらに「自由詩」の中に「散文詩」が含まれると覚えておきましょう。