『わたしが一番きれいだったとき』は、茨木のり子によって書かれた詩です。中学や高校の教科書にも載せられています。
ただ、実際にこの作品を読むと内容が分かりにくいと感じる箇所も多いです。そこで今回は、本作のテーマや意味調べ、テスト対策問題などをわかりやすく解説しました。
『わたしが一番きれいだったとき』の全文
①わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
②わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった
③わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった
④わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
⑤わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
⑥わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
⑦わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
⑧だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね
『わたしが一番きれいだったとき』の本文解説
『わたしが一番きれいだったとき』は、作者が自分の青春時代を振り返りながら、その時代が「戦争」と深く結びついていたことを描いています。
詩の中で繰り返される「わたしが一番きれいだったとき」という言葉は、若さや青春の輝きを表している一方で、その最も輝くはずの時期が戦争によって奪われたという悲しみを強調していると言えます。
具体的に見ていくと、作者の青春期は第二次世界大戦の時代でした。本来ならおしゃれをしたり、恋愛をしたり、自由に学んだりすることができるはずの時期に、街は爆撃で崩れ、人々が亡くなり、贈り物や優しさに触れる機会すらなくなっていたのです。
たとえば、現代の高校生が、友達と文化祭を楽しむような経験すら、当時は空襲や死と隣り合わせの中で失われていたことになります。
さらに、「わたしの国は戦争で負けた」とあるように、戦後の混乱や敗戦国としての屈辱も描かれています。ここから、青春の輝きは、国の状況によって大きく左右されることがよく分かります。
自由に夢を語ることすら難しかった時代に、作者は「わたしはとてもふしあわせ」「めっぽうさびしかった」と告白します。ここからも、青春の喜びがどれほど戦争によって奪われたかが強く伝わります。
しかし、最後に作者は「だから決めた できれば長生きすることに」と語ります。ここには、逆境の中でも前を向き、人生の後半で美しいものを生み出そうとする強い意志が込められています。
例に挙げられている画家ルオーは、年老いてからも深い精神性を持つ絵を描き続けた人物です。作者も同じように「若いときに失った美しさを、人生の後半で取り戻そう」と決意しているのです。
この詩のテーマは、「戦争によって奪われた青春の悔しさ」と「それでも生き続け、美しさを別の形で実現しようとする強い希望」です。
私たちが読むと、戦争がいかに個人の人生を傷つけるかを実感できますし、同時に「どんな状況でも未来をあきらめないことの大切さ」も学べます。今の平和な時代に生きる私たちは、この詩を通じて青春を自由に過ごせるありがたさを考え直すことができます。
『わたしが一番きれいだったとき』の意味調べノート
【わたしが一番きれいだったとき】⇒作者は終戦時19歳であったため、この詩では青春時代の「一番きれいだったとき」を表している。
【とんでもない…見えたりした】⇒爆撃で建物や屋根が吹き飛び、空がのぞいている、という意味。
【まわりの人達が…島で】⇒軍需工場への空襲や、海や南方の小さな島での戦いで多くの人々が亡くなった、という意味。
【おしゃれのきっかけを落としてしまった】⇒ちょうどおしゃれをし始める年ごろだったのに、戦争でおしゃれをする機会を失った、という意味。
【男たちは挙手の礼しか知らなくて】⇒「挙手の礼」とは「右手を額(ひたい)の横に上げる軍隊式の敬礼」を表す。「しか知らなくて」は、「女性に贈り物をすることも知らないで」という思いが暗に含まれている。
【きれいな眼差しだけを残し皆発っていった】⇒「きれいな眼差し」は「純粋で汚れのないまなざし」を表す。男たちが戦争で潔く亡くなることを美徳として教えられ、戦地へ旅立っていったことを表現している。
【わたしの頭はからっぽで…栗色に光った】⇒知識や人生経験はまだ浅く、心は不器用で頑なだったが、体は若く元気で一番輝いていたことを表している。つまり、わたしは精神性を失い、日焼けした健康的な手足とは対照的に、ねじけた心で世の中を見ていたということである。
【そんな馬鹿なことってあるものか】⇒戦争に負けただけでなく、一番きれいだったときを奪われた、その犠牲が報われなかったことへの怒りや徒労感を表している。
【ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた】⇒ブラウスは、当時の女性がよく着ていた洋服。腕まくりをすることで、力強さや反抗心を表している。「卑屈な町」は「戦争に負けて、自信や誇りを失い、気持ちが小さくなっている町」、「のし歩く」は、「大きな態度で堂々と歩くこと」を表す。つまり、戦争に敗れて町全体が意気消沈していた中、作者は反抗するように、強い気持ちを込めて堂々と歩いた、という意味。
【禁煙を破ったときのように…むさぼった】⇒「禁煙を破った」とは、戦時下の禁止ずくめの生活が一変した状況の比喩。戦後、日本に自由に流れ込んできたジャズ音楽を、作者は強い衝撃を受けながらも夢中で聴いた。慣れない刺激にくらくらしつつも、異国文化の魅力に抗えず没頭した、という意味。
【わたしはとても…めっぽうさびしかった】⇒「とんちんかん」は「つじつまが合わずまぬけなこと」、「めっぽう」は「とても」という意味。戦争と敗戦の時代に青春を過ごした作者は、本来なら幸せや充実を味わう時期に、不幸せで、自分の気持ちも上手くつかめず、深い孤独を感じていた、ということ。
【だから決めた】⇒これまでの回想を受けて、未来への決意を述べている。
【年とってから凄く美しい絵を描いた】⇒一番きれいで美しく生きられるはずだった青春を取り戻し、この先の人生を悔いなく生きていきたいという思いを「ルオー爺さん」の人生に重ねて表明している。
『わたしが一番きれいだったとき』のテスト対策問題
まとめ
今回は、教科書『わたしが一番きれいだったとき』について解説しました。ぜひ定期テストの対策として頂ければと思います。