リスクと近代社会 現代文 解説 200字要約 テスト対策問題

『リスクと近代社会』は、大澤真幸による評論文です。教科書によっては、「リスク社会とは何か」「リスク社会としての現代」などのタイトルで収録されている場合もあります。

ただ、本文を読むとその内容が分かりにくいと感じる人も多いと思われます。そこで今回は、本作のあらすじや要約、テスト問題などを簡単に解説しました。

『リスクと近代社会』のあらすじ

 

本文は、行空きにより3つの段落に分けることができます。ここでは、各段落ごとのあらすじを簡単に紹介していきます。

あらすじ

①リスクとは、選択・決定に伴って生じる不確実な損害のことである。リスクが一般化したのは、少なくとも近代以降である。なぜなら、社会秩序を律する規範やその環境が、人間の選択の産物だと自覚し始めた後でなければ、そもそもリスクは現れようがないからだ。規範が不断にモニタリングされ、修正や調整がほどこされるのが、近代社会である。再帰的近代に至らなければ、リスクがここかしこに見いだされるような状態にはならない。

②リスク社会のリスクには、二つの特徴がある。第一に、予想され、危惧されているリスクは、しばしば極めて大きく、破壊的な結果をもたらす可能性があること。第二に、リスクが生じうる確率は、非常に低いかあるいは計算不能であることである。リスク社会は、社会システムが人間の選択の所産であることが自覚されている段階に登場する。だが、皮肉なことに、リスクの低減や除去をめざした決定や選択そのものが、逆に新たなリスクの原因になることがある。このように、リスクそれ自体が自己準拠的にもたらされるのである。

③リスク社会は二つのことをもたらした。一つは、中庸の排除である。リスク社会のリスクを回避するには、中庸の選択は無意味である。結果に関して明白な確信をもつことができなくても、われわれは両極のいずれかを選択しなくてはならない。こうした態勢は、民主主義的な決定を切り崩す。もう一つは、「知」と「倫理的・政治的決定」との間の断絶があからさまになったことである。これまでは、科学は「通説」が真理に漸近できるものという確信をもつことができた。だが、リスク社会では科学的見解が通説に向かって収束していかない。知から実践的な選択への移行は、あからさまな飛躍によってしか成し遂げられないのだ。

『リスクと近代社会』の要約&本文解説

 

200字要約リスクは危険とは異なり、選択・決定に伴って生じる不確実な損害である。そのため、社会秩序を律する規範や環境が、人間の選択の産物だと自覚した後の近代以降にリスクが現れるようになった。リスク社会は、中庸を排除すること、「知」と「倫理的・政治的決定」の間の断絶をもたらした。リスクをめぐる科学的な見解は、通説へと収束していかない。知から実践的な選択への移行は、あからさまな飛躍によってしか成し遂げられない。(199文字)

本文を理解する上で、まずリスク(risk)と危険(danger)の違いを把握することが重要となります。

「リスク」とは、選択・決定に伴う不確実性のことであり、何かを選択したり決定したりする際に生じるもののことです。

一方で、「危険」とは、地震や旱魃、突然外から襲ってくる敵など、自らの選択とは関係ないものによって引き起こされるもののことです。

筆者は、「リスク」とは近代社会に入ってから現れたものだと述べています。なぜなら、近代以前の伝統社会では、自ら選択をしたり決定をしたりといったことは行われていなかったからです。

近代に入り、社会秩序を律する規範や環境といったものを人間が自覚し始めたことにより、リスクは私たちの前に現れるようになったのです。

そして、このリスク社会は二つのことをもたらしたと筆者は述べています。

一つは、「中庸の排除」です。「中庸」とは、「考えがどちらかに偏らず、穏やかで道理に合って正しいこと」という意味です。簡単に言えば、「真ん中」のことを指します。

リスク社会では、中庸の選択は無意味です。例えば、「地球温暖化を解決すべきかどうか?」という問題があったとして、「中途半端に石油の使用量を減らす」というどっちつかずの真ん中の選択をしても問題を解決することはできません。

結果に対して明白な確信がもてなかったとしても、両極のいずれかを選択しなけければならないのです。

もう一つは、「知」と「倫理的・政治的決定」の間の断絶をあからさまにしたことです。リスク社会では、学問的な認識と実戦的な決定との間には、埋まられない乖離があります。

例えば、「放射能はリスクが高いので原発は作らないほうがいい」という「知」があったとしても(正しいかどうかは別です。)、政府が「原発を作る」という政治的な決定をしたらそれは何の意味もありません。

このような、リスクをめぐる科学的な見解は、現代では「通説」へと収束していかないのです。

全体を通した筆者の結論としては、最後の箇所に集約されています。それは、「知から実践的な選択への移行は、あからさまな飛躍によってしか成し遂げられない。」という一文です。

これはつまり、学問的な認識と実践的な決定との間には、決して埋められることのない乖離があるということです。

『リスクと近代社会』のテスト対策問題

 

問題1

次の傍線部の仮名を漢字に直しなさい。

①自然災害のキョウイ

②状況をハアクする。

③生態系がハカイされる。

④受け入れのタイセイを整える。

⑤論理がヒヤクする。

⑥結婚生活がハキョクを迎える。

解答①脅威 ②把握 ③破壊 ④態勢 ⑤飛躍 ⑥破局
問題2「中庸」「両極」とあるが、地球温暖化問題では、両者はそれぞれ何を指すか?
解答例

「中庸」=中途半端に二酸化炭素の排出量を減らしたり、石油の使用量を減らしたりすること。

「両極」=二酸化炭素の排出量を大幅に減らし、石油の使用量を大幅に減らすか、もしくはまったく二酸化炭素の排出量を減らさないかどちらかにすること。

問題3『リスクは、再帰的近代に至らなければ、ここかしこに見いだされるような状態にはならない。』とあるが、なぜか?
解答例リスクは、社会秩序を律する規範や環境が人間の選択の産物だという自覚が確立された後でなければ、現れようがないから。
問題4『こうした態勢は、民主主義的な決定の基盤を切り崩すことになる。』とあるが、「民主主義的な決定の基盤」とはどのようなことか?
解答例普遍的な真理や正義があるとすれば、それは理性的な人間のすべてが合意するはずなので、多数派が支持する意見こそ、正義や真理を最も近似しているに違いないと考え、多数派の見解が集中する平均・中間を真理や正義の代用品として用いること。
問題5『そして、このときには、有力な真理候補である通説と、政治的・倫理的な判断との間に、自然な含意や推論の関係があると信ずることができたのである。』とあるが、「自然な含意や推論の関係がある」とはどのようなことか?
解答例知見の蓄積と科学者の間の十分な討論を経て収束した、有力な真理候補の一つの通説が生まれ、政治的・倫理的な判断が、その科学的な知による裏付けをもつようになること。

まとめ

 

以上、今回は『リスクと近代社会』について解説しました。ぜひ定期テストの対策として頂ければと思います。なお、本文中の重要語句については以下の記事でまとめています。