『人間という中心と、それよりも軽い命』は、金森修による文章です。教科書・論理国語にも掲載されています。
ただ、本文を読むと筆者の主張が分かりにくいと感じる箇所も多いです。そこで今回は、本作のあらすじや要約、テスト問題などを解説しました。
『人間という中心とそれよりも軽い命』のあらすじ
①私は過去に、喜怒哀楽を持たないセミなどの昆虫は、「死んだ」ではなく「壊れた」と述べてもいいと考えていた。だが、今は違い、命を持つ一個の生物として敬意を払う必要があると考えている。ただ、夜中に耳元で騒ぐ蚊を見つけたら、腹立たしいので叩きつぶすという身勝手さもある。蚊も直観的に生物だと理解しているので、やはり蚊を殺すことも「壊した」とは言えない。蚊は壊れるのではなく、死ぬのである。
②無数の生物の中で、やはり人間はいろいろな意味で別格だと思わざるを得ない。人間が存在しているからこそ、世界は楽しく、人生もまた楽しい。人間のみが、自分の生きざまについて反省し、調整できると同時に、他の生物たちの生きざまを気遣い、それらに思いを馳せることができる。結局、昆虫の生涯の過酷さや悲しさは、<人生>の諸相を昆虫に仮託し擬人化することから来ているだけである。<虫の悲しみ>は<人の悲しみ>の変奏曲なのだ。
『人間という中心とそれよりも軽い命』の要約&本文解説
筆者はまず、蝉のような喜怒哀楽のない昆虫であっても、命を持つ一個の生物として敬意を払うべきだと主張しています。
なぜなら、蝉のことを「死んだ」ではなく「壊れた」などと言うと、自分が口にした言葉であるにも関わらず、どこか醜さを感じさせるためです。
一方で、人間である自分から見て、厄介であったり腹立たしかったりする昆虫もいます。
例えば、蚊などは、夜中に耳元で羽音を立てて騒ぎ出すと、多くの人は迷いなくその蚊を叩きつぶせるはずです。また、急いでるときに、道にさまよい出ているミミズを見つけたとしても、人は一瞥しただけで、普通はそのまま通り過ぎるはずです。
このように、人間はいろいろな意味で、人間以外の生物よりも別格だと思いたい気持ちから抜けきれないのだと筆者は主張します。
そして、人間のみが、自分の生きざまを反省し、調整できると同時に、他の生物たちの生きざまを気遣い、それらに思いを馳せることができるのだとも述べています。
この事が、本文のタイトルにもなっている「人間という中心とそれよりも軽い命」ということになります。
人間というのはあくまで自分中心にしか考えることができず、人間以外の生物に対しては対等に見ることができないということを筆者は読者に伝えているのです。
『人間という中心とそれよりも軽い命』のテスト対策問題
次の傍線部の仮名を漢字に直しなさい。
①リクツにあっている。
②安眠をサマタげる。
③シンサ対象の学生。
④ツウキン時間が短い。
⑤カコクな体験をする。
⑥各地をヘンレキする。
まとめ
今回は『人間という中心と、それよりも軽い命』について解説しました。ぜひ定期テストの対策として頂ければと思います。