
『空っぽの瓶』は、多和田葉子という作者によって書かれた随筆です。教科書・文学国語にも掲載されています。
ただ、本文を読むと内容が分かりにくいと感じる箇所が多いです。そこで今回は、『空っぽの瓶』のあらすじや要約、語句の意味などを分かりやすく解説しました。
『空っぽの瓶』のあらすじ
本文は、三つの段落から構成されています。ここでは、各段落ごとのあらすじを簡単に紹介していきます。
①東京に住んでいたわたしの周りに、自分のことを「ぼく」と呼ぶ女の子がいた。同年代の女の子はたいていあたし、おませな子はわたしを使い、男の子はほとんどがぼく、数人がおれを使っていた。わたしはこれらの言葉がしっくりこなかったので、日本語の一人称を使わず、必要な場合はこちらという言葉を使った。
②「ぼく」という言葉を使う女の子は、男の子が多く使う青いものや女の子が多く使う赤いもの、あるいはどちらにも当てはまるキャラクターが描かれた箸などを使っていた。わたしは体感される性別もあるのだろうと思いながら、自分をぼくと感じることはできなかった。大学生のころ、自分をぼくと呼ぶ男の友人は、おれという言葉を使う男性に魅力を感じるとわたしに打ち明けた。
③ヨーロッパに移住したわたしは、性の問題に頭を悩ませなくともよいドイツ語のイッヒという言葉を見つけた。この言葉は特定の性を持つ必要がなく、年齢、地位、歴史、行動パターン、キャラクターも必要ない。誰もが自分を「イッヒ」と呼ぶことができる。この言葉のように軽くて空っぽな自分を感じたかった。ドイツ語の「ビン」も美しい言葉だ。日本語にも「瓶」という言葉があり、まったく同じ発音で「ボトル」を意味する。もしわたしが「イッヒ・ビン」という二つの単語で物語を始めるなら、そこには一つの空間が現れる。わたしは筆先であり、ボトルは空っぽなのだ。
『空っぽの瓶』の要約&本文解説
東京で筆者は、日本語の一人称が性別や性格のイメージと結びついていることに違和感を覚え、「こちら」と名乗っていた。周囲には「ぼく」と呼ぶ女の子もいたが、自分はどれにも当てはまらなかった。やがてヨーロッパに移住した筆者は、性別に縛られないドイツ語の「イッヒ」に出会い、年齢や地位などに縛られない存在として、自分を空っぽの瓶のように捉えるようになった。そして、言葉に縛られない自由な自己のあり方を見出した。 (200文字)
筆者の問題意識:一人称と「自分らしさ」
この文章の筆者である多和田葉子は、「自分をどう呼ぶか」という一人称の問題から、自分らしさとは何かを考えています。日本語では「わたし」「ぼく」「おれ」「あたし」など、一人称によって性別や性格のイメージがある程度決まってしまいます。
しかし、筆者はそれらのどれにも違和感を覚え、「こちら」という言葉で自分を表していました。つまり、既存の言葉では自分をうまく表現できないという悩みが出発点になっています。
「ぼく」という言葉が示す性のゆらぎ
次に筆者は、「ぼく」と自分を呼ぶ女の子や、言葉の使い方にこだわる人々の例を挙げています。ここで重要なのは、「言葉」と「性別」が必ずしも一致しないという点です。たとえば、本来は男の子が使うとされる「ぼく」を女の子が使うことがあります。
これは、その人が感じている性別(体感される性)と社会的な性別がズレている可能性を示しています。しかし、筆者自身はどの一人称にも当てはまらず、「ぼく」と感じることもできませんでした。つまり、性別の問題だけではなく、「自分を言葉に当てはめること」自体に違和感があったのです。
ドイツ語「イッヒ」がもたらした解放
そこで筆者はヨーロッパに移り、ドイツ語の「イッヒ(Ich)」という言葉に出会います。この言葉は、日本語のように性別や性格のイメージを強く伴いません。誰でも同じように「イッヒ」と名乗ることができます。
筆者はこの言葉に、「軽くて空っぽな自分」を感じます。ここでいう「空っぽ」とは、何もないという意味ではなく、余計な属性に縛られていない自由な状態を指します。たとえば、ラベルの貼られていない箱のように、何にでもなれる可能性を持っている状態です。
「空っぽの瓶」というテーマ
最後に筆者は、「イッヒ・ビン(Ich bin)」という表現と、日本語の「瓶(びん)」を重ねます。瓶は中身が入ることで意味を持ちますが、空っぽの状態でも「入れ物」として存在しています。筆者は自分をそのような「空っぽの瓶」として捉えています。
つまり、最初から決まった性別や性格に縛られるのではなく、自由に変化できる存在としての自分を大切にしたいと考えているのです。このように、筆者は日本語の一人称のように性別やイメージが強く結びついた言葉に違和感を抱き、それに縛られない自己のあり方を模索しています。そして、「空っぽの瓶」という比喩を通して、「言葉に縛られない自由な自己の姿」を表現しているのです。
『空っぽの瓶』の意味調べノート
【裕福(ゆうふく)】⇒お金や財産が十分にあり、生活にゆとりがあること。
【皆無(かいむ)】⇒まったくないこと。少しも存在しないこと。
【滑稽(こっけい)】⇒おかしくて思わず笑ってしまうこと。ばかばかしいさま。
【一人称(いちにんしょう)】⇒話し手が自分自身を指して使う言葉(わたし・ぼくなど)。
【抽象的(ちゅうしょうてき)】⇒具体的でなく、性質や特徴だけを大まかに表したさま。
【一目置く(いちもくおく)】⇒相手の力や価値を認めて、敬意を払うこと。
【体感(たいかん)】⇒実際に体で感じること。
【肩をすくめる】⇒困ったりあきれたりして、どうしようもない気持ちを表すしぐさ。
【異質(いしつ)】⇒性質や種類が他と大きく異なること。
【特性(とくせい)】⇒そのものに特有の性質や特徴。
【魅力的(みりょくてき)】⇒人を引きつける力があるさま。
【キャラクター】⇒性格や個性。また、物語などに登場する人物。
『空っぽの瓶』のテスト対策問題
『大人になれば中立的な「わたし」という言い方に逃げ込めただろう。』とあるが、「わたし」という言い方が中立的なのはなぜか?
「わたし」は男女どちらも使うことができ、性別による違いがはっきりしないから。
作中に登場する女の子が「ぼく」という言葉を使うのはなぜか?本文中からそのままの形で抜き出しなさい。
自分はぼくだ、という気がしてるから。
「『おれ』と言う男たちが身体的に、『ぼく』という男たちとは違う作用をわたしに及ぼす。」とあるが、なぜか?本文中の言葉を使い、35文字以内で答えなさい。
「ぼく」は、日本の社会において、「おれ」とは違う場所を占めているから。
「イッヒ」という言葉が、「紙の上をなぞると同時に、一つのスピーチの開始を告げる」とあるが、それはなぜか?本文中の語句を使い答えなさい。
「イッヒ」は筆で書き始めるときのような単純な一本の線で構成された、「I」という文字で始まっているため。
次のうち、本文の内容を最も適切に表したものを選びなさい。
(ア)日本語の一人称には性別による違いがあるため、筆者はそれを正しく使い分けることの重要性を説いている。
(イ)筆者は「ぼく」と名乗る女の子に影響を受け、自分も性別を変えて生きたいと考えるようになった。
(ウ)筆者は日本語の一人称に違和感を覚え、ドイツ語の「イッヒ」に出会うことで、性別などに縛られない自由な自己のあり方を見出した。
(エ)筆者は日本語とドイツ語の違いを比較し、それぞれの言語の優劣を明らかにしようとしている。
(ウ)
まとめ
今回は、『空っぽの瓶』について解説しました。ぜひ定期テストの対策として活用していただければと思います。