『科学は生きている』は、教科書・論理国語で学習する評論文です。そのため、定期テストの問題にも出題されています。
ただ、本文を読むとその内容や筆者の主張が分かりにくいと感じる箇所も多いです。そこで今回は、『科学は生きている』のあらすじや要約、テスト問題などを簡単に解説しました。
『科学は生きている』のあらすじ
本文は、五つの段落から構成されています。ここでは、各段落ごとのあらすじを簡単に紹介していきます。
①科学と生命は、とても似ている。科学では、仮説の適応度を上げる修正仮説が提出されるサイクルが繰り返され、より適応したものが生き残り成長・進化していく。それは、生態系における生物の「適者生存」のようである。可塑性こそが科学の生命線なのだ。
②科学は決して100%の正しさを保証しない。科学的知見には、その仮説がどれくらい確からしいのかという確度の問題が存在するだけである。
③「科学的知見」というくくりの中には、確度が大きく異なったものが混在している。それらの確からしさを正確に把握して峻別していけば、よりよい判断ができるはずである。だが、非専門家が完全に理解し、専門家たちを上回る判断をすることは、現実的には相当に困難である。
④こういった科学的知見の確度の判定という現実的な困難さに忍び寄って来るのが、権威主義である。権威主義による確度の判定は分かりやすいが、どこか危うさを感じる。行き過ぎた権威主義は、科学そのものを社会において特別な位置に置くことになる。
⑤科学が「生きた」ものであるためには、「不動の真実」ではなく、修正され変わり得る可塑性を持たなければならない。だが、権威主義はそれを蝕んでしまう。「科学的に生きる」ことにとっては、「信頼に足る情報を集め、真摯に考える」ことが、唯一大切なことである。
『科学は生きている』の要約&本文解説
本文では、「科学の本質」と「権威主義の功罪」について考察がされています。
まず筆者は、「科学」というのは仮説を修正しながら進化する「生きた」ものであり、100%の正しさを持つものではないと言い切っています。その中で、科学的知見には確度(確からしさ)の幅があり、それを正確に判断することが重要だと主張しています。
次に、私たちのような科学のことをよく知らない非専門家が、専門知識を超えて判断するのは非常に難しく、その結果として「権威主義」が台頭しやすくなるということが述べられています。
そして、権威主義に依存しすぎると、科学の可塑性(修正可能性)が失われ、科学本来の柔軟性が損なわれる危険性があるということも述べられています。
最終的に筆者は、科学を「生きた」ものとして扱うためには、権威に頼らず「信頼に足る情報を収集し、真摯に考えること」が重要だと強調しています。
つまり、「科学は変化し続けてこそ成り立つものであり、権威に頼りすぎるとその力が失われてしまうので、それを防ぐには自分で情報を見極めて考えていく必要がある」ということです。
全体を通して筆者が主張したい内容は、最後の第五段落に集約されていると言えます。
『科学は生きている』のテスト対策問題
次の傍線部の仮名を漢字に直しなさい。
①私にとって大きなエイヨだ。
②計画の見直しをヨギなくされた。
③新しい理論をテイショウする。
④内科のケンイと知られる人物。
⑤価値のトウサクが起こる。
⑥本来の目的からイツダツする。
「利点」⇒仮説の確度の判定基準として分かりやすく、多くの専門家の厳しい審査に耐えてきた知見で、強靭さを持つ傾向にある点。
「欠点」⇒批判を一方的に封じ込めたり、逸脱を頑なに認めなかったりして、科学の生命力である可塑性を蝕み、人々が自らの理性で意味や仕組みを考えずに、安易に「正解」を得るようになる点。
まとめ
今回は、『科学は生きている』について解説しました。ぜひ定期テストの対策として頂ければと思います。