『いのちのかたち』は、教科書・論理国語で学習する文章です。そのため、定期テストにも出題されています。
ただ、本文を読むと筆者の主張が分かりにくいと感じる箇所も多いです。そこで今回は、『いのちのかたち』のあらすじや要約、テスト問題などを解説しました。
『いのちのかたち』のあらすじ
本文は、4つの段落から構成されています。ここでは、各段落ごとのあらすじを簡単に紹介していきます。
①英語だと「ライフ」のひとことで済む言葉が、日本語だとさまざまな表現があり、面倒である。いっそのこと、「ライフ」を一律に「生命」と訳しても、どうやらあまり不都合はないようだ。
②だが、実際に「ライフ」に対応する訳語がすべて「生命」とはならない。これは、西洋的な抽象概念と日本語の実感的表現の違いによるものである。研究の対象となる「生命」と、人が生きる「いのち」とはやはり違うのだ。
③「いのち」のあり方は、人の生き死にと切り離せない。人間は一人では完結せず、誕生と死において他者との関係に象られている。その他者との関係が、一人一人の人間を一人の存在として、一つの「生」として成り立たせている。
④医療の現場では、「生命」と「いのち」のギャップがせめぎ合っている。現在の医学や医療技術は「生命科学」をベースにしているが、現場で相手にしなければならないのは一人一人の「いのち」であり、この二つをつなぐ理論も思想もないからだ。だが、こうした真に問うに値する問いに直面し、生命科学の進展の背後にある問題に疑問を抱くことができるのは、「いのち」という言葉を持ってしまった人間の僥倖と言えるかもしれない。
『いのちのかたち』の要約&本文解説
英語の「ライフ」は、日本語だと「生命、命、生活、暮らし、一生、生涯」など様々な意味があります。一方で、英語圏の場合は「ライフ」=「生命」の意味しかありません。
この差が生まれるのは、西洋的な抽象概念と日本語の実感的表現の違いによるものだと筆者は分析しています。
「生命」は、「生命現象」などのように観察や研究の対象になったりはしますが、「いのち」は、愛でる(大切にする)などのように使うのが基本であり、観察や研究の対象にはなりにくいためです。
また、筆者は、「生命」は常に部分的で一般的であるのに対し、「いのち」は常に個別化されていて、この「いのち」やあの「いのち」などのように語られるとも述べています。
例えば、「生命」の場合、細胞、遺伝子、DNAなどのように部分的で一般的なものを対象とするのに対し、「いのち」の場合は「山田君のいのち」や「ポチのいのち」などのように、使う場合は常に個別化されていています。
さらに、「いのち」というのは人の生き死にと切り離すことはできず、その誕生と死において常に他者との関係によって形作られています。
このように、日本語の「生命」と「いのち」というのは、似ているようで意味が異なるものだと筆者は考えているのです。
その上で、筆者はこの話を現在の医療現場にも展開しています。
現在の医学や医療技術は「生命科学」をベースにしていますが、実際に医療現場で相手をする患者さんは一人一人の「いのち」をもっています。
そのため、「生命」と「いのち」のギャップがせめぎあっていると筆者は問題視しているのです。
最終的に筆者は、私たち人間は「いのち」のような言葉を持っているからこそ、生命科学の進展の背後にある問題に疑問を抱くことができると述べています。
そして、このことは不都合というよりは、僥倖(思いがけない幸運)であるかもしれないとも結論付けています。
『いのちのかたち』のテスト対策問題
次の傍線部の仮名を漢字に直しなさい。
①ゴカイを生む。
②生活にコンキュウする。
③マギらわしい表現。
④物をソマツに扱う。
⑤利益をカンゲンする。
⑥サッカクを起こす。
まとめ
今回は、『いのちのかたち』について解説しました。ぜひ定期テストの対策として頂ければと思います。なお、本文中の重要語句については以下の記事でまとめています。