藤野先生 教科書 あらすじ 読解 解説 簡単に 学習の手引き

『藤野先生』は、魯迅による小説作品の一つです。高校国語・現代文の教科書にも載せられています。

ただ、実際に本作を読むとその内容や登場人物の心理などが分かりにくい箇所もあります。そこで今回は、『藤野先生』のあらすじやテスト対策などをわかりやすく解説しました。

『藤野先生』のあらすじ

 

本文は、内容により4つの段落に分けることができます。ここでは、各段落ごとのあらすじを簡単に紹介していきます。

あらすじ

①中国から日本に留学した「私」は、東京の中国人留学生に対して反発と嫌悪を感じた。彼らは辮髪をぐるぐる巻きにしたり、夕方になるとダンスの稽古をし出したりして、勉学に全く熱心ではなかった。私はほかの土地へ行きたい気持ちになった。

②そこで私は、仙台の医学専門学校へ入学することになった。学校では多くの先生の講義を受けたが、その中の一人に解剖学担当の藤野先生がいた。彼は自己紹介のあと、日本の解剖学の発達史を説いたが、日本は決して中国より早くはないと私は思った。一週間後、私は藤野先生から呼び出され、ノートを見せるようにと言われた。彼はその差し出したノートを、全部朱筆で添削して数日のうちに返してくれた。私はある種の困惑と感激に襲われたが、残念ながら当時の私はいっこうに不勉強であり、時にはわがままだった。

③私は学年試験で落第せずにすみ、第二学年に進級した。ある日、学生会のクラス幹事が私の下宿へ来てノートを見せてくれといった。私がノートを出すと、見ただけで持ち帰りはしなかったが、彼が帰るとすぐに「汝、悔い改めよ」で始まる分厚い手紙が届けられた。続く文面には、藤野先生がノートに印をつけてくれたので私には出題が分かり、だから点が取れたということが書かれていた。続いて私は、ロシア軍のスパイとして日本軍に捕らえられた中国人が、銃殺される場面の幻灯を見た。その時上がった「万歳!」という歓声が耳にこたえた。そして、この時に私の考えは変わった。第二学年の終わりには、私は藤野先生を訪ねて、医学の勉強をやめたいこと、仙台を離れるつもりだと告げた。彼は落胆したが、「惜別」と裏に書いた写真を一枚くれた。

④仙台を離れたあと、私は一通の手紙も一枚の写真も送らずじまいだったが、今でもよく彼のことを思い出す。私にとって彼は偉大な人格である。なまけたくなるとき、彼の写真を見るとたちまち良心が呼びもどされ、勇気も加わる。そして、私はたばこを一服吸い、「正人君子」たちから忌み嫌われる文章を書くのである。

『藤野先生』の本文解説

 

私(魯迅)が中国から日本へ留学したのは、1902年~1909年(明治35年~明治42年)のことです。時代としては日清戦争(1894年~1895年)で日本が当時の中国(清)に勝った後の時代でした。

したがって、当時の日本人の中国に対する感情は、大きな優越感を伴っていたと考えられます。そうした情勢の中にいた私が、怒りや反発、屈辱などを感じたのはある意味で当然とも言えます。

一方で、藤野先生は私を一人の学生として平等に扱い、ノートを丁寧に添削して思いやりのある指導をしました。このような、一人の外国人留学生のために真心を込めて接してくれた先生の行動は、私にとって印象深いものであったと考えられます。この藤野先生のことを、私は深く尊敬し、心の支えにしたということです。

本作のテーマとしては、主に次の二つが挙げられます。

  1. 中国人の「私」が日本の学校生活の中で感じた屈辱と怒り。
  2. 偉大な人格者である藤野先生への尊敬と思慕の念。

上記二つは、時代の流れの中で人間はどうあるべきかという問題提起でもあります。歴史を振り返っても、人間は国家や政治の状況に左右されるのが当然だったからです。

しかし、本作を読んでも分かるように、真心にあふれた「偉大な人格」というのは時代の流れを超越し、一人の人間を励まし続けてくれます。この小説は、そういった一つの教訓を私たちに教えてくれるということです。

『藤野先生』のテスト対策問題

 

問題1

次の傍線部の仮名を漢字に直しなさい。

①試験をメンジョする。

②適当なゲシュク先。

③辞職をカンコクする。

④作文をテンサクする。

イカンの意を示す。

⑥忘年会のカンジを務める。

⑦契約書にショメイする。

トクメイでの批判。

キンキョウを知らせる。

⑩もう少しのシンボウだ。

解答①免除 ②下宿 ③勧告 ④添削 ⑤遺憾 ⑥幹事 ⑦署名 ⑧匿名 ⑨近況 ⑩辛抱
問題2私が東京を離れて仙台に行ったのはなぜか?
解答例清国留学生の辮髪を切れないような卑屈な態度や、夕方になるときまってダンスの稽古をし出すような勉学への不真面目な態度に失望し、他の土地に期待をかけたため。
問題3「ある種の困惑と感激に襲われた。」とあるが、この時の私はどのような気持ちだったと考えられるか?
解答例先生の熱意に自分が応えられるのだろうかという困惑を感じると同時に、真心のこもった丁寧な指導には感激しているような気持ち。
問題4「-ああ、施す手なし!だがこの時この場所で私の考えは変わった。」とあるが、私の考えはどのように変わったと考えられるか?
解答例仙台の医学専門学校で、銃殺されようとしている同胞を傍観している中国人のスライドを見て、医学生としての自分の無力さを感じ、医学の勉強をやめて仙台を離れるという考えに変わった。
問題5私が医学の勉強をやめて、仙台を離れたのはなぜか?
解答例試験問題が漏洩した事件と幻灯の時の歓声により、屈辱と無力を感じ、自分がこれから中国人としてどのように生きるべきかという問題を突きつけられ、医学では世の中を変えることができないと考えるようになったため。
問題6「正人君子」たちから忌みきらわれる文章を書きつぐことになる。とあるが、これはどういうことか?
解答例「正人君子」として権力を持って好き勝手なことばかりしている人々に対して、良心と勇気をもち彼らを批判する文章を書き続けていこうと私が決意しているということ。
補足「正人君子」とは本来は「人格のすぐれた人」という意味だが、ここでは、「正人君子」だと自分では思いながら、実際は社会に害を与えている人たちを皮肉って指した語だと考えられる。

まとめ

 

以上、今回は『藤野先生』について解説しました。ぜひ定期テストの対策として頂ければと思います。なお、本文中の重要語句について以下の記事でまとめています。