歴史は今ここ私に向かってはいない 要約 解説 意味調べノート あらすじ

『歴史は「今・ここ・私」に向かってはいない』は、教科書・現代の国語で学習する文章です。内田樹という作者によって書かれたもので、高校の定期テストにも出題されています。

ただ、実際に文章を読むと筆者の主張が分かりにくいと感じる箇所も多いです。そこで今回は、本文のあらすじや要約、意味調べなどを解説しました。

『歴史は今ここ私に向かってはいない』のあらすじ

 

本文は、四つの段落から構成されています。ここでは、各段落ごとのあらすじを簡単に紹介していきます。

あらすじ

①私たちは、自分がリアルタイムで生成する現場に立ち会っていないものは、全部「昔のもの」「前からずっとあったもの」だと思い込む。あらゆる文物にはそれぞれ固有の「誕生日」があり、誕生に至る固有の「前史」の文脈に位置づけて初めて、何であるかが分かることを、忘れがちである。そして、自分の見ているものは「もともとあったもの」であり、自分が住んでいる社会は、昔からずっと「今みたい」だったのだろうと勝手に思い込んでいる。

②哲学者であるフーコーの仕事は、この思い込みを粉砕することを目指していた。人間社会に存在するすべての社会制度は、過去のある時点に、いくつかの歴史的ファクターの複合的な効果として「誕生」したもので、それ以前には存在しなかった。この当たり前の事実を指摘し、制度や意味が「生成した」現場(零度)まで遡ることが、フーコーの「社会史」の仕事である。私たちは、歴史の流れを「今・ここ・私」に向けて一直線に「進化」してきた過程として捉えたがる。

③「今・ここ・私」を歴史の進化の最高到達点、必然的な帰着点と見なす考えを、フーコーは「人間主義」と呼ぶ。彼はこの人間主義的な進歩史観に異を唱える。「歴史の直線的推移」は、幻想である。なぜなら、現実の一部だけを捉え、それ以外の可能性から組織的に目をそらさない限り、歴史を貫く「線」のようなものは見えてこないからだ。「今・ここ・私」は、歴史の無数の分岐点において、ある方向がたまたま選ばれたことによって出現したものにすぎない。

④世界は私たちが知っているものとは別のものになる無限の可能性に満たされているという考え方は、SFの「多元宇宙論」である。これは、人間中心主義的進歩史観の対極にあるものと言える。歴史の流れが「今・ここ・私」へ至ったのは、さまざまな歴史的条件が予定調和的に総合されていった結果というより、さまざまな可能性が排除されて、むしろ痩せ細ってきたプロセスではないか、というのがフーコーの根源的な問いかけである。なぜ、ある出来事は記述され、ある出来事は記述されないのか。その答えを知るには、出来事が「生成した」歴史上のその時点、つまり出来事の零度にまで遡って考察しなければならない。

『歴史は今ここ私に向かってはいない』の要約&本文解説

 

200字要約「今・ここ・私」が歴史の必然的帰着点であるという見方は、人間主義的な進歩史観にすぎない。歴史は直線的に進化してきたのではなく、無数の分岐点において、たまたまある方向が選ばれた結果、生まれてきたものである。社会制度や意味は過去のある時点に「誕生」し、それ以前には存在しなかった。その「生成した」現場、すなわち出来事の「零度」にまで遡ることで、何が記述され、何が排除されたのかを問うことが可能になる。(198文字)

1. はじめに

本文では、フランスの哲学者フーコーの考え方をもとに、筆者の主張が述べられています。タイトルにもある「歴史は『今・ここ・私』に向かってはいない」という言葉は、現代社会に生きる私たちの思い込みを見直すように促すメッセージです。

2. 一般的な歴史観への問題提起

私たちは、目の前にある制度や社会の仕組みについて、「昔からずっとあったもの」「自然にこうなったもの」と無意識に思い込んでしまいがちです。

たとえば、学校や病院、法律や性別の概念などは、今では当たり前のように存在していますが、かつては存在しませんでしたし、どのように生まれたかにも歴史があります。

このように、すべての社会制度や価値観には「誕生日」とも言える「はじまりの瞬間」があり、そこに至るまでの「前史」が存在します。その前史を無視して、まるで今の状態が「最初から当たり前だった」と捉えることは、歴史の理解を大きく歪めてしまうというわけです。

3. フーコーの視点と「人間主義」批判

哲学者フーコーは、社会の制度や意味がどのように「生まれたか」という起点にまで立ち返ることを通じて、人間社会の本質を捉えようとしました。彼の立場は、今ある社会を「歴史の到達点」だとする見方、つまり「人間主義的進歩史観」に反対するものでした。

人間主義的進歩史観とは、「歴史はまっすぐに進歩してきて、いまの私たちの社会にたどり着いた」という考え方です。これは、「今・ここ・私」という存在を特別視し、それが歴史の必然的なゴールであるかのように捉えます。

しかし、フーコーは、そのような直線的な歴史観を「幻想だ」と言います。なぜなら、歴史には多くの分岐点があり、「たまたま」ある方向が選ばれて今があるだけだからです。もし別の選択がされていれば、今とはまったく異なる社会になっていた可能性もあるのです。

4. 多元宇宙論とのつながり

この考え方は、SFなどで知られる「多元宇宙論」ともつながっています。多元宇宙論では、無数の可能性が同時に存在し、それぞれが異なる未来を持っていると考えます。

筆者は、フーコーの歴史観をこの多元的な考え方と重ねることで、「今の世界」が唯一の必然的な結果ではないことを強調しています。

5. 「零度」に立ち返ることの重要性

筆者が最も伝えたいのは、「私たちが当たり前だと思っている社会の仕組みや価値観は、歴史の中で特定の時点に“誕生”したものだ」ということです。

そして、その誕生の瞬間、つまり「零度」までさかのぼって考えることで、本当にそれがどういう意味を持っているのかが見えてくるというのが、フーコーの方法論であり、筆者の主張です。

6. 筆者の主張の要点

筆者の主張は簡潔にまとめると、以下の通りです。

今の社会や制度は、昔からあったものでも、自然に生まれたものでもない。“たまたま”選ばれた歴史の一断面にすぎず、それ以外の可能性もあった。だからこそ、今を当たり前と思い込まず、その“はじまり”に立ち返って考える姿勢が必要である。

これは、「歴史を自分中心に見るな」という戒めであり、「今を問い直せ」という哲学的な提案でもあります。

『歴史は今ここ私に向かってはいない』の意味調べノート

 

【生成(せいせい】⇒ 物事が新たに生じたり、作り出されたりすること。

【前史(ぜんし)】⇒ 本格的な歴史の始まりに先立つ期間や出来事。

【粉砕(ふんさい)】⇒ 粉々に打ち砕くこと。徹底的に打ち破ること。

【監獄(かんごく)】⇒ 犯罪者を法的に収容・拘禁する施設。

【帰着(きちゃく)】⇒ 最終的にある結論や状態に落ち着くこと。

【根源的(こんげんてき)】⇒ 物事の一番根本に関わるさま。

【腰を据える(こしをすえる)】⇒ 落ち着いて物事に取り組むこと。

【視座(しざ)】⇒ 物事を見る立場や観点。

【万象(ばんしょう)】⇒ 宇宙に存在するすべての現象。

【顕現(けんげん)】⇒ はっきりと姿・形に現れること。

【自明(じめい)】⇒ 説明しなくても明らかなこと。

【整序(せいじょ)】⇒ 順序よく整えること。

【粛々(しゅくしゅく)】⇒ 静かで落ち着いているさま。

【推移(すいい)】⇒ 時間の経過とともに変化すること。

【末裔(まつえい)】⇒ 先祖の代から続く子孫。

【父祖(ふそ)】⇒ 祖先や先代の父たち。

【奉じる(ほうじる)】⇒ 敬って従う。敬って受け入れる。

【一線を画する(いっせんをかくする)】⇒ 明確な違いを示す。区別をつける。

【対極(たいきょく)】⇒ 互いに正反対に位置するもの。

【因習(いんしゅう)】⇒ 古くからの慣習で、非合理的なもの。

【予定調和(よていちょうわ)】⇒ あらかじめ決められた通りに物事が整っていくこと。

【抑圧(よくあつ)】⇒ 無理におさえつけること。

【黙秘(もくひ)】⇒ 何も言わず口を閉ざすこと。

【隠蔽(いんぺい)】⇒ 都合の悪いことを隠して見えなくすること。

【事象(じしょう)】⇒ 実際に起こる出来事や現象。

『歴史は今ここ私に向かってはいない』のテスト対策問題

 

問題1

次の傍線部の仮名を漢字に直しなさい。

①彼はホウガクに興味がある。

シンパンの判定に従う。

ヨウツウで座るのがつらい。

④新企画のコウソウを練る。

ヨクアツから解放される。

解答①邦楽 ②審判 ③腰痛 ④構想 ⑤抑圧
問題2「フーコーの仕事は、この思い込みを粉砕することを目指していた。」とあるが、この「思い込み」とはどういう思い込みか?
解答自分の見ているものは「もともとあったもの」であり、自分が住んでいる社会は、昔からずっと「今みたい」だったのだろうと勝手に考える思い込み。
問題3「人間主義的歴史観」とは、どのようなものか? 
解答「今・ここ・私」を最も根源的な思考の出発点とし、そこに腰を据えて万象を眺め、理解し、判断することで、人間は歴史の中で過去から現在へと段階的に進歩してきたと考える歴史観。
問題4

次のうち、本文の内容を表したものとして最も適切なものを選びなさい。

(ア)歴史は常に「今・ここ・私」に向かって一直線に進化してきたものであり、現代社会はその必然的な帰着点である。

(イ)社会制度や意味は昔から変わらず存在し続けており、歴史の進歩は偶然ではなく必然の連続である。

(ウ)歴史は直線的な進化ではなく、多くの分岐点でたまたまある方向が選ばれた結果として「今・ここ・私」が生まれたものである。

(エ)歴史のあらゆる制度や意味は、一度誕生すればどの時代でも同じ形で存在し続ける普遍的なものである。

解答(ウ)

まとめ

 

今回は、『歴史は「今・ここ・私」に向かってはいない』について解説しました。ぜひ定期テストの対策として頂ければと思います。