物語と歴史のあいだ 要約 解説 あらすじ 意味調べノート

『物語と歴史のあいだ』は、教科書・論理国語で学習する文章です。高校の定期テストの問題にも出題されています。

ただ、本文を読むと筆者の主張が分かりにくいと感じる箇所も多いです。そこで今回は、『物語と歴史のあいだ』のあらすじや要約、意味調べなどを解説しました。

『物語と歴史のあいだ』のあらすじ

 

本文は、四つの段落から構成されています。ここでは、各段落ごとのあらすじを紹介していきます。

あらすじ

①歴史は過去の出来事を「解釈学的に再構成」すること、つまり「物語る」ことしかできない。すべての歴史的出来事を、ありのままに描写する能力を備えた歴史学者がいたとしても、それは「歴史叙述」とはならない。なぜなら、そこには出来事と出来事をつなぐ脈絡、つまり「物語」が欠落しているからだ。小林秀雄は、このような歴史学者のことを「一種の動物にとどまる」と喝破した。彼は、一滴の水が乾いた舌にしたたり落ちるその瞬間を捉えて、それを歴史と呼んだ。

②小林の思い入れに反して、「思い出」はそのままでは「歴史」に転成することはできない。思い出が歴史に転成を遂げるためには、「物語行為」による媒介が不可欠である。「物語る」という言語行為を通じた思い出の構造化と共同化こそが、歴史的事実の成立条件である。歴史的事実は、ありのままの「客観的事実」であるよりは、むしろ物語行為によって幾重にも媒介され、変容された「解釈学的事実」と呼ばれねばならない。

③文献史料は、ありのままの過去を再現する手段ではなく、すでに「解釈」の産物である。われわれが言語によって記述を行うとき、そこには関心の遠近法が働いており、記録に値する有意味な情報の取捨選択がなされている。その意味で、文献史料はすでに一つの「物語」を語っている。考古学的資料ですら、「解釈」の汚染を免れてはいない。歴史の「史料」もまた、過去の「客観的事実」そのものではなく、そこにはすでに「解釈」の鑿(のみ)が刻み込まれている。歴史叙述は「解釈の解釈」の行為とならざるをえない。その観点からすれば、歴史叙述は「記述」であるよりは、むしろ「制作」に似ている。

④歴史的出来事は、歴史叙述から独立に論じることはできない。歴史的出来事は、物語行為によって語り出されることによってはじめて、歴史的事実としての身分を確立することができる。「歴史」と「物語」は「事実」と「虚構」のように対立するものではなく、むしろ両者は表裏一体のものである。

『物語と歴史のあいだ』の要約&本文解説

 

200字要約歴史は過去の出来事を単に記録するものではなく、「物語る」ことによって初めて成立する。思い出や史料も、それ自体では歴史にはならず、言語による構造化と解釈を通じて歴史的事実となる。文献や考古学的資料もすでに「解釈の産物」であり、歴史叙述はそれらをもとにした「解釈の解釈」としての制作行為である。したがって、歴史と物語は「事実」と「虚構」のように対立する関係ではなく、むしろ両者は表裏一体の関係にある。(198文字)

歴史は「語る」ことで初めて成り立つ

まず、筆者が最も強調しているのは、「歴史とは物語ることによって成り立つものだ」という点です。つまり、過去に起きた出来事を単に事実として記録するだけでは、それはまだ「歴史」にはならない、ということです。

仮に、すべての出来事を完璧に記憶し、正確に描写できる人がいたとしても、その人が何の脈絡もなく情報を並べてしまえば、それはただの「情報の羅列」でしかありません。歴史と呼ぶには、出来事と出来事を結びつけ、「なぜ起きたのか」「何が変わったのか」という筋道を示す必要があります。

そうした筋道——つまり「物語性」こそが、歴史叙述に不可欠だというわけです。

思い出はそのままでは歴史にならない

人の記憶、いわゆる「思い出」も、単なる過去の経験にすぎません。その思い出を「歴史」にするためには、言葉によって構造化し、他人と共有可能なものにする必要があります。

筆者はこれを「物語行為」と呼んでいます。個人の思い出を、語るという行為によって他者と共有し、文脈のある形にすることで、初めてそれが歴史的な意味を持つのです。

つまり、歴史的事実とは、客観的な真実というよりも、「語ること」を通して構成される「解釈された事実」なのです。

史料もまた「解釈」の産物である

このような主張をすると、「でも、歴史には文献や史料がある。あれは過去の客観的な証拠では?」と思う人もいるかもしれません。

しかし筆者は、そうした史料もすでに「解釈されたもの」だと指摘します。たとえば、日記や記録文書には、書いた人の意図が反映されており、「何を書くか」「何を書かないか」が選び取られています。

このように、史料の段階ですでに“物語的な構成”が入っているのです。さらに歴史家がその史料を使って新たに歴史を書くとき、そこにまた別の解釈が加わることになります。言い換えれば、歴史叙述とは「解釈の解釈」にほかならないのです。

「歴史」と「物語」は切り離せない

こうした議論の結論として、筆者は「歴史」と「物語」は本質的に結びついていると述べています。私たちはしばしば、「歴史=事実」「物語=フィクション」と考えがちですが、歴史という営みは、その“物語性”を前提として成り立っています。

つまり、「事実を語ること」と「物語を語ること」は、まったく別のものではなく、むしろ表裏一体なのです。歴史は物語として語られることで初めて「意味ある過去」になるというわけです。

『物語と歴史のあいだ』の意味調べノート

 

【駆使(くし)】⇒自由自在に使いこなすこと。

【解釈学(かいしゃくがく)】⇒解釈の方法や理論を取り扱う学問。

【太古(たいこ)】⇒大昔。

【能う限り(あたうかぎり)】⇒できる限り。可能な限り。

【超人的(ちょうじんてき)】⇒人間離れしているさま。

【脈絡(みゃくらく)】⇒物事のつながりや筋道。

【膨大(ぼうだい)】⇒数や規模が非常に多いこと。

【喝破(かっぱ)】⇒本質を鋭く見抜き、はっきりと言い当てること。

【人口に膾炙する(じんこうにかいしゃする)】⇒世間に広く知られ、評判になる。

【心をむなしくして】⇒心を空っぽにして。

【細大漏らさず(さいだいもらさず)】⇒小さいことも大きいことも、すべて漏れなく。

【なぞらえる】⇒あるものを他のものに見立てる。

【氷結(ひょうけつ)】⇒水がこおって氷になること。

【濾過(ろか)】⇒液体や気体から不要なものをこし取ること。

【些末(さまつ)】⇒とても小さくて取るに足りないこと。

【おのずからなる】⇒自然とそうなる。ひとりでにそうなる。

【転成(てんせい)】⇒形や性質が変わって別のものになること。

【甘美(かんび)】⇒うっとりするほど快いこと。

【間欠的(かんけつてき)】⇒一定の間をおいて断続的に起こるさま。

【因果(いんが)】⇒原因と結果。

【起承転結(きしょうてんけつ)】⇒文章や物事を組み立てる順序。

【構造化(こうぞうか)】⇒全体を構成するものとなるさま。

【共同化(きょうどうか)】⇒二人以上の者が力を合わせるさま。

【幾重(いくえ)】⇒たくさん重なっていること。

【変容(へんよう)】⇒形や性質が変わること。

【雄弁(ゆうべん)】⇒説得力のある力強い話し方。

【排除(はいじょ)】⇒いらないものを取り除くこと。

【紋様(もんよう)】⇒模様やデザイン。

【不可分(ふかぶん)】⇒分けることができないこと。

【虚構(きょこう)】⇒作りごと。事実ではなく想像で作られたもの。

【表裏一体(ひょうりいったい)】⇒二つのものが切り離せない密接な関係にあること。

『物語と歴史のあいだ』のテスト対策問題

 

問題1

次の傍線部の仮名を漢字に直しなさい。

①技術をクシして問題を解決する。

②ワインをチョゾウする部屋がある。

③彼はユウベンに意見を述べた。

④歴史をジョジュツする本を読む。

⑤この言葉のカイシャクは難しい。

解答①駆使 ②貯蔵 ③雄弁 ④叙述 ⑤解釈
問題2『歴史学者といえども、過去の事実をありにままに描写することはできない。』とあるが、なぜそう言えるのか?本文中の語句を使い答えなさい。
解答歴史学者にできるのは、文献史料や考古学的資料を駆使して、過去の出来事を「解釈学的に再構成」すること、すなわち、「物語る」ことだけだから。
問題3『歴史叙述は「解釈の解釈」の行為とならざるをえない』とあるが、「解釈の解釈」とはどういうことか?
解答歴史の「史料」はすでに解釈されたものなので、歴史叙述をする場合には、さらに解釈を加えざるをえないということ。
問題4「関心の遠近法」とはどういうことか?
解答自分にとって関心があるものは取り上げ、ないものは捨てるか小さく取り上げるといったように、取捨選択していること。
問題5「両者は表裏一体のものなのである。」と言えるのはなぜか?
解答「口承」や「伝承」が物語ることで歴史を伝えたように、過去は想起と不可分であり、「歴史」と「物語」は対立するものではなく、両者は切り離せないものだから。

まとめ

 

今回は、『物語と歴史のあいだ』について解説しました。ぜひ定期テストの対策として頂ければと思います。