『ピジンという生き方』は、教科書・論理国語で学習する文章です。高校の定期テストの問題にも出題されています。
ただ、本文を読むと筆者の主張が分かりにくいと感じる箇所も多いです。そこで今回は、『ピジンという生き方』のあらすじや要約、意味調べなどを解説しました。
『ピジンという生き方』のあらすじ
本文は、五つの段落から構成されています。ここでは、各段落ごとのあらすじを紹介していきます。
①言葉との出会いには、新たな可能性がある。わずかな、まちがいだらけのカタコトの会話が、異邦の人々を笑顔にし、自分の不安もわくわくする気持ちに変わる。言葉は音でも姿でも、純粋な可能性への扉、鍵、橋になる。「旅」で出会う「言葉」に「新たな経験の可能性」を求めて、ぼくは旅をつづけることになった。
②ぼくは、その場で利用可能な資源を総動員して、なんとか人の言葉や書かれた文を理解しようとし、自分でも使おうと試みてきた。そんなカタコト的精神を肯定してくれたのは、大学に入って知った「ピジン=クレオル言語」だった。まるで通じない言葉をたずさえて、異質な人々の集団が日々の交渉をはじめる。なんとか意志を伝え合いたいという前提があれば、接触がつづくうちに必ず必要十分な「間に合わせ言葉」が生まれる。こうしてある種の文法上の癖を共有するピジン言語が生まれる。それが定着し、洗練され、語彙をふやせば、ピジン言語はクレオル段階に移行する。アフリカやアメリカ先住民の言語が、支配の末端で「ヨーロッパ」の言語を飲み込み混成する逆転の現象である。
③最大の転機は、1981年のホノルルに滞在したときに、はじめて島の英語を耳にしたことである。この夏こそ、ぼくにとって本物の多文化社会とのはじめての出会い、そこから生まれた言葉との最初の接触だった。アジア系住民、ハワイ先住民や太平洋の人々、世界中の観客客が話す島の英語が大好きになり、結局ハワイ大学で言語人類学を学ぶことになった。
④ひとつの言語だけでは、世界のどんなに小さな部分も理解することはできない。その土地で他人との交渉をくりかえせば、使われた言語はひとつの安定した言語のみだったということはない。小笠原諸島は、移住者が多く、地理的にも孤立した島である。ここでは、世界中の言語を母語とする移住者が、母語をフィルターにした特徴ある英語や日本語を使っている。人口の少ない島では、他国の言葉が世代を超えて残り、音の変化や新たな用法の発明などの言葉のメカニズムが、人々に新たな経験の可能性を開くこともあるだろう。
⑤雑多な人々が、偶然にあるときある島で出会うという構図をそのまま反転させるなら、「私」が世界を遍歴して交わした言葉の響きの集積が、私という人間とその生き方そのものである。そして、言葉の響き自体が「世界」や「歴史」の小さな証言となるのではないだろうか。私は私の訛りをもって、私の遍歴を証言し、世界の響きに合流する。
『ピジンという生き方』の要約&本文解説
筆者の主張を簡潔に述べると、以下のようになります。
「カタコトの不完全な言葉でも、人と通じ合えるし、新しい経験や出会いのきっかけになる。だから、ピジンのような雑多で混ざり合った言葉を使う生き方を大切にすべきである。」
①言葉には、世界を広げる力がある
筆者は旅の中で、たとえカタコトの会話でも、言葉を交わせば人と心が通じ合い、不安な気持ちがワクワクに変わることを体験しました。言葉には、新しい経験や出会いのチャンスを生み出す力がある――そう感じた筆者は、もっと多くの言葉と出会うために、旅を続けていくことにしたのです。
②ピジン言語との出会い:カタコトを肯定してくれる存在
筆者は、「ピジン語」や「クレオール語」という言語の存在を大学で知ります。ピジン語とは、違う言語を話す人たちがコミュニケーションのために作る、簡単で間に合わせの言葉です。
最初は不完全でも、時間と共に定着し、洗練されて「クレオール語」という一つの言語になっていきます。つまり、完璧じゃない言葉でも、ちゃんと人と人とをつなぎ、文化を生み出していける、という事実に筆者は大きく心を動かされたのです。
③ハワイでの経験:本当の多文化に触れた瞬間
筆者にとっての大きな転機は、ハワイでさまざまな民族の人々が話す「島の英語」と出会ったことです。
その英語は、文法や発音が標準の英語とは違うものの、様々な文化が混ざり合った本物の「多文化社会」の表れでした。このことがきっかけで、筆者は大学で「言語人類学」を学ぶようになります。
④言葉はいつも混じり合い、新しい可能性を生む
筆者は、小笠原諸島のように多国籍の人が住む場所では、ひとつの言語だけでなく、色んな言葉が混ざって使われていると語ります。
そんな中で、カタコトや訛り(なまり)が生まれ、それが次の世代にも受け継がれていくとも述べています。つまり、言葉は変化しながらも人々をつなぎ、新しい文化や価値観の可能性を生むということです。
⑤ 自分の言葉=自分の生き方
最後に筆者は、世界を旅して出会った言葉たち、片言や訛りこそが、自分自身の証(あかし)であると述べています。
自分がどんな風に世界と向き合い、どんな人々と関わってきたかは、自分の話す言葉に表れます。だからこそ、自分の「訛り」こそが、自分の歴史であり、生き方の証言なのだ、と結論付けています。
結論:筆者の主張
人は、完璧な言葉を話せなくても、お互いに伝え合おうとする中で、「ピジン」のような新しい言葉を生み出し、それが文化となっていきます。
筆者は、自分のカタコトや訛りを「未熟なもの」ではなく、「これまでに出会った人や経験の証」として受け止めています。だからこそ、自分の言葉に誇りを持っているのです。
この文章が伝えているのは、「正しい言葉」を目指すことよりも、「伝えようとする気持ち」や「言葉を使って人とつながること」のほうが大切だということです。たとえ不完全な言葉でも、それが新しい世界への扉となるのです。
『ピジンという生き方』の意味調べノート
【異邦(いほう)】⇒よその国。外国。自分の住み慣れた土地とは異なるよその土地。
【迂回(うかい)】⇒遠回りをして目的地へ向かうこと。
【遠征(えんせい)】⇒遠く離れた場所へ出向いて仕事や試合などをすること。
【たかが知れている】⇒大したことはない。程度がわかっていてたいして問題ではない。
【雄弁(ゆうべん)】⇒相手を説得する話術が巧みなこと。
【搾取(さくしゅ)】⇒しぼりとること。他人の利益を不当に取り上げること。
【洗練(せんれん)】⇒優雅で品格があること。
【混成(こんせい)】⇒異なる種類のものが混じり合って一つになること。
【抑揚(よくよう)】⇒声や話し方の調子の上げ下げ。
【輪郭(りんかく)】⇒物の外まわりの形。物事の大まかな姿。
【痕跡(こんせき)】⇒何かがあったことを示すあと。形跡。
【反響(はんきょう)】⇒音や声が反射して返ってくること。また、物事に対する世間の反応。
【いわれもない】⇒理由がない。根拠がない。
【遍歴(へんれき)】⇒さまざまな場所を巡り歩くこと。さまざまな場所で多くの経験を重ねること。
『ピジンという生き方』のテスト対策問題
次の傍線部の仮名を漢字に直しなさい。
①イホウの文化に触れる。
②キンユウ危機が訪れる。
③チョウハツ的な態度をとる。
④景気がテイタイする。
⑤ぼんやりとしたリンカク。
まとめ
今回は、『ピジンという生き方』について解説しました。ぜひ定期テストの対策として頂ければと思います。