『アイオワの玉葱』は、教科書・論理国語で学習する文章です。そのため、高校の定期テストなどにも出題されています。
ただ、本文を読むと筆者の主張が分かりにくいと感じる箇所も多いです。そこで今回は、『アイオワの玉葱』のあらすじや要約、テスト問題などをわかりやすく解説しました。
『アイオワの玉葱』のあらすじ
本文は、大きく分けて三つの段落から構成されています。ここでは、各段落ごとのあらすじを簡単に紹介していきます。
①わたしは異国のアイオワで暮らしたことで、わたしたちの持っている言葉の概念が、どれほど母語によってつくられているかを実感した。言葉は、本質的に命名である。母語のちがいは、命名のしかたのちがいがふくみこまれているのだ。
②玉葱という言葉は、英語の辞書だと味覚の特徴をあげているが、国語の辞書だと形体の特徴をあげている。一つの母語が現実から切りぬくとき、その切りぬきかたには、それぞれの生活や文化などの総体が関与してくる。
③異国で暮らしたあとでは、当たり前と思えた概念ですら、他の母語にであうときには、たがいの言葉を相対化せざるをえないという事実に気づかされた。母語のちがいというものは、たがいの限界、ちがい、ずれ、隙間をとおして、他者をまっすぐにみとめることこそ言葉のもつ本質的な力だということを、わたしたちに語りかけているようにおもわれた。言葉は、他者への想像力によって、言葉なのだ。そこからしか、しんにたがいの理解なんてものははじまりやしない。
『アイオワの玉葱』の要約&本文解説
筆者は、異国のアイオワで暮らしたことで、言葉というのは絶対的なものではないということに気付かされます。
例えば、同じ「玉葱」でも、日本とアイオワではその定義が大きく異なり、英語の場合は「味覚の特徴」を表すのに対し、日本語の場合は「形体の特徴」を表すという違いがあります。
筆者は、こうした違いが生まれるのは、それぞれを母語とする生活者の概念やイメージが異なるからだと分析しています。
一つの言葉に対して、母語が現実から切り抜くとき、その切りぬきかたには、その国の生活や文化の総体が大きく関与してくるためです。
似たような例は、本文中に挙げられた「玉葱」以外にもあります。
例えば、「郷に入っては郷に従え」ということわざは、日本語だと「よその土地へ行ったら、その土地の風習に従うのがよい」という意味で使われていますが、英語だと「When in Rome, do as the Romans do.」と言い、歴史上長く続いたローマ文化の影響が強く現われたことわざとして使われています。
同じ言葉であっても、それぞれの国の歴史や環境が反映されることで、日本語と英語だと全く違う意味になることがあるのです。
このように、言葉というのはその人にとって絶対的なものではないため、他者へ想像力をはたらかせ、お互いの言葉を理解することが重要だと筆者は考えているのです。
『アイオワの玉葱』のテスト対策問題
次の傍線部の仮名を漢字に直しなさい。
①ヤッカイな問題を抱える。
②スキマがなくなる。
③シンセンな野菜を買う。
④セイケツな部屋に入る。
⑤ビミョウな違いを見つける。
まとめ
今回は、『アイオワの玉葱』について解説しました。ぜひ定期テストの対策として頂ければと思います。なお、本文中の重要語句については以下の記事でまとめています。