『第二の身体としてのメディアと技術』は、若林幹夫による評論文です。教科書・論理国語でも学習します。
ただ、本文を読むと筆者の主張が分かりにくいと感じる部分も多いです。そこで今回は、『第二の身体としてのメディアと技術』のあらすじや要約、テスト問題などを解説しました。
『第二の身体としてのメディアと技術』のあらすじ
①メディアは、情報やイメージを共有する人々にとっての集合的な経験や関係の場であるという意味で、拡張され、変換された「第二の身体」と言うべき存在である。私たちは、さまざまなメディアを「第二の身体」としながら生きているのだ。
②人間と社会や世界を仲立ちするのはメディアだけではない。人間は道具や機械の中に住み込んでいて、それらを仲立ちとして他者や社会や世界とのつながりを生きている。その意味で、道具や機械は「メディア=媒体」と呼び得るものなのだ。
③農耕定住生活が始まると、人々が使用する道具の数は格段に増加した。また、都市や国家ができると、量的に増加、巨大化、多様化したさまざまな道具の中に大量の人々が暮らし、道具をメディアとしてつながる社会が出現した。そこで人間は、さまざまな道具を部品のように組み合わせ、全体として巨大な力と能力を発揮する、「第二の身体」を作り上げた。
④現代社会の道具、機械、技術は、個々人が知り尽くすことも制御し尽くすこともできない一種の<他者性>と見なすことができる。こうした人間を超える力を生み出す道具や技術を「第二の身体」として生きることで、人は自らの意図を超えた<他者性>を帯びた存在となる。このことは、情報メディアという道具や技術にも当てはまる。人が言葉を口にし、道具を手にしたときから、人間の生きる世界は不気味になり始めたのである。
『第二の身体としてのメディアと技術』の要約&本文解説
本文は、その内容から四つの段落に分けることができます。
まず第一段落では、テレビやラジオ、新聞やネットといったメディアは、私たちにとって「第二の身体」であることが述べられています。
次の第二段落では、このような一般的なメディアだけでなく、身体の延長としての道具や機械もメディアと呼べることが述べられています。
第三段落では、「第二の身体」を作り上げた古代国家について、人間が歩んできた歴史とともに説明されています。
第四段落では、「道具や技術に備わる<他者性>」について述べられています。
筆者は、人間が道具や技術を「第二の身体」として生きることで、道具や技術は、作り出した人間の意図を超えた未知の意味を秘めた<他者的>な存在として現れ、人間もまた<他者性>を帯びた存在になると述べています。
例えば、思わず口に出した言葉が、本人の意思や意図を超え、後々まで自分を縛ってしまうようなことはよくあります。
また、書かれた文字や撮られた写真、録音された音声が、多くの人々に読まれたり見聞きされたりすることで、当人が思いもよらぬさまざまな力を持つことなどもあります。
このような出来事は、まさに人間が<他者性>を帯びた存在になる例だと言えます。
最終的に筆者は、人間の生きる世界は、道具や機械や技術などが高度化した現代になってから不気味になったのではなく、人が言葉を口にして、道具を手にしたときから、不気味なものになり始めた。という一文で締めくくっています。
全体を通した筆者の主張は、最後の第四段落に集約されていると言えます。
『第二の身体としてのメディアと技術』のテスト対策問題
次の傍線部の仮名を漢字に直しなさい。
①病気をバイカイする。
②変な噂がルフする。
③リンジョウ感を持つ。
④機械をセイギョする。
⑤大規模なジョウゾウ施設。
⑥食料をチョゾウする。
まとめ
今回は、『第二の身体としてのメディアと技術』について解説しました。ぜひ定期テストの対策として頂ければと思います。なお、本文中の重要語句については以下の記事でまとめています。