『記憶する体』は、教科書・現代の国語に収録されている文章です。定期テストにも出題されています。
ただ、本文を読むとその内容が分かりにくいと感じる人も多いと思われます。そこで今回は、『記憶する体』のあらすじや要約、語句の意味などを簡単に解説しました。
『記憶する体』のあらすじ
本文は、行空きにより4つの段落に分けることができます。ここでは、各段落ごとのあらすじを簡単に紹介していきます。
①目が見える人がレストランの店内の様子を描く時、「テーブル席が五つあった」と書くことがある。しかし、全盲の中瀬さんは、自分が意識・記憶していない情報が描かれているので、その描写に違和感を感じ、「細かい」と思う。
②伝える情報の違いは、単純に「量」には還元できない。「質」の問題も関わっていることが分かる。目が見える人は、席数という情報を手がかりに、店舗の空間的な広さやタイプなどのイメージをふくらませる。一方で、目が見えない人は、会話のトーンなどから瞬時に店の規模に関する情報を得るが、それを「席数」という数では表現しない。
③目の見える人と見えない人では経験のパターンが違っており、だからこそ「自然だ」と感じる描写のパターンも違ってくる。そのギャップの背後にあるのは、経験の質的な差異である。極端な言い方をすれば、言葉の定義そのものが違っているのである。
④何が描写されるかは、何が記憶されるかに直結する。何をもって「知った」と思えるかは、記憶の伝播のパターンに直結する。見える人は瞬時に全体を把握したいと思い、細部の正確さは後回しになりがちだ。見えない人は、細部をつみあげることによって把握したいと思い、時間はかかるがその分正確な知り方になる。
『記憶する体』の要約&本文解説
筆者は、目の見える人と見えない人では「知る」の構造が異なるのだと主張します。
目の見える人は、状況をパッと見て雰囲気が分かり、「知った」と思う一方で、目の見えない人は、時間的に順を追って、出来事の流れをフォローして「知った」と思うと述べています。
つまり、前者は「雰囲気の共有」によって物事を知るのに対し、後者は「出来事の追体験」によって物事を知るということです。
見える人と見えない人では、生きていく上で求めるものが異なるのは当然です。
しかし、筆者は、見える人は視覚情報が必要であり、見えない人は視覚情報が必要ではない、などのような表面的な違いを述べているわけではありません。
両者は、経験のパターンが違っており、「知る」の構造的な違いがあるということを主張しているわけです。
『記憶する体』の意味調べノート
【全盲(ぜんもう)】⇒視力がまったくないこと。また、その人。
【先天的(せんてんてき)】⇒生まれつきであるさま。
【違和感(いわかん)】⇒しっくりしない感じ。
【描写(びょうしゃ)】⇒描き写すこと。
【平然(へいぜん)】⇒平気で落ち着いているさま
【明示(めいじ)】⇒はっきりと示すこと。はっきりと書くこと。
【差異(さい)】⇒違い。差。
【還元(かんげん)】⇒物事をもとの形・性質・状態などに戻すこと。
【こぢんまり】⇒小さくまとまっているさま。
【把握(はあく)】⇒認識すること。よく理解すること。
【一因(いちいん)】⇒一つの原因。
【相対的(そうたいてき)】⇒他との比較や関係において成り立つさま。
【量的(りょうてき)】⇒量の観点から見たさま。
【質的(しつてき)】⇒質の観点から見たさま。
【補足(ほそく)】⇒不十分なところを補うこと。
【実感(じっかん)】⇒実際に事物に接したときに得られる感じ。
【顕著(けんちょ)】⇒際立って目につくさま。
【鮮度(せんど)】⇒新鮮さの度合い。
【伝播(でんぱ)】⇒広く伝わること。
【百聞は一見に如かず(ひゃくぶんはいっけんにしかず)】⇒人の話を聞くより、自分で実際に見た方が分かるという意味。
【追体験(ついたいけん)】⇒他人の体験を、自分の体験のようにとらえること。
【瞬時(しゅんじ)】⇒ほんのわずかな時間。
【細部(さいぶ)】⇒細かいところ。
『記憶する体』のテスト対策問題
次の傍線部の仮名を漢字に直しなさい。
①風景をビョウシャする。
②利益をカンゲンする。
③ショッカクによる情報。
④違いがケンチョに出る。
⑤戦争のギセイとなる。
⑥文化がデンパする。
⑦状況をハアクする。
まとめ
以上、今回は『記憶する体』について解説しました。ぜひ定期テストの対策として頂ければと思います。