『戦争の不可能性』は、現代文の教科書で学ぶ評論です。そのため、高校の定期テストなどにも出題されています。
ただ、本文を読むとその内容や筆者の主張が伝わりにくい箇所もあります。そこで今回は、『戦争の不可能性』のあらすじや要約、テスト問題などを分かりやすく解説しました。
『戦争の不可能性』のあらすじ
本文は、内容により4つの段落に分けることができます。ここでは、各段落ごとのあらすじを簡単に紹介していきます。
①二十世紀は、「戦争の世紀」と言われる。人間の世界に戦争がとだえたことはないが、こう呼ばれるのは二度にわたる「世界大戦」を経験したからである。「世界大戦」では、世界がひとつの共通の政治・経済活動の場として形成され、どの国も不可避的に利害が絡み合い、日常が戦争と化した。高度なテクノロジーによって破壊力を高めた兵器が投入されたため、戦争の惨禍は未曽有の規模に達した。人類は初めて「世界の崩壊」の現実性に直面し、共通の戦後を迎えたのである。
②核兵器という最終兵器は、戦争をある意味で不可能にした。この兵器による戦争では、仮に一方が勝つとしても、その勝利は敗北の打撃とほとんど変わらないものになってしまう。核戦争では、戦争に訴えることが戦争自体の目的を裏切ってしまうことになる。戦後の平和は、破滅の恐怖によって抑止された平和であり、いわば強いられた僥倖である。結果的に、平和が姿を変えた戦争の継続であるというシニカルな逆説が真理となった。
③戦争が世界大に拡大したということは、戦争そのものの決定的な変質を含んでいる。これまでの戦争は、当事者や場所が限定された個々の主体が、自己の保存や強化を目指して訴える行為でありえた。ところが、世界戦争ではその限定はなくなり、個々の戦争主体(国家)の主体性は、全体としての戦争のうちに溶解してしまう。戦争とは基本的に「世界戦争」でしかありえないのだ。現実の戦争は、個々の抗争の条件を規定しつつ、<戦争の不可能性>というかたちで恒常的に起こっていると考えていい。
④二十世紀末に、「冷戦」は終わったと言われている。だが、核兵器が戦争を規定しているという事実は終わっていない。「冷戦」のイデオロギー的意味づけの拘束がなくなった今、世界戦争の意味を改めて問う必要がある。戦争が「世界化」して人間の存立条件に抵触したとき、国家はもはや戦争に関していかなる「正義」を主張することもできない。
『戦争の不可能性』の要約&本文解説
筆者はまず、二度にわたる世界大戦により、戦争というのはどの国も関わりを持つ避けられないものになったと述べています。そして、核兵器という最終兵器が、ある特定の国家が主体となる本来の戦争を不可能にしたとも述べています。
つまり、戦争自体が世界化し、なおかつ決定的な変容をしたということです。戦後の世界は確かに平和になったようにも思えますが、それは真の平和ではなく、姿を変えた戦争の継続であるとも述べています。
現在、世界の各地で起こっている地域的な武力抗争は、代理戦争として戦われています。したがって、これらの紛争はすべて世界戦争の一環とみなされることになります。
最後に筆者は、世界化した戦争により一国の正義がありえなくなった今、改めて戦争の意味が問われなければならない、と結論付けています。これは筆者の主張でもありますし、読者への問題提起でもあると言えます。
『戦争の不可能性』のテスト対策問題
次の傍線部の仮名を漢字に直しなさい。
①リガイが絡み合う。
②ヒヤク的な進歩。
③傾向がケンチョになる。
④街がヘンヨウする。
⑤ヨクシ力を持つ。
⑥肌をロシュツする。
⑦身柄をコウソクする。
次の内、本文の内容を表したものとして適切でないものを選びなさい。
(ア)世界戦争以後は、戦争における一方的な勝利はありえず、核戦争は戦争自体の目的を裏切るものとなった。
(イ)戦後の平和は、破滅の恐怖によって維持された抑止による平和であり、いわば強いられた僥倖である。
(ウ)戦争が世界大に拡大したことにより、限定された個々の主体は、自己の保存や強化を目指して訴える行為になった。
(エ)「冷戦」のイデオロギー的意味付けの拘束がなくなった今、<世界戦争>とはなんだったのかを改めて問うべきである。
まとめ
以上、今回は『戦争の不可能性』について解説しました。ぜひ本文の正しい読解をして頂ければと思います。なお、本文中の重要語句については以下の記事でまとめています。