『社会の壊れる時-知性的であるとはどういうことか』は、現代文で学ぶ評論です。高校の定期テストなどにおいても出題されています。
ただ、本文を読むと筆者の主張などが分かりにくい箇所もあります。そこで今回は、『社会の壊れる時』のあらすじや要約、テスト対策などを解説しました。
『社会の壊れる時』のあらすじ
本文は、行空きによって4つの段落から構成されています。ここでは、各段落ごとのあらすじを簡単に紹介していきます。
①「話せば分かる」-。これは、五・一五事件の時に犬養毅が銃撃された直前に口にした言葉と言われている。こうした言葉が何の逡巡もなしに無視される時、社会は壊れる。問題なのは、意見の対立が激化したことではなく、対立が対立として認められる場所そのものが壊れてしまったことである。「私たち」という語を使う時、そこには同意への根拠なき期待がある。「私」とはそのように語るものであるという権利、つまり了解を他者に求めているのである。しかし、その襲撃の場では、「私」という第一人称と「君たち」という第二人称を包括する「私たち」が一方的に否認されたのである。
②社会の中にある差異によって、最終的な解体や崩壊にまで転げ落ちることがないのは、それらの差異をある共通の理念で覆いえてきたからだ。だが、共通の理念を共有しようという意志そのものが押し付けられると、さまざまな軋轢が生じる。西欧発の「近代性」は、ヨーロッパから世界へと同心円状に広がっていく過程で、希望を育むと同時に軋みや傷や歪みを強いてきた。そうした経験を経て現在、それぞれの地域で異なる「近代性」が模索されつつある。
③「近代性」という信仰は普遍性を謳うものなので、これに従わない人たちの存在を否認し、政治という交渉の場から排除してしまう。そのため、ある社会を構成する複数文化の共存が重要となる。エリオットは、共存の可能性を特定の理念の共有にではなく、社会の諸構成部分の間の「摩擦」の中にこそあると示唆した。「摩擦」を消去し、一つの信仰へとならしてゆこうとする社会は、牽引力と反発力との緊張をなくし、その生命を失ってしまうだろう。
④社会を壊さないためには、「摩擦」を消すのではなく、「摩擦」に耐えること、つまり煩雑さへの耐性が人々に求められる。そのことがいっそう明確に見えてくるということ、それが知性的ということなのだ。世界を理解するうえでのこの複雑さの増大に堪えきれる耐性を身につけていることが、知性的ということだ。
『社会の壊れる時』の要約&本文解説
わたしたちは、ますます複雑化していく世界に対して、その複雑さに耐え切れずに簡単な答えを欲しがってしまいます。あるいは、簡単な答えにしてしまいがちです。
ところが、そのような「簡単な答え」は、対立する意見に対して耳を貸さず、否定して抹殺してしまうことから生まれる場合が多いです。筆者はこうした問題に対して、エリオットの説を紹介しながら、現実的で明快な答えを出しています。
それは、話しても分からないことが多くある世界で、そこに生じる摩擦により、むしろ社会の重大な生命が育まれるのだ、という説です。つまり、摩擦を消すのではなく摩擦を維持するべきだという考え方です。
筆者はこのエリオットの考えを用いて、現代に生きるための指針を与えてくれているのです。
全体を通して筆者が結論付けたいことは、最後の「世界を理解するうえでのこの複雑さの増大に堪え切れる耐性を身につけていることが、知性的ということなのです。」という一文に集約されています。
つまり、「知性的」であるとはどういうことか?というのが、本文の最大のテーマということです。
筆者は、「知性的」=「複雑さへの耐性を身につけること」だと述べています。この主張を読みとれるかどうかが読解のポイントとなります。
『社会の壊れる時』のテスト対策問題
次の傍線部の仮名を漢字に直しなさい。
①相手をムシする。
②イロンを唱える。
③全体をホウカツして扱う。
④所得のカクサが広がる。
⑤建物がホウカイする。
⑥通信がシャダンされる。
⑦シンコウ心が厚い。
⑧危機をダッキャクする。
⑨ケッカン商品。
⑩子孫がハンエイする。
「野蛮」⇒特定の信仰やイデオロギーの共有を強いて、それに従わない人々を否認して排除すること。
「頽廃」⇒他者との対話や理念の共有への意志を放棄して、お互いに遮断すること。
まとめ
以上、今回は『社会の壊れる時』について解説しました。ぜひ本文の内容を正しく理解して頂ければと思います。なお、本文中の重要語句については以下の記事でまとめています。