『鏡の中の現代社会』は、現代文の教科書に載せられている評論文です。ただ、本文を読むと筆者の主張が分かりにくいと感じる箇所も多いと思われます。
そこで今回は、『鏡の中の現代社会』のあらすじや要約、テスト対策などをわかりやすく解説しました。
『鏡の中の現代社会』のあらすじ
本文は、大きく3つの段落に分けられています。ここでは、各段落ごとのあらすじを簡単に紹介していきます。
①自分自身を知ろうとする時、人間は鏡の前に立ち、離れた所に立たないと全体を見ることができない。同様に、自分の生きている社会を見る時も、いったんは離れた世界に立ってみることが必要である。そのことにより、自明(あたりまえ)だと思ってきたことが、「あたりまえではないもの」として見えてくる。
インドやメキシコやブラジルに行った日本人は、その国が大嫌いになるか大好きになるかのどちらかが多い。ぼく自身は大好きになったが、その理由はよくわからない。
②異国のバザールやメルカードでの値引き交渉やバスを待つ様子を見ていると、彼らは時間そのものを楽しんでいるように見える。時間を「使う」とか「費やす」とか「無駄にする」とか、お金と同じ動詞を使って考える習慣は「近代」の精神で、彼らにとっては時間は基本的に「生きる」ものである。
異国で日本のニュースを見る機会があった。それは、日本の東京近郊の駅で電車が一時間ほど遅れたために乗客が騒ぎを起こしたというものだ。ぼくにとってはあたりまだった世界が、こちらでは狂気のように語られる。近代社会の基本構造は、ビジネスである。「忙しさ」の無限連鎖のシステムとしての「近代」が遠い鏡には狂気として映るのだ。
十四世紀前半以降、ヨーロッパの人たちは時計を見上げながら「近代」を育んできた。時間という枠組みの中に人間たちの生がおかれたのである。
③メキシコのインディオは、「死者の日」のために何日も前から準備をし、墓場で「自分の死者たち」と一日を過ごす。この時、ごちそうを一人分多く余分に作っておく。これは社会学にとっても究極の理想の社会とは何かを考えさせてくる。
ウェーバーはその著書で、「Time is money(時は金なり)」という生活信条を掲げている。時間を貨幣と同じように考えて、「使う」精神こそが「近代」の社会を形成してきたことを解き明かしている。社会の「近代化」の中で、人間は多くのものを獲得し、多くのものを失った。獲得したものは、計算できるもの、目に見えるものだが、失ったものの多くは計算できないもの、目に見えないものである。
人間が生きていく上での一番の核心は、目に見えないもの、数量化できないもの、言葉にはなりにくいものが多い。ぼくたちは今、近代の後の新しい社会のかたちを構想し、実現できるところに立っている。この時に大切なのは、現代社会と異世界の両方を見て、人間の可能性を知り、人間のつくる社会の可能性について想像力の翼を獲得することである。
『鏡の中の現代社会』の要約&本文解説
筆者が主張したい内容は、「自分自身を異世界の鏡に映すことで、現代の社会が何を失ってしまったかを知ることができる」というものです。
筆者は、社会が近代化する中で人間は多くのものを獲得したけども、逆に多くのものも失ってしまったと述べています。失ったものとしては、「計算できないもの」「目に見えないもの」「言葉によって表現することができないもの」などが挙げられています。
例えば、人の心や感情(怒り・喜び・悲しみ・やさしさ)といったものは目に見えるものではありません。しかし、こういったものが、人間が生きていく上で一番核心にあるものだと述べています。
私たちの日々の生活では、いつやってくるか分からない電車やバスをのんきに待つようなことは当然しません。しかし、こう考えてしまう自明性こそが罠であり、その罠から解放されるには、異世界に身を置いてみることが大事なのだと筆者は主張しているのです。
本文で使われている「異世界」という言葉は、ブラジルやメキシコなどの外国のことを指しています。しかし、私たちの「友人」や「知人」も一種の「異世界」と捉えることも可能です。そう考える時、私たちは改めて「想像力の翼」を獲得することもできると言えます。
『鏡の中の現代社会』のテスト対策問題
次の傍線部の仮名を漢字に直しなさい。
①人質をカイホウする。
②ミリョク的な笑顔。
③ネツベンをふるう。
④権利をホウキする。
⑤時間をムダにする。
⑥ハカバの近くに住む。
⑦ナツかしい思い出。
⑧時間のロウヒ。
⑨資格をソウシツする。
⑩鳥にはツバサがある。
まとめ
以上、今回は『鏡の中の現代社会』について解説しました。ぜひ内容を正しく理解して頂ければと思います。なお、本文中の重要語句については以下の記事でまとめています。