「何かの水準が一定まで満たされていないこと」を「足りない」と言います。また、似たような言い方で「足らない」が使われることもあります。
両方とも目にする表現ですが、正しい日本語はどちらなのでしょうか?本記事では、「足りない」と「足らない」の違い・使い分けについて詳しく解説しました。
「足らない」か「足りない」か
まず、結論から言いますとどちらを使っても誤りではありません。すなわち、一方が正解でもう一方が不正解などではないということです。
ただ、現在の規範としては「足りない」の方が共通語としての扱いを受けています。
両者を文法的に説明しますと、「足らない」は「足る」という五段活用の動詞を否定した形、そして「足りない」は「足りる」という上一段活用の動詞を否定した形です。
それぞれの活用の仕方は、次のようになります。
未然 | 連用 | 終止 | 連体 | 仮定 | 命令 | |
足る | ら・ろ | り | る | る | れ | れ |
足りる | り | り | りる | りる | りれ | りよ・りろ |
※未然形の「ろ」と命令形は実際にはほとんど使われることはありません。
このような五段活用と上一段活用との間でゆれている言葉としては、他に「借る-借りる」「飽く-飽きる」などがあります。しかし、現在、共通語として一般に使われているのはいずれも後者の上一段活用の方です。
「足りる」「借りる」「飽きる」などの語は、昔はそれぞれ「足る」「借る」「飽く」という四段活用の動詞でした。
「足る」は上代から中古、中世を経て使われ続けた語ですが、一方の「足りる」は江戸時代の後半に江戸語として表れてからの言い方です。
したがって、その当時では上方語系統の「足る」と江戸語の「足りる」が対立していたとも言うことができます。
この江戸語の方は東京語に引き継がれ、現代の共通語では、特に話し言葉の場合「足りる」の方がはるかに優勢となりました。ゆえに、現在では「足りない」の方が一般に使われているということです。
どちらがよく使われているか?
「足らない」と「足りない」に関して、その使用の頻度を調べたものがあります。
少し古い調査ですが、国立国語研究所が昭和24年に東京都内で実施したものによると、600人の大人を対象としたもので、次のような結果が出ています。
また、同じく東京都内の小学校約30校の東京生まれの児童について調べた結果では、90%前後が「足りない」の方を選んでいます。(出典:『国立国語研究所年報1』所収「東京方言および各地方言の調査研究」)
よって、現在においても約9割近くの国民が「足りない」の方を用いていることが推測されます。一般の文章を見てみても、「足らない」を用いているケースは多くない印象を受けるでしょう。
これと同様に、「借る」「飽る」という五段活用の動詞に関しても、現代では「借りる」「飽きる」という上一段活用の方に定着しています。一部、「借らない(借らん)」「飽かない(飽かん)」という言い方が関西地方の方言として残っているにすぎません。
「足らない」を使うケースもある
ただ、「足らない」の方も完全に排除されているというわけではないです。これは言い換えれば、「足らない」が完全に「足りない」に交替しきっていないとも言うことができます。
「足らない」を使うケースとしては、例えば、「飲み足らない」「物足らない」「しゃべり足らない」などの用例が挙げられます。
これらの用例は「複合動詞」と言い、複数の語が合わさってできた動詞のことを意味します。つまり、複合動詞として用いる場合は、「足らない」を使うということです。
また、「取るに足らない」「四十に足らない」などのように慣用句として用いる場合にも「足らない」が使われます。特に、打消しの助動詞が「ない」ではなく「ぬ(ん)」の場合は、「足りぬ(ん)」よりも「足らぬ(ん)」の方が多く使われます。
さらに、小説などの文学作品の中で用いる場合においても「足りない」ではなく「足らない」が使われる傾向にあります。これは現代に限らず、昔の文学作品においてもという意味です。
「足らない」と「足りない」の使い分け
以上の解説を踏まえますと、「足らない」と「足りない」は原則として「足りない」の方を使えば問題ないという結論になります。
先述したように、元々は「足らない」の方を使っていましたが、時代が進むにつれて「足りない」の方が優勢になってきた背景があります。そのため、特段の理由がない限り、「足りない」を使えばよいことになります。
ただし、例外として複合動詞や慣用句として用いる場合、さらに文学作品の中で用いる場合などは「足らない」の方が使われる傾向にあります。このような場面では、「足らない」を使うケースもあるということです。
私たちが一般に話し言葉として用いる際には、「足りない」に統一されつつあります。したがって、書き言葉ではなく話し言葉として用いる場合は「足りない」の方を使えばまず問題ありません。
今後は書き言葉の方でも、次第に「足らない」「足らぬ」という言い方は衰退する傾向になると考えられるでしょう。
まとめ
以上、本記事のまとめとなります。
「足らない・足りない」=何かの水準が一定まで満たされていないこと。意味自体に違いはない。
「違い」=「足らない」は五段活用の未然形、「足りない」は上一段活用の未然形。
「使い分け」=原則として「足りない」を使うが、複合動詞、慣用句、文学作品などで用いる場合は「足らない」を使う。
「足らない」と「足りない」はどちらも意味自体は同じです。ただ、現在の規範としては「足りない」が使われています。「足らない」の方は限定的な使い方をすると覚えておきましょう。