『身体、この遠きもの』は、教科書・現代の国語に収録されている評論文です。過去には、東大の入試問題にも採用されたことがあります。
ただ、本文を読むとその内容が分かりにくいと感じる人も多いと思われます。そこで今回は、『身体、この遠きもの』のあらすじや要約、テスト問題などを含め簡単に解説しました。
『身体、この遠きもの』のあらすじ
本文は、行空きにより3つの段落に分けることができます。ここでは、各段落ごとのあらすじを簡単に紹介していきます。
①身体は物質体だが、他の物質体とは異質な現れ方をする。たとえば、身体は正常に機能している場合は現れないが、何か問題が生じると、わたしと世界の間に壁のように異物として立ちはだかる。わたしは身体を自由にすることができない。身体はいつもだれかの身体であり、わたしと身体との関係は「わたしは身体をもつ」という局面もあるし、「わたしは身体である」という局面もある。
②身体は皮膚に包まれている肉の塊だというのもあやしい。たとえば、杖をつけば杖の先を感知するし、靴をはけば靴の裏で地面を感知する。身体空間は、物体としての身体の占める空間と同じではないのだ。身体はまた、時間的な現象でもあり、たえず変化し、記憶する。身体の存在を「いま・ここ」という経験の中心に限定すること、あるいは皮膚に包まれた物質的な身体の占める空間に限定することは、身体についての抽象的な考え方でもある。
③物質体としての具体的な身体を、わたしは不完全にしか知覚できない。たとえば、じぶんの顔はじかに見ることはできないので鏡を見たり、身体を触覚的に補強しようときつめの服を着て、身体を確認しようとしたりする。身体は知覚される物質体であるよりもむしろ、想像されるひとつの<像>である。じぶんがそれであるところの身体が、じぶんから遠く隔てられているのだ。
『身体、この遠きもの』の要約&本文解説
私たちの「身体」は、ひとつの物質体であることはまちがいありません。しかし、人の「身体」というのは、他の物質体とは異なる現れ方をすると筆者は主張します。
例えば、「身体」は問題なく正常に機能しているときは特に意識されませんが、不調や病気のときは急に違和感を持ったものとして現れてきます。
そして、身体は何か問題が生じると、わたしと世界の間に壁のように異物として立ちはだかるようになります。このように、わたしたちはじぶんの身体を自由にすることはできないのです。
また、筆者は、身体というのはただの肉の塊ではないのだと主張します。
例えば、人間は杖をつけば杖の先の地面を感じ取りますし、靴をはけば靴の裏で地面を感じ取ったりします。さらに、身体は時間が経つと変化しますし、昔のことを身体によって記憶していたりします。
つまり、身体の存在は皮膚に包まれた部分に限定されないものであり、経験を記憶し続けていく存在だと筆者は考えているわけです。
他にも、人はじぶんの顔を直接見ることはできないという特徴もあります。必ず鏡であったり、写真であったり映像で見たりしてじぶんの顔を確認しています。
このように考えると、「身体」は、形のある物質体というよりもひとつの<像>であり、じぶんにとっての身体はじぶんから遠く隔てられているものだと筆者は述べています。
つまり、私にとっての「身体」とは「イメージ」であり、実はつかみどころのない遠い存在であったと筆者は考えているわけです。
『身体、この遠きもの』のテスト対策問題
次の傍線部の仮名を漢字に直しなさい。
①明と暗がタイショウをなす。
②トウメイな容器。
③シンピ的な風景。
④バイタイを通す。
⑤ヒフで包まれる。
⑥機械をセイギョする。
⑦選手をホキョウする。
まとめ
以上、今回は『身体、この遠きもの』について解説しました。ぜひ定期テストの対策として頂ければと思います。なお、本文中の重要語句については以下の記事でまとめています。