高校国語・現代文の教科書で『ミロのヴィーナス』という評論文を学びます。ただ、実際に本文を読むと筆者の主張が分かりにくいと感じる人も多いです。
そこで今回は、『ミロのヴィーナス』のあらすじや要約、テスト対策なども含めわかりやすく解説しました。
『ミロのヴィーナス』のあらすじ
ミロのヴィーナスが魅惑的であるためには、両腕を失っていなければならなかった。そこには、制作者の知らない美術作品の運命が協力しているように思われる。彼女は19世紀のメロス島で発見された時、自分の美しさのためにその両腕を無意識的に隠してきたのだ。それは、特殊から普遍への跳躍であり、部分的な具象の放棄による全体性への肉薄と言える。ミロのヴィーナスの失われた両腕は、生命の多様な可能性の夢をたたえて無数の美しい腕を暗示する心象的な表現である。
ぼくにとって、ミロのヴィーナスの失われた両腕の復元案は全て滑稽なものである。全ての復元のための試みは正当だが、その試みで表現の次元そのものが変わってしまう。どんなにすばらしいものであろうと、復元は夢をはらんだ無から限定された有への変化なのだ。もし真の原形が発見されたとしても、ぼくはそれを芸術の名において否認したい。
なぜ、失われたものが両腕でなければならないのか?それは、手は人間存在において象徴的な意味を持つものであるからだ。手が世界や他人や自己との交渉の手段であるからこそ、失われることにより逆に、考えうるさまざまな手への想像を広げるという、不思議なアイロニーを呈示するのである。
- ミロのヴィーナスが魅惑的である理由について、筆者がどう述べているかを読み取る。
- 両腕を失ったことにより、ミロのヴィーナスは完全な美になり得たという筆者の発見と感動を読み取る。
『ミロのヴィーナス』の要約&本文解説
筆者の主張を一言で言うなら、「両腕が失われているからこそ、ミロのヴィーナスは美しい」というものです。通常であれば、両腕がある完全な状態の方が、ヴィーナスは美しいと考えがちです。
ところが、もしも両腕がある状態だと「左手はりんごを持っている」「人柱像に支えられている」「盾を持っている」などのように限定されたイメージになってしまいます。
この事を、筆者は恐ろしくむなしい気持ちに襲われると述べています。このような限定された有というのは、どんなにすばらしくても、失われていること以上の美しさを生み出すことはできません。
一方で、手が失われている状態である無というのは、ある捉え難い神秘的な雰囲気、いわば生命の多様な可能性の夢があると述べています。つまり、両腕がないことにより逆に多様なあり方を見る者に連想させることができるということです。
筆者はこのように、現実との交渉手段である手を欠落させたことにより、逆に可能なあらゆる夢を想像できるため、ミロのヴィーナスというのは芸術作品なのだ、と結論付けています。
『ミロのヴィーナス』のテスト対策問題
次の下線部における漢字または読み方を答えなさい。
①彼女のまなざしはミワク的である。
②埋蔵金がハックツされる。
③持っている権利を放棄する。
④部屋が明るいフンイキになる。
⑤滑稽な仕草で人を笑わせる。
⑥彼はコンワクの表情を見せた。
⑦風景がセンペンバンカする。
⑧結果を厳粛に受けとめる。
⑨未来をになう人材である。
⑩清澄な調べをかなでる。
次の表現はどのようなことを言っているか?
①特殊から普遍への巧まざる跳躍
②部分的な具象の放棄による、ある全体性への偶然の肉薄
③生命の多様な可能性の夢
④表現における量の変化ではなくて、質の変化である
⑤手というものの、人間存在における象徴的な意味
①⇒ミロのヴィーナスがその一部分である両腕を偶然失ったために、国や時代を超えた普遍的な美を獲得したということ。
②⇒ミロのヴィーナスが両腕という部分的な具象を失うことで、心象的な表現として普遍的な全体性に迫っていること。
③⇒生命の象徴のような両腕を失うことにより、かえって生命のさまざまな現れ方、あり方、すなわち無数の美しい腕の存在、全体像を想像させることができるようになったということ。
④⇒復元案は、失われた両腕がもとの形に復元されるという量的な変化ではなく、おびただしい夢をはらんでいた美の質そのものが限定されてしまうということ。
⑤⇒手が世界や他人や自己との千変万化する交渉の手段であり、関係を媒介するものであり、原則的な方式そのものであること。
次の内、本文の内容を適切に表したものを選びなさい。
(ア)ミロのヴィーナスは、自己の美しさのためにあえて腕を隠すことで、普遍的な美しさと飽きさせることのない均整の魔を手にすることが可能となった。
(イ)ミロのヴィーナスの美しさに一度でも引きずり込まれたことのある人間は、そこに具体的な二本の腕が復活することを考え、存在すべき生命の多様な可能性の夢をたたえている。
(ウ)ミロのヴィーナスの真の原形が発見され、両腕以外の何かが発見されたとしたら、人々は一種の怒りを持ちつつも生命の変幻自在な輝きに目を奪われることになるだろう。
(エ)ミロのヴィーナスは、両腕が失われていることにより、逆に無数の手が暗示されるからこそ、生命の多様な現れ方が想像され、感動させられるのである。
まとめ
以上、本記事では『ミロのヴィーナス』について解説しました。繰り返し読み直して、復習して頂ければと思います。なお、本文に出てくる重要語句については以下の記事でまとめています。