『言葉を学ぶとはー言語ゲームの概念』は、高田明典による評論文です。教科書・現代の国語にも掲載されています。
ただ、実際に文章を読むと筆者の主張が分かりにくいと感じる箇所も多いです。そこで今回は、本文のあらすじや要約、意味調べなどを解説しました。
『言葉を学ぶとは』のあらすじ
言葉を用いて何かを伝達するのは、簡単ではなく、むしろ「正確な伝達」はほぼ不可能と言える。では、言葉とは何であり、言葉を学ぶことはどのような意味を持っているのだろうか。
哲学者・ウィトゲンシュタインは、言語のあり方を、「言語ゲーム」という概念で説明する。彼は、私たちが一般に感じる「言葉とは、伝達の手段である」という考え方を否定する。そして、「言葉の意味は考えることはできない」としつつ、「もしも言葉に意味があるとすれば、それは言葉を適切に使用することである」と言う。つまり、「言葉は、適切な状況で使用されることによって、その役割を果たすことができる」ということだ。
私たちは、「水」や「光」の「本当の意味」を知らない。しかし、それは「理解していない」のではなく、私たちがその状況下で「水」や「光」という単語を適切に使用できないことを表している。ある言語を習得することは、その言語を用いて行われるさまざまな言語ゲームのルール・シナリオを習得していくことと同義である。言葉を学ぶとは、さまざまな状況での言語ゲームを学ぶことであり、多くの状況で適切に使用できる単語や文の数を増やしていくことにほかならない。
「言語の専制」とは、言葉の世界の主人が「言語のルール」であり、私たちは単にそれに従う奴隷であるという状態を指す。そうではなく、私たちは「言葉の世界の主人」でなくてはならない。私たちは、「言語のルール」「言語ゲームのシナリオ」に準拠しつつも、新しいルールをそれに付け加えていくことができるし、ルールの一部を捨て去ることもできる。そのとき、私たちは「言葉の世界を創る者」、そして「言葉の世界の主人」となることができる。「自由に思考する」ためには、まず言葉のそのような性質を把握しておくことが必要である。
『言葉を学ぶとは』の要約&本文解説
私たち一般人は、「言葉を学ぶとは、単語や文法を覚えることでは?」と思いがちです。しかし、哲学者ウィトゲンシュタインの考え方は、そうした一般的な理解とは少し違います。
結論から言うと、「言葉を学ぶ」とは、言葉の使い方を状況ごとに身につけていくことなのです。
言葉は「正確に伝える道具」ではない
冒頭ではまず、「言葉を使って何かを正確に伝えるのは、ほぼ不可能に近い。」という主張がされています。
つまり、言葉は正確な情報伝達の手段ではないという立場です。これは多くの人が抱いている「言葉は思っていることを伝えるための道具である」という考え方に疑問を投げかけています。
「言語ゲーム」とは何か?
ここで登場するのが、哲学者ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」という考え方です。言語ゲームとは、「言葉は、その場のルールや状況に応じて使われることで意味を持つ」という考え方です。
たとえば、友だちに「時計持ってる?」と聞かれたとき、「ああ、持っているよ」と返答するのは変な感じを与えてしまいます。その本当の意味は「今、何時か教えてくれる?」という意味だからです。
文法的には所有を聞いているようで、実際には時刻を知りたいという意図があるのです。これは、言葉の意味が文脈(=その場のゲームのルール)によって決まることを示しています。
言葉の「本当の意味」は存在しない?
筆者は、「水」や「光」といった言葉の“本当の意味”は分からないと言います。しかしそれは、「分かっていない」のではなく、「使えていない」だけなのです。
たとえば、私たちは物理学者と会話をすると、「自分はいかに”光”という概念を理解していないか」を痛感することになります。それは、私たちが物理学者との会話という状況下において、「光」という単語を適切に使用できないからです。
つまり、言葉の本当の意味というのは辞書にあるのではなく、使い方にあるのです。
言葉を学ぶ=「使い方のルール」を学ぶこと
この文章の中心的な主張は、以下のようになります。
言葉を学ぶとは、「言語ゲームのルール」を身につけることである。
つまり、言葉の学習というのは、その言葉をどんな状況で、どんな意味で使えばいいのかを知ることにほかならないのです。外国語を学ぶときも、単語や文法を覚えるだけでなく、「その言葉がどんな場面でどう使われるのか」を学ぶことが重要なのです。
「言語の専制」から自由になるには?
最後に筆者は、「言葉に縛られてしまう状態」を「言語の専制」と呼んでいます。これは、言葉のルールに振り回されて、自分の思考すら制限されてしまうような状態です。
それに対して筆者は、「私たちは言葉の世界の主人であるべきだ」と述べています。つまり、既存のルールを知るだけでなく、自分で新しいルールを作ったり、不要なルールを捨てたりできるようになるべきということです。
これができたとき、私たちは言葉の使い手として本当に自由になれるのです。
筆者の主張は?
筆者がこの文章で最も伝えたいことをまとめると、次のようになります。
言葉を学ぶとは、単に言葉の「意味」を覚えることではなく、さまざまな場面で適切に言葉を使えるようになることである。そして、私たちは言葉に支配されるのではなく、言葉を使いこなす主体になることが大切である。
『言葉を学ぶとは』の意味調べノート
【認識(にんしき)】⇒物事を正しく理解し、知ること。
【疎通(そつう)】⇒考えや気持ちが相手にうまく伝わること。
【習熟(しゅうじゅく)】⇒繰り返し学んで、上手にできるようになること。
【依然として(いぜんとして)】⇒以前と変わらず、今もそのままであるさま。
【判然(はんぜん)】⇒はっきりと分かること。
【依存(いぞん)】⇒他のものに頼って成り立つこと。
【適切(てきせつ)】⇒その場や目的にふさわしく合っていること。
【概念(がいねん)】⇒物事の大まかな意味や内容。
【同義(どうぎ)】⇒意味が同じであること。
【遂行(すいこう)】⇒仕事や任務をやりとげること。
【妥当性(だとうせい)】⇒正しくて適切であるという性質。
【慣習的(かんしゅうてき)】⇒社会で古くから続いているやり方や決まりに従っているさま。
【蓄積(ちくせき)】⇒ためて積もること。
【専制(せんせい)】⇒一人や一部の者が思いのままに権力を使って支配すること。
【奴隷(どれい)】⇒他人の支配に逆らえず、自由がない人。
【準拠(じゅんきょ)】⇒ある基準や規則などに従うこと。
【把握(はあく)】⇒物事の内容をしっかりとつかむこと。
『言葉を学ぶとは』のテスト対策問題
次の傍線部の仮名を漢字に直しなさい。
①友人と意思のソツウを図る。
②仕事を最後までスイコウする。
③あの役者のシバイに感動した。
④ピアノをシュウトクするのに苦労した。
⑤ドレイのように働かされている。
次のうち、本文の内容を表したものとして最も適切なものを選びなさい。
(ア)言葉は正確な情報を伝えるための手段であり、意味は固定されている。
(イ)言葉を学ぶとは、単語の意味を正確に覚えることであり、使用場面は関係ない。
(ウ)言葉の意味は、その言葉が使われる状況によって決まり、適切な使用が重要である。
(エ)言語のルールには絶対的な正しさがあり、それに従うことが自由な思考につながる。
まとめ
今回は、『言葉を学ぶとはー言語ゲームの概念』について解説しました。ぜひ定期テストの対策として頂ければと思います。