『物語るという欲望』は、教科書・論理国語で学習する評論文です。そのため、高校の定期テストにも出題されています。
ただ、本文を読むと筆者の主張が分かりにくいと感じる箇所も多いです。そこで今回は、『物語るという欲望』のあらすじや要約、テスト問題などをわかりやすく解説しました。
『物語るという欲望』のあらすじ
本文は、大きく分けて3つの段落から構成されています。ここでは、各段落ごとのあらすじを簡単に紹介していきます。
①映画は意味を書き加える観客の参与があってこそ、コミュニケーションが成立する。映画の画面に映り込んでいる無数の記号(断片的事象)は、その無意味さゆえに、奇妙な抵抗感を観客の心の中に残すことがある。それこそが、私たちに「解釈したい」という気持ちにさせる。
②物語とは、エンドマークへ向けてすべてを整序しようとする力である。一方で、「反-物語」とは、物語にあらがって物語を開放状態にとどめ置こうとする力である。物語は、「反-物語」の干渉と抵抗に遭遇して、深みを獲得してゆく。つまり、「何を意味するのかよくわからないもの」が「意味生成」の培養基になるのだ。
③「意味の亀裂」こそ、私たちを空想と妄想へと誘う「物語発生装置」である。二つの出来事のあいだに脈絡がなければ、仮説を立てて解釈を要請する。このように、論理の「断絶」がある「何もないところ」から物語は起動するのだ。
『物語るという欲望』の要約&本文解説
筆者は、物語というのは、何かが「ある」ところではなく、論理の断絶がある何も「ない」ところから始まるのだと述べています。
この事を説明するために、本文中ではいくつか例が挙げられています。
例えば、「彼はご飯を食べながら、黙って新聞を読んでいた。」という文に対して、私たちは何となく彼の前後の行動を結びづけなければならない(物語を作らなければならない)という気持ちになります。
なぜなら、「ご飯を食べる」という行為と「新聞を読む」という二つの行為の間には何のつながりもないからです。
通常であれば、「彼は一人で食事をしているので、退屈だから新聞を読んでいるのだろう」とか「ほかの家族は食卓にいるけども、彼は家族と話したくないのだろう」などのように、何らかの解釈をつけようとします。
また、何もないきれいな畳の上を歩いているのに、いきなり足の指から出血したとすると、私たちは「原因は何か?」と考えて、何か前後の繋がりを得ようとします。
しかし、ガラスの破片が床に大量にある状態で歩いて足の指を切ったとしても、何か原因を考えるようなことはなく、そこから深く問いを立てるようなことはしません。
このように、世の中に存在する物語というのは、何か原因が「あって」始まるものではなく、何かが「ない」ときに始まるものである、ということを筆者は主張しているのです。
『物語るという欲望』のテスト対策問題
次の傍線部の仮名を漢字に直しなさい。
①映画をヒヒョウする。
②お店に通うヒンドが多い。
③奇妙なテイコウがある。
④何のミャクラクもない文章。
⑤他人の生活にカンショウする。
⑥記憶のダンペンをつなぎあわせる。
まとめ
今回は、『物語るという欲望』について解説しました。ぜひ定期テストの対策として頂ければと思います。